山祇姉妹
「……リサの娘め……! 私の量子空間を無効化するなんて……!」
イワナガ姫は量子空間の展開を解きながら、霧雨魔理沙を睨みつける。
「そんなに怖い顔されてもなぁ。てか、本当に私がアンタの結界を封じてるのか?」
「とぼけているの? それとも、本当に自覚がないのかしら? ……どちらでも構わないわ。量子空間が使えないのならば、もう一つの結界を展開するだけだもの……!」
「もう一つの結界……?」
「ふふふふ……。あの波長を操る兎には煮え湯を飲まされましたが……、本来ならば、時間を止める結界だけで十二分に屠れるのですわ。たとえ、月の民であってもね」
「時間を止める結界だって……? 随分と大層なことを言い出すんだぜ」
「コケ脅しだとお思いですわね? その認識改めさせてあげますわ!」
イワナガ姫は時止めの結界を展開する。そう、自身を光子に変換し高速に達することで、実質時間を止めることのできる結界を……。
「ふふふふ。やはり貴方の結界を無効化する能力は、効力の範囲がそれほど広くないようですわね。厄介ではありますが、それならば対応できますわ……!」
イワナガ姫はふわりと宙に浮くと、魔理沙から距離を取る。およそ百メートル程度だろうか。
「……私から離れた……? 何するつもりなんだぜ?」
「強く攻撃したいのならば、助走を付けるのは常套手段でございましょう? 私の助走は光速……。あっという間に殺して差し上げますわ!」
次の瞬間、イワナガ姫は魔理沙の視界から消える。
「き、消えた……!? ……がっ!?」
イワナガ姫が消えたと同時に魔理沙の腕に鋭い痛みが走る。気付いた時にはイワナガ姫は魔理沙の懐に潜り込み、鉄扇で思い切り魔理沙の腕を殴りつけていたのだ。魔理沙は殴られた衝撃で吹き飛ぶ。イワナガ姫は不服そうな顔で殴り飛ばした魔理沙に視線を向けながら舌打ちした。
「……やはり、量子空間と同じく、貴方の能力の範囲内では私の光子変換の結界は無効化されるようですわね。おかげ様で、範囲内に入った瞬間に私の光子変換が強制解除されてスピードは大きく減速させられる。もちろん時間も止められない。……しかし、貴方を屠る程度なら、このスピードで十分ですわね」
「く……!? なんてスピードなんだぜ!? 私だって、それなりに速さには自信があったってのに……。全く見えなかったんだぜ……!」
「まだ生きていらしたの? それほどダメージも受けていないようですわね。……常人ならば、命を落とすくらいの衝撃で鉄扇をぶつけたというのに……。どうやら、人の壁を超えつつあるようですわね。……『魔法使い』に至るその一歩を踏み出しているということかしら? ……お母様がご覧になったら、大層お怒りになられるでしょうね」
魔理沙は自分の腕を確かめる。イワナガ姫の言う通り、眼にも止まらぬ激しい攻撃を受けたはずなのに、骨は折れてなさそうだ。どうやら、あの白髪の美少女と出会って何かしら体に変化が起きているらしい。
「『魔法使い』は意識的あるいは無意識的に魔力で体を強化できる。貴方はどうやら無意識的なタイプのようですわね。厄介だこと。本当にリサに似ている。本能タイプの魔法使いになりうる人間。もっとも、運も実力もリサに遠く及ばない。もちろん私にも!」
イワナガ姫は再び魔理沙の能力範囲外に飛び出ると、光速の助走を付けて魔理沙に突撃し始めた。今度は一回の攻撃で終わらせることなく、連発し続ける。イワナガ姫の攻撃軌道さえも見極められない魔理沙は防戦一方に殴られるだけ……。
(ぐはっ……!? まずい……! 何故かはわからないが体が丈夫になっているとはいえ……、この重さの攻撃を受け続けて耐えていられるとは思えないんだぜ……!?)
「あははははは! いつまで持ち堪えられるかしら!?」
「くっそ! やられっぱなしでいられるか、なんだぜ! ……『スターダストレヴァリエ』!」
魔理沙は三百六十度、全方位に星形魔法弾を射出する。星の一つがイワナガ姫に直撃した。
「くっ……!? 猪口才なことをしますわね……!」
隙を見せたイワナガ姫。魔理沙はそれを逃さない。
「私の全出力で焼き尽くしてやるんだぜ! マスタースパーク!!」
ミニ八卦炉から巨大なビーム攻撃が放たれる。それは今まで魔理沙が放ったどのマスタースパークよりも巨大で高密度だった。イワナガ姫は逃げる間もなく、マスタースパークに飲み込まれる。勢いの衰えないマスタースパークははるか遠方に聳える小さな山に衝突し、……焼き払った。
「な、なんなんだぜ、この威力……!? 本当に私が発動したのか!? 角度を上向きにしてて良かったんだぜ。こんなもん人がいる方に向けたらとんでもないことになってたぜ」
自分自身の魔法威力アップに驚く魔理沙。だが、もっと驚くべき光景が広がる……。
「いっ……!? お、お前、まだ生きてるのか、なんだぜ!?」
「……やってくれましたわね……。リサの娘……! いいえ、霧雨魔理沙だったかしら……!?」
「あ、あのバカでかいマスタースパークを受けても死なないのかよ……!?」
イワナガ姫は眉間に皺を寄せ、魔理沙を睨む。彼女は焼き払われた迷いの竹林の大地に二本足でしっかりと立っていた。さすがに服装は乱れボロボロになってはいるが、ダメージはそれほど受けていないようである。少なくとも戦闘可能ではあるらしい。
「……私は父から岩のように永遠となるよう願われて生まれた。体だけは丈夫にして頂きましたの。…………本当に欲しい才能は全て妹のサクヤが持っていきましたけどね……! これまでもこれからも私に才能を与えて下さらなかった父を恨んで生きていくでしょうが、今回ばかりは感謝しなければなりませんわ。お前の攻撃にも耐えられる身体を与えて産んで下さったことに……!」
「くっ……!? こんなヤツどうやって倒したらいいんだぜ!?」
「倒す……? 穢れた地上の人間が……! 運すら持たぬ出来損ないの魔法使いが……! 驕り高ぶるのもそこまでにして頂きますわ! ……再開よ。一瞬で命を奪えぬことがもどかしいですが、光速の力でお前をじわじわと嬲り殺して差し上げましょう!!」
イワナガ姫は再び魔理沙の結界無効化能力の範囲外へと躍り出ると、自身の身体を光子に変換させ始めた。
「死んでもらいますわ、霧雨魔理沙! 悪くお思いにならないでくださいな!」
威勢の良い言葉を繰り出したイワナガ姫。魔理沙は衝撃に備えて身構え、眼を瞑る。しかし、いつまで経ってもイワナガ姫の攻撃が魔理沙に訪れることはなかった。
魔理沙が開眼しイワナガ姫の方に視線を向けると、彼女はわなわなと震えながら自身の両掌を見つめていた。
「……私の光子変換が発動しない……!? これは……。……まだ生きているのか、兎ィィいいいいいいいいい!?」
イワナガ姫が睨みつける視線の先、そこにいたのは耳を失い、顔中の穴と言う穴から血を垂れ流しながらも片膝つきで起き上がる『鈴仙・優曇華院・イナバ』であった。意識を取り戻した鈴仙は『波長を操る程度の能力』でイワナガ姫の光子変換を無効化する。
「兎のくせに……、下等生物のくせに……、またしても邪魔するか!?」
「あああ、あああああ、ああああああああああああああああああああ!!!!」
鈴仙は気合を入れる。今にも倒れそうなダメージを体中に受けている中、波長を操る能力を振り絞り、イワナガ姫に光速移動を許さない。
能力の自由を奪われたイワナガ姫の怒りの矛先と意識が鈴仙に向かっていることを観た魔理沙は、一瞬の隙を見逃さなかった。今の自分の出力ならいける。魔理沙はそう確信した。ほうきの後ろにミニ八卦炉を取り付けた魔理沙はマスタースパークを推進力代わりにして、ロケットのように飛び出した……!
「ブレイジングスターァあああああああああああああああ!!!!」
「な、なに!?」
鈴仙に注意を向けていたイワナガ姫は魔理沙の高速突進に気付くのが一瞬遅れる。魔理沙は箒の柄の先端を突き刺すようにイワナガ姫に体当たりすると上空に向かって飛び上がった。
「ぐぅううううううううううう!?」
イワナガ姫は魔理沙の突撃を振り払おうと藻掻くが、あまりの推進力の強さに体が箒に張り付いていて剥がせない。
「ぐぐぐ……。本当に丈夫な奴なんだぜ。このスピードで体当たりしてるってのに、意識を保ってられるなんてな。ま、そうでもなけりゃ光速に耐えられないんだろうけど……!」
「くっ……!? 出来損ないィいいいいい!!!! 貴様、私をどうするつもり!!!?」
「あのマスタースパークでも死なないアンタだからな。封じ込めるにはアレしかないんだぜ……!」
「アレ……ですって!?」
「……見えてきたぜ!」
魔理沙の視線の先……、そこに聳え立っていたのは『妖怪の山』。かつて八ヶ岳と言われた日本最大の山。
「く……!? まさか、貴様ぁああああああああああ!?」
「残酷で悪いが……、あの火口にぶち込ませてもらうんだぜ!!」
「ふざけるな……! この私がマグマごときで死ぬと思っているのかしら!?」
「さぁな! だが、やらせてもらうぜ! うぅうううううらぁあああああああああ!!!!」
魔理沙は火口上部に到着すると、体を翻した勢いのまま、箒でイワナガ姫を火口へと叩き落とした。結界を張る間もなかったイワナガ姫は溶岩の中へ消えていく。
(ぐうぅううううう!? 熱い。熱い熱い熱い熱いぃいいいいいいいい!? ……が、私に死を与えるほどのものではない! 出来損ない! リサの娘! このマグマから脱出したら、今度こそ殺してやる!)
イワナガ姫はぐっと唇を噛み締める。叩きつけの勢いが徐々に弱まり、無くなったところでイワナガ姫は水面ならぬ、溶岩面に向けて浮上し始めた。……だが、そんなイワナガ姫の脳内に誰かが囁く。
(お待ちしておりました。本物のイワナガ姫様……)
「……誰? 誰が私を呼んだ? この灼熱のマグマの中で……」
(わたくしですわ)
溶岩の中、イワナガ姫の視界に現れたのは、自分によく似た『美女』だった。イワナガ姫も地上の人間からすれば、十分に美しい。しかし、現れたイワナガ姫似の美女は月の民の男たちが一人残らず振り向くくらいの美貌であった。……そう、イワナガ姫の妹、コノハナサクヤ姫に匹敵するほどに……。
「……貴方は誰? 私に似ている気がする……けど、私はそんなに美しくない」
(わたくしは石長姫。貴方様の妹、コノハナサクヤ姫が月の民としての能力を捨てた時に分離した力の欠片でございますわ)
「サクヤ姫の……!? ……お待ちしていましたとはどういうことよ!?」
(わたくしは、サクヤ姫様に命じられ貴方様を待っていたのです。わたくしという能力を貴方様にお渡しするために……。わたくしが貴方様に似ているのはそのためです)
「能力を私に渡す……ですって?」
(はい、サクヤ姫様は胸をお痛めになっておいででした。サクヤ姫様は、イワナガ姫様が父上である山祇様から能力を与えられなかったことを恨んでいると知り、自責の念にかられておりました。故に月の民をやめ、地上に『ただの人間』として降嫁する際に、月の民としての能力を二つに分けて封印することにしたのです。陰の力を咲耶と名付けて富士の山に封印し、陽の力もまた石長と名付けて封印したのです。その陽の力こそがわたくしなのです。石長姫と名付けたのは、いずれ貴方様に陽の力であるわたくしの能力を受け渡すため……)
「あの子が、私に能力を渡そうとした……? ふ、ふふ、ふふふふふふ……。……あの子のそういうところが気に入らなかったのよ! 同情でもしたか!? 頭脳も身体も美貌にも恵まれなかった実の姉に対して! だが、その同情は優しさでもなんでもないわ。ただの侮辱よ!」
(……サクヤ姫様は貴方にそう思われると理解した上で、陽の能力を貴方様に残しておられます。きっと姉は自分を恨むだろうと承知し上で、わたくしを生んだのです)
「やめろ! それ以上聞きたくない! 私だってわかっていた。解っていたのよ! あの男がサクヤを選んだのは美貌があったからではない。あの子は心まで美しかった。月の民としての能力を失ってまで……美貌を失ってまで、あの人の元へと旅立ったサクヤの心にあの人は惹かれたのよ。……でも認められなかった。美貌も心もあの子より醜い自分を認めることなんてできなかった。だから、私は恨んだ。父を、妹を、あの人さえも……」
イワナガ姫は顔を抑える。涙を抑えているように石長姫には見えた気がした。
(……イワナガ姫様。貴方様は醜くなどありません。それは妹であるコノハナサクヤ姫様が一番ご存知でした)
「うるさい。うるさい、うるさいうるさい! あの子に……、才あるものに私の気持ちなど解るわけない……!」
(……イワナガ姫様。そのお怒りはきっと、時とともに失われるはず……。ともに眠りましょう。その感情が落ち着くその時まで……)
石長姫はイワナガ姫を抱きしめると、溶岩の深海へと沈み始める。大きな愛情に抱擁されたイワナガ姫はもう抵抗することはしない。二人のシルエットはどんどんと小さくなり、一点となり、そして、見えなくなってしまったのだった。