しばしの休憩
――妖怪の山、上空――
「……あのお姫様、溶岩の中から上がってこないんだぜ……。やった、のか……?」
ブレイジングスターを使って、イワナガ姫を妖怪の山に叩き落とした霧雨魔理沙は火口を覗き込んで様子を窺っていた。しばらく、火口を眺めていたがイワナガ姫が戻ってくることはなかった。どうやら倒せたらしいことを確信した魔理沙はほっと胸を撫で下ろす。
「なんとか倒せたか、なんだぜ。それにしてもめちゃくちゃ早く動くお姫様だったんだぜ……ん?」
魔理沙は自分の掌が震えていることにふっと気付く。
「なんで、震えてんだ私……? ……そりゃそうか。だって、殺したんだもんな」
魔理沙は自分に言い聞かせるように声を震わせる。これまでも魔理沙は殺生をしてこなかったわけではない。しかし、それらはいずれも動物の形をした妖怪ばかりだった。月の民とはいえ、人間と同じ姿かたちをした者を火口に突き落とし、殺してしまった魔理沙はほのかな罪悪感に包まれる。
「気にするこたぁないさ」
魔理沙の背後からかけられる幼い声……。声の持主は『詐欺ウサギ』、因幡てゐだった。てゐはイワナガ姫に痛めつけられた腹部を軽く押さえながら魔理沙との会話を続ける。
「詐欺ウサギ、お前生きてたのか!?」
「おいおい、勝手に殺さないでおくれよ。……あのお姫様は死んじゃいないさ。眠りについただけ……。石長姫とともに……」
「何言ってるんだぜ……?」
「……霧雨魔理沙、アンタは人殺しはしてないってことさ。なんなら人助けをしたかもしれない。イワナガ姫と石長姫を会わせることはサクヤ姫にとっての悲願だっただろうからね」
「お前が何言ってるか、さっぱり解らないんんだぜ?」
「いいんだよ、わからなくて。さ、永遠亭に戻ろう。お師匠様や姫様、それに鈴仙たちも治療しないといけない……。もちろん魔理沙、アンタにも手伝ってもらう」
「あ、ああ。もちろん手伝うけどさ……」
魔理沙とてゐは妖怪の山火口から永遠亭へと飛び立った。到着したてゐはまず、永遠亭の心臓である永琳の治療に入る。
「……深い傷なんだぜ。治せるのか……?」
「ま、あたしがそばに居れば……、お師匠様の地力があればすぐに意識を取り戻すはずさ。私の能力は『人間を幸運にする程度の能力』だからね」
てゐは得意気に微笑む。だが、そんなてゐの表情を魔理沙は訝しんだ。
「……おい、詐欺ウサギ。お前なんでこいつらの治療を後まわしにして、私のとこに……、妖怪の山の上空にまで来たんだよ? 優先順位を間違えてるんだぜ?」
「……間違っちゃいないさ。私は誰よりもこの幻想郷を愛している。この竹林が高草郡と呼ばれていた時から住んでいるんだからね。霧雨魔理沙、アンタはこの幻想郷に必要な最優先のピースなんだよ? 自覚はできないかも、だけどさ……」
「私がピース……?」
「う……、く……?」
魔理沙とてゐの会話を止めるように、八意永琳が軽いうめき声をあげながら目を覚ます。
「気付いたかい、お師匠様?」
「……何か温かいと思ったら……。貴方の力で私に幻想郷の運を与えていたのね、てゐ。おかげで思ったよりも早く目覚めることができたわ」
「それはどういたしまして。目覚めてすぐで悪いんだけどさ。鈴仙と私の部下たちの治療をお願いしたいんだよ。お師匠様」
「まったく、今日は患者さんの多い日ね。嫌になるわ」
ぼやきながらも、永琳は立ち上がり鈴仙たちの治療に当たる。
「あいたたたた。酷い目にあったわね……」
永琳の治療を受けて意識を取り戻した蓬莱山輝夜は後頭部を抑えながら、体を起こす。
「何が酷い目だ。それはこっちのセリフなんだぜ?」
「あらあら、無事だったのね。魔法使いさん?」
「おかげさまでな」
「……それで、無事貴方の目論見通りに行ったのかしら? 因幡の素兎さん?」
「うん、姫様のおかげで目覚めたらしい。もっとも安定しているとは言い難いけどね」
「そう。上手くいったのね。それは良かったわ」
蓬莱山輝夜は流し目で魔理沙を見やる。
「さて、姫様も魔理沙も疲れているだろう? ゆっくりとは無理だろうが、休むと良い。本当の闘いはここからだろうからさ」
因幡てゐは労うように、輝夜と魔理沙に休憩を促すのだった。
◇◆◇
魔理沙は促されるままにてゐと一緒に休憩のため、永遠亭の中へと入って行った。奥の座敷に入ったときに魔理沙の眼に映ったのは……縄でぐるぐる巻きにされた魔理沙の父親だった……。
「お、親父!? 何してるんだよ!?」
「何もくそもあるか! 兎に酒をもらって飲んだら急に眠くなって、気付いたらこんなことに……。あっ! てめぇ、俺に酒飲ませた兎じゃねえか!? てめぇだな? 俺が寝てる間にこんな格好にさせたのは! さては酒に一服盛りやがったな!?」
「こうでもしないと、アンタ姫様と魔理沙の修行や私たちの戦闘に顔を出しかねなかったからね。血の気の多い人間を黙らせるときはこうするに限る」
「情けねぇなぁ、親父。こんなしょぼいやり方にやられるなんて……」
「うるせぇ! 魔理沙、さっさとこれ解きやがれ!」
「ったく、しょうがないんだぜ」
魔理沙は父親の縄を解いてやった。不自由から解放された霧雨は首をごきごきと鳴らして体の状態を確かめる。
「くそ、体のあちこちがいてぇ……。がっちがちに締め込みやがって。……魔理沙、お前……」
霧雨は魔理沙の顔に視線を向ける。
「なんだよ、親父。気持ち悪いんだぜ?」
「お前、何か変わったか? リサに……。……いや、何でもねぇ」
霧雨はそう言いかけて口を止めた。魔理沙の何かが妻であるリサと一緒になっている。そんな雰囲気を感じたが、その正体が何かを霧雨ははっきりと知ることができなかった。
霧雨の違和感の正体。それは殻をやぶり、魔理沙が手にした『境界を破る程度の能力』だった。母親であるリサと似た能力に魔理沙が開眼しつつあることを、漁師として自然と長く付き合ってきた霧雨の鋭い感性が察知したのである。
「まあ、二人ともお師匠様が鈴仙たちの治療を終えるまでゆっくりしててくれ。終わったら魔理沙には仕事をしてもらおうと思ってるからさ」
そう言って、因幡てゐは座敷から消えていった。八意永琳の治療の手伝いにいったのだろう。
「たしかに疲れたんだぜ……。少し休むか……」
魔理沙は座敷の畳にごろんと寝転ぶと束の間の休息を取るのだった。