燕の産んだ子安貝
「さてと……」
言いながら、輝夜は龍の首の珠を袖に隠す。
「そのアイテムも終わりか、なんだぜ?」
「ええ。あなたに水龍は効かないもの」
魔理沙の質問に答える輝夜。彼女は永遠亭の中へと消えようとする。
「おい、また休憩かよ?」
「当たり前でしょう?」
「当たり前なのかよ……」
「水龍の召喚に私の魔力も使っちゃったもの。次はすこし長く休憩させてもらうわ。そうね……。丸一日後に再開するわ。あなたも休んでおきなさい」
そう言って、輝夜は永遠亭の自室へと去って行った。
「丸一日……。こんな何もないモノクロの世界で過ごせってか? そっちの方がよっぽど難題なんだぜ……」
アクティブな魔理沙にとって、待つという忍耐が必要な行為はストレスでしかなかったが、魔法の練習をして時間を潰すことにした。そして、きっかり一日後、輝夜が中庭に姿を現す。
「やっと出てきたか、お姫様。待ちくたびれたんだぜ?」
「待たせて悪かったわね。……では始めましょうか。『四つ目の難題』を……!」
輝夜の手には流線形でつやのある美しい貝殻が収められていた。川に住むシジミ以外の貝を目にしたことがない魔理沙は輝夜に尋ねる。
「なんだよ、そのつるつるっとした光ものは? 人工物ではなさそうなんだぜ?」
「幻想郷育ちの貴方が見たことないのも仕方ないわ。これは子安貝。本来海に住む貝という生物の殻よ」
「貝……。海に住むやつは初めて見たんだぜ。そういや、何かの本でみたことがあるな。大昔は貝殻を宝石代わりにしてたとか……。……今度はどんなびっくりアイテムなんだ?」
「……これは『燕の産んだ子安貝』よ」
「はぁ? 燕ってのは鳥の燕のことか? 鳥が貝を生むなんてあり得ないだろ?」
「ええ。『通常』ならばあり得ない。でもかつて月の民も地上の民と同じくらい倫理のない実験をしていた。その産物がこの子安貝なのよ」
「実験?」
「そう。今でこそ、地上の民を穢れているなどと蔑んでいる月の民だけど、所詮は彼らも『兎』でしかないのよ。知恵を持った兎が、自分たちは選ばれた存在だと勘違いしているだけ……。……大昔、まだ月の民が地上にいた頃、一部の研究者が生物を使った遺伝子改造を試みた。その時、偶然に生まれたのが貝を産む鳥。その貝には強力な幻覚作用が備わっていたのよ。こんな風にね……!」
輝夜が貝に手を翳すと妖しい光が放たれた。まばゆい光に魔理沙は思わず目を瞑る。光が収まり、魔理沙が視界を取り戻すと、目の前に不思議な光景が広がっていた。魔理沙は幻覚の世界に迷い込んでいたのである。
◆◇◆
「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
魔理沙の眼に映ったのは、因幡てゐと同じ服装をした無数の妖怪兎たちが二人一組ペアになって杵と臼を使って餅をついている様子だった。ただ、餅をついているだけではなく、リズミカルな掛け声を歌うように口ずさんでいる。
「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
数千、数万はいるであろう兎たちの全てが隊列を組み、声を併せて「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん」と言いながら、完全に動きをシンクロさせて餅をついている様子に、霧雨魔理沙は狂気を感じざるを得ない。
「な、なんなんだぜ、これは……」
「おい、新入り。なにぼさっとしてんだ。早く仕事しなよ」
戸惑う魔理沙に声をかけてきたのは因幡てゐだった。
「さ、詐欺ウサギじゃないか。新入りってのは何のことなんだぜ?」
「詐欺ウサギ? 先輩、ましてやリーダーである私に向かって何て口を聞くんだい」
「何言ってんだ? 私はお前の後輩や部下になった覚えはないんだぜ?」
「お前こそ何言ってるんだ。ボケちまったのかい、『てゐせん』」
「てゐせんって何なんだぜ?」
「何なんだぜって……。お前の名前じゃないか」
「私はそんな兎みたいな名前じゃないんだぜ! 私には霧雨魔理沙っていう人間の女の子らしい可愛い名前が……」
「ああ、ああ。可哀想に。本当にボケちゃってるじゃないか。お前が人間なわけないだろう。おい、そこの。てゐせんに鏡を見せてやりな」
因幡てゐに命ぜられた一匹の兎が鏡を持ってくる。
「ほれ、てゐせん。自分の顔をよく見な」
魔理沙は鏡を覗く。そこにいたのは『霧雨魔理沙』ではなかった。兎の耳を生やし、髪も真っ黒になっている紛うことなき兎妖怪……。
「え、ええええええええ!? な、なんだ!? 一体全体どういうことなんだぜ!?」
「これでわかったろう? お前は人間なんかじゃない。ただの兎さ。気持ちはわかる。人間になりたいよな。妖怪ってのは皆、そういう欲望を持っているものさ。でも、人間になろうだなんて思っちゃいけない。人魚姫が人間になろうとして声を失い、最後には死んでしまったように、妖怪が人間になろうとすれば不幸になるだけさ。わかったら作業にお戻り」
魔理沙は他の兎たちに羽交い絞めにされ、連れて行かれる。連行先には杵と臼が置いてあった。
「さぁ、早く作業を始めなさい、てゐせん!」と怒鳴る先輩兎。
「さ、作業って……。一体何をさせるつもりなんだぜ」
「はぁ」と溜息をついてから、兎は話す。
「『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』に決まっているでしょう?」
「ぺ、『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』……?」
「ええ、それが私たちの大事な仕事なんだから」
「い、一体何をしたらいいんだぜ?」
「臼と杵で餅をつきながら、みんなと声を併せて『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』と歌えばいいのよ」
「な、何のためにそんなことを……」
「それが兎の使命だからよ! 大人しくやりなさい!!」
凄い剣幕で先輩兎に怒鳴られた魔理沙ことてゐせんは仕方なく、杵を手にする。
「さっさと始めなさい、てゐせん!」
「う、うぅ……。なんで私がこんなこと……」
「愚痴を言わない! 手と口を動かしなさい!」
「は、はい。ぺ……、ぺったん……、ぺったん……。も、餅、ぺったん……」
戸惑いながらも、歌いながら餅をつき始める魔理沙。
「声がちいさい!」
「ぺ、ぺったん、ぺったん。も、餅ぺったん」
「まだ声が小さい! それに言葉を噛むな!」
「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
「餅つきのリズムと声のリズムが合ってない!」
「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
「リズムは合って来たけど、今度は声がまた小さくなってるわよ! 声を大きく!」
「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
「ま、大分良くなってきたわね。とりあえず、この業務時間の間はそのクオリティで許してあげるわ。続けなさい」
「続けるっていつまでやるんだぜ……?」
「8時間経過するまで」
「え、えぇ……。そ、そんなに……?」
「なに甘えたこと言ってるの。8時間で終わるのよ? 昔はサービス残業当たり前。24時間やることだってあったのよ? これだから最近の若い兎は……。ほら、やってやって。さぼってる時間はないのよ?」
「ぺ、ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
「噛むな!」
「す、すいません! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
魔理沙は幻覚の世界で永遠と餅をつき続ける。その眼は完全に幻覚に支配され、ぐるぐる目になってしまうのだった。
◇◆◇
「ふふふ。『燕の産んだ子安貝』の幻覚はいかがかしら? 霧雨魔理沙」
蓬莱山輝夜は幻覚に飲み込まれて気絶した魔理沙の顔を覗き込む。魔理沙の眼はぐるぐると回っている。幻覚が効いている証拠だ。
「これくらいの幻覚は自力で解いてくれなくちゃ、あの魔女集団には勝てないわよ? まぁ、1時間くらいで戻ってきたら合格にしてあげようかしら。……って、え? ぶふぉっ!?」
輝夜の口からダメージを受けたような声が出る。それもそのはず。輝夜は立ち上がった魔理沙が振り回した箒に頬を殴られたのだ。思いがけない攻撃に輝夜はふらつく。
「な、なんですって? もう幻覚から目覚めたというの……!? まだ5分と経ってないのに……!?」
「へ、へへ……。まだ幻覚は受けたままだっての……。ぺったん、ぺったん……」
魔理沙自身が言うように、完全に幻覚から解放されたわけではないようだ。その証拠に魔理沙の眼はぐるぐると渦を巻いたままである。
「幻覚から解放されたわけではないのに、動けている……? なぜ……?」
「……私はいつも魔法の森でキノコ採集をしてるからな。幻覚を見せられることは日常茶飯事なんだぜ……? 幻覚を幻覚と見抜き、現実と幻覚の混じる精神状態でも現実を選び取ることができるんだぜ。ぺったん、ぺったん……」
「ふーん。幻覚に対する耐性を既に持っていたのね。そいつは恐れ入ったわ」
輝夜は殴られて紅くなった自身の頬を労わるように撫でている。
「さぁ、四つ目の難題も越えてやったんだぜ? さっさと最後の『五つの難題』を出すんだぜ?」
「その前に休憩よ」
「また休憩かよ? ぺったん、ぺったん……」
「強がっちゃって。まだ完全に幻覚から目覚めてないんだから、貴方も休憩が必要でしょう? 半日ほど休憩しましょうか」
「へん、私には休憩何ていらないんだけどな。ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」
現実と幻覚のハザマにいるにもかかわらず、強気な姿勢を崩さない魔理沙を見た輝夜は思わず苦笑いを見せるのだった。