反旗
「お、お母様……。不甲斐ない姿をお見せして申し訳ありません……」
シェディムは焦げた体をブルブルと震わせながら、視線をテネブリスに向ける。
「……構わん。奴はワシと同じ『因子』を内に秘めておる。お前との相性は最悪じゃった。むしろよく渡り合ったのう……」
「不甲斐ない姿を見せた私に慰めのお言葉まで……。本当に申し訳ございません……。……恥ずかしながら、もう存在を維持することができません。このままでは、真四元素の世界に私は還元されることとなります。その前にお母様(元の場所)へ……」
「……そうじゃな。ご苦労じゃった、シェディム。最初の『ドーター』よ」
「……お母様の悲願をこの眼に写すことができぬのは残念です……。……さらばです。ご武運をお祈りしております」
「……うむ」と頷きながら、テネブリスは横たわるシェディムに手掌をかざす。
「ワシの中に還るが良い」
シェディムの体が粒子となり、テネブリスの掌へと吸い込まれていく。全ての粒子を吸い込んだテネブリスはその掌を握り締める。
「やってくれたのう。霧雨魔理沙……。数少ない忠臣のひとりを失わなくてはならなくなった……」
テネブリスは魔理沙を睨みつけた。その形相に魔理沙は思わず冷や汗を垂らす。
「仲間を吸収した……? いや、喰らったのか……!?」
「……ワシの一番の忠臣であったシェディムを愚弄するつもりか、小娘? 喰らったのではない。元に戻っただけじゃ……。ワシがヤツを生み出す前の状態にな」
「……あのデーモンはお前の一部だったってわけか?」
「ククク。悪鬼か……。やはりシェディムの姿が貴様にはそう映ったか……。闇の神の思想に染まった人間の哀れな価値観じゃのう……」
「……闇の神。さっきのデーモンもそんなこと口走ってたな。一体どこの神様なんだぜ?」
「ククク。自分たちの身の回りにいる神のことすら知らんとはのう……。……知りたければ、力尽くでやってみるが良い……!」
「……そうさせてもらうことにするぜ……!」
魔理沙はミニ八卦炉を構えた。そして、大声で術名を叫ぶ……!
「マスタースパァアアアアアク!!」
「ふむ。なるほどのう。確かにわずか数日前に見た時とは比べ物にならないくらいに術質が向上しておる。この短期間で成長したそのスピードは褒めてやろう。きっと特殊な方法で鍛錬を積んだのであろうな。代償もそこそこにあったじゃろう。じゃが……」
テネブリスは体を支えていた杖をマスタースパークに向けると、わずかに薄水色に着色された半透明の防御壁を展開し受け止める。防御壁に止められたマスタースパークは次第に霧散していった。
「くっ……!? シェディムとかいうデーモンを倒した時と同じくらいの高出力だったのに……!?」
「残念じゃったのう、霧雨魔理沙。貴様の血の滲む努力など、ワシの前では大したものではないということじゃ……。……とはいえ、貴様はマリーに次ぐ『因子』の持主となりつつあるからのう。……不穏分子には消えてもらうぞ……?」
「へっ……! こいつは一人じゃ無理そうなんだぜ……。……そういや、紫のやつはどこいったんだ? 伯母さんも見かけないんだぜ……」
魔理沙は周囲を見渡す。すると、約1キロメートルほど離れたところであろうか。人里郊外上空に真っ黒な結界が球状に展開されていた。
「なんだありゃ。紫も伯母さんもあの中か……?」
「よそ見をしている場合か? わしも舐められたものじゃ……」
「くっ……!?」
魔理沙はテネブリスの放つ殺気に身を強張らせる。紫とマリーのことが気にかかっていた魔理沙だったが、テネブリスの殺気の前に一瞬で黒球結界のことは脳裏から飛ぶことになったのだった。
◇◆◇
――魔理沙とシェディムの戦闘開始と同時刻――
幻想郷の賢者『八雲紫』と、ルークスのドーター『マリー』は互いの正体を見極めようとしていた。
「やはり貴方も『結界を操る能力』を持つ者なのね。……ハーンの血統かしら?」
八雲紫はマリーに問いかける。しかし、マリーは困ったような表情で返した。
「……ハーン、か。それが私たち姉妹のルーツなのかしら? ……残念だけど解らないわね。私たちは赤子の頃、お母様に攫われたのだから……。どこの産まれだったかなんて知りようがないもの……」
「…………そう」
「貴方は私たちの産まれを知っているのね? ……もし、敵同士じゃなければ親の居場所を教えてもらってたかもしれないわ。でも、それは叶わぬ願いでしょう?」
「……私も貴方達の親の名までは知らない……。ギリシャに貴方と同じ能力を持った一族がいるという話しか……」
「あら? 敵である私にそんなことを教えてくれるなんて……随分と優しい方なのね。……貴方も私と同じく、出自のことを詳しく知らないみたい。……ということは、貴方もワケアリということかしら?」
マリーの問いに八雲紫は答えない。図星だったから。『境界を操る程度の能力』を持った一族……。その詳細を八雲紫は知らないのだ。知ろうと調査を試みたことはある。だが核心に触れることはできなかった。そして、八雲紫は積極的に自身の正体を知ることを諦めたのである。彼女の人生の目的は自身のルーツを探ることではない。もっと別の大きな目的があるのだから。
八雲紫がかつて霧雨魔理沙の母、霧雨理沙に興味を持ち、命を救ったのは自分の体に流れる血と同じ血を持つだろう少女に情が湧いたこともあるが、自分の知らない『ハーン』の秘密を知っているかもしれないとも思ったからだ。残念ながらその狙いは外れてしまうのだが……。
「……それでは始めましょうか? 同じ血筋の生まれだけど、その正体を知らない者同士の闘いを……」
マリーは紫と自身を包むように黒球状の結界を展開する。直径は百メートルほどであろうか。
「……ご立派な結界ね。完全に結界の外と隔絶されている。光も音もシャットアウトというわけね。……こんな結界を張って何するつもり?」と紫は口を開く。
「……この結界は貴方をどうこうするための境界ではない。外部に見られても聞かれてもならないことがあるからよ」
「一体どういうことかしら?」
「すぐにわかるわ。今は力比べを楽しみましょう。同胞の先輩……で良いのかしら?」
「ええ。あなたの三十倍は軽く生きているわよ?」
……八雲紫は感じ取る。このマリーに殺意は認められない。何をしようとしているのか見極めなければならない、と紫は思考する。
「……いくわよ」
マリーは闇色の球を掌に顕現させると、紫に向かって撃ち込んだ。紫もスキマを開き、球を吸い込ませようと試みる。闇球とスキマは接触すると、互いに打ち消し合った。
「……どうやら境界を操る力は互いに干渉し合うみたいね……」と紫は口から言の葉をこぼした。
「そうよ。私たち姉妹も互いに手合わせしていて気付いたの。あなたの周りには同種の力を持つ者はいなかったのね。ならば知りようがない……!」
マリーは闇球を撃ち続ける。だが、やはりそこに殺意は感じられない。紫はスキマで闇球を対処しながらマリーの真意を読もうとしていた。
まるでお遊戯会のような戦闘だった。互いに殺すつもりのない弾幕と結界を繰り返し、一進一退の攻防を繰り返しているかのような『演技』をしていた。もっとも、千年を超えて生きる妖怪とテネブリスの最高傑作が生みだす戦闘演技は傍目からは激しい殺し合いにしか見えないのだが……。
数分……、数十分経過しただろうか。マリーがその動きを止める。
「シェディムさん……。お母様の元にお戻りに……。……いいえ、今はシェディムさんの還りを悼むのではなく、魔理沙ちゃんの無事を喜ぶべきでしょうね……」
魔理沙がシェディムを退けたことをマリーは自身の境界を操る能力でのぞき見ていた。マリーの独り言に八雲紫は怪訝な表情を浮かべる。
「……くだらない演技は終わりということで良いのかしら? ……一体なんのつもりだったの。戦っているフリなんて……。こんなことをするくらいなら、魔理沙とともに戦う方が良かったんじゃないかしら? 貴方にとっても魔理沙は特別な存在でしょうに……」
「そうね。あの子はこの世界にいるたった一人の私の姪っ子。でも魔理沙は私たち姉妹と同等以上の『因子』に目覚めていた。賭けだったけど、シェディムさんにも勝てるだろうと踏んでいたのよ」
「ちょっと姪っ子に期待をかけ過ぎではなくて? 下手すれば死んでいたわよ?」
「そのとおりね。でも、賭けには勝った」
紫との会話を遮るように、マリーの隣に闇球が現れる。その中から八雲紫のスキマと同じように何者かが現れる。若い魔女だった。雰囲気から察するに人間の魔女のようだ。マリーの配下らしい。魔女はマリーに報告する。
「マリー様、ドーター『エルベ―ジェト』が亡くなりました」
「……私も確認しました。バックドアの神にやられたようですね。……元々永遠の若さを求めてドーターへと上り詰めた方でした。私と同じで数少ない人間のドーターではありましたが、戦闘能力はそれほど高い方ではなかった。無理もありません。残念です……」
「……マリー様、貴方はお優しすぎます。エルベ―ジェトは若さのために幾人もの生娘を犠牲にした魔女。天が罰を与えたのです。それに我らの作戦ではいずれ死んでもらわねばならなかったのですから……」
「……解っています。……これでお母様に心からの忠誠を誓っている者や凶悪な思想を持っていた者は全員亡くなった。残った実力者はお母様が『傑作』と称する私たちだけ……。これで動くことができます……!」
「なんだか、お仲間さんと盛り上がっているようだけど……、一体何をし始めるつもりかしら?」
決意を固めるマリーたちに対して、紫は疑問を口にする。
「我々はお母様に反旗を翻す。平和的交渉で、ね」
マリーの強い眼差しは結界の外側にいるテネブリスに向けられてい