四重結界
「……誰が次代の巫女になろうと、どうだっていいさ。けどな、霊夢を見捨てるつもりだってんなら、私は絶対許さないんだぜ!」
魔理沙は紫の前に立ちはだかる。
「どきなさい、魔理沙。霊夢の中にある『陰陽玉』を、この宇佐見の血を色濃く受け継ぐ娘に移し替えなければならないのだから」
紫はまっすぐに魔理沙を見つめる。微かに眉間に皺を寄せながら……。
「……移し替えるだって? ……霊夢の中に何が入ってるのか知らないが、移し替えて霊夢は無事でいられるのかよ……!? どうせそんな都合の良いことはないんだぜ!」
「……そうね。貴方の予想するとおり。霊夢は死ぬことになるわ。陰陽玉の後継者として生き、そして次の後継者に陰陽玉を託して生を終える……。……それが博麗の巫女の運命だもの」
「運命だって……? そんな運命、幻想郷中の全員が認めたとしても、私だけは絶対に認めないんだぜ!」
「勝手なことを言うわね」
「何が勝手だ!? お前が一番勝手じゃないか! 霊夢は知ってんのかよ! 自分の中に妙なものが入ってるって……」
「知っているわ」
「な、なんだって!?」
「……たしかに全ての歴代の巫女が望んで陰陽玉の後継者になったわけではないわ。……いえ、ほとんどの後継者はその意思にかかわらず、博麗の巫女となってきた」
「……紫、お前相当に悪いヤツなんだぜ……!」
「……それについては否定しないわ。……でも、霊夢は違う。霊夢は陰陽玉の後継者となることを自ら選んだ」
「な、なんで霊夢はそんなこと……」
「尊敬していたんでしょうね、先代のことを……。だから彼女の意志を継ぎたかったんじゃないかしら……」
紫は眉尻を下げて、わずかに視線を宙に向けた。
「……霊夢が自分で選んだだなんて。……きっとお前の嘘なんだぜ……!」
「魔理沙、貴方本気で言ってるのかしら? ……そんなことはないでしょう。貴方も空気を敏感に察知できるタイプだもの。私が嘘をついてるかどうかは感じとれているはず」
「くっ……」
たしかに紫の言う通りだった。今の紫にいつんもの胡散臭さはまったく感じられない。それは魔理沙もわかっていた。
「霊夢も解っているはずよ。自分に何かあれば、陰陽玉を守るために殺されるってことは……。覚悟もしていたはず」
「……それでも、霊夢を殺させるわけにはいかないんだぜ。私はまだ一度もあいつに勝ってないんだ。勝ち逃げされてたまるか、なんだぜ!」
「邪魔をするなら、それでも構わない。止められるものなら、止めてごらんなさい」
紫はゆっくりと歩みを進める。
「それ以上近づくってんなら、私のマスタースパークをお見舞いしてやるんだぜ!」
「……やってごらんなさい」
「言われなくても、だ!」
魔理沙はミニ八卦炉を構えると、魔力を込める。龍穴の上に建つ永遠亭には運が十二分にある。運がない魔理沙でも魔法が使えるくらい十分に溢れた運が。魔理沙は魔法名を叫ぶ。
「マスタースパァアアアアアク!」
魔理沙の放った極太の光線は一直線に紫に向かう。しかし、紫は汗ひとつかかずに涼しい表情を見せていた。
「四重結界」
呟いた紫の周りを直方体の結界が囲い込む。魔理沙のマスタースパークはいとも簡単に阻まれてしまった。
「……多少、能力に目覚めたとは言っても所詮まだまだこの程度。そこを退きなさい、魔理沙。……霊夢のことはもう諦めなさい……」
紫は悲し気な表情で魔理沙に降伏を促す。その言葉は紫自身にも向けらていたのかもしれない。
……だが、魔理沙は諦めない。
「死んでも退いてやらないんだぜ!」
魔理沙は再び魔力をミニ八卦炉に込める。
「無駄なことを……」
「マスタースパァアアアク!!」
紫は四重結界を発動させる。魔理沙の光線はまたも結界に阻まれる……かと思われた。
「なに!?」
紫は眼を丸くする。四重結界にヒビが入っていたからだ。魔理沙の『境界を破る程度の能力』は不安定ながらも、強力に覚醒しようとしていた。
マスタースパークはひび割れた四重結界を力づくで押し通った。紫は咄嗟にスキマを顕現させ、身を隠す。
「……私の『境界を操る程度の能力』を一瞬だけとはいえ、上回った……!? ……そうだったわね。貴方もまた『正統血統』ですものね。忘れていたわ」
スキマから帰ってきた紫は魔理沙に聞こえないくらいの音量で独り言を呟いていた。
「ちょっと、貴方たち他人の家で暴れないでくれないかしら?」
八意永琳が苦言を呈す。
「……八雲紫。私も薬師として魔理沙につかせてもらうわ。……たしかに、今博麗霊夢は生きようとすらしていない。でもまだ死んでないわ。死ぬその直前まで、私は治療を続ける。彼女の命を奪うにはまだ早いわ。それが私の個人的な見解」
「……何かあってからでは遅いの」
紫は八意永琳を睨みつける。ピリついた空気感の中、『幻想郷の最長老』が口を開いた。
「何かあるからこそ、霊夢は生かしておくべきなんじゃないかい? 賢者さん?」
因幡てゐがいたずらな笑みを浮かべて紫に視線を送っていた。
「……どういう意味かしら?」
「……今回の異変。あたしゃ『人間』の力が必要だと踏んでいるのさ」
「……人間の力が必要? ……何を根拠に……」
「感性だね。勘ともいう」
「くだらないですわね」
「幻想郷とともに生き続けた老兎の勘なんだよ? 少しくらい信用してもらっても良いんじゃあないかね?」
「……『人間』が必要だとして、それと霊夢を生かしておくことに何の関係が……」
「アンタと一緒さ。……いや、正確にはアンタたちと一緒さ。この子たちはきっとアンタたち以上になれる素質がある。霊夢と魔理沙じゃなきゃダメだ。アンタが連れてきた宇佐見の正統血統とやらにこの役目は果たせない。……今回の異変の首謀者。あの婆さんが企むことを阻止するには霊夢と魔理沙が必要になる。私の勘がそう言ってるよ」
「因幡てゐ、まさか、あなたの狙いは……。…………っ!?」
紫は出し掛けた言葉を引っ込めた。自分と同じ力が発動したことに気付いたからだ。……魔理沙もまた違和感を覚える。
「……どうしたんだい、魔理沙。それに賢者さんも……。何か悪いことでも起こった感じかい?」
てゐの言葉に魔理沙が答える。
「何なのかわかんねぇ。何なのかわかんねぇけど……、人里の方向に嫌な気配を感じるんだぜ……」
「……なに? ……賢者さん、一体何が起こってるんだい?」
「……ヤツらが人里に侵攻したようだわ。……私と同じ境界を操る能力を持ったものが空間移動を使ったようね。……あのお婆さんの右腕が……」
紫は不快そうな表情で人里に視線を向けるのだった。