試し斬り
イワナガ姫が静かに戦闘態勢に入ったことを察知した八意永琳は指示を出す。
「……来るわよ。みんな気を付けなさい。あの姫の能力は私が知っている彼女とまるで違うものになっている……! 優曇華、4段階目まで許可する。お前は『観察』に徹しなさい」
「わかりました、師匠」
優曇華は永琳の指示に頷く。
「気を付けたところで無駄ですわ。私からは逃れられない」
……次の瞬間、イワナガ姫の姿が消える。永遠亭側がイワナガ姫の存在を再認識したとき、イワナガ姫は因幡てゐの配下する兎の一匹の懐に入り込んでいた。……そして、すでにその兎の首は鋭利な刃物で切断されたような断面を残して刎ねられていたのである。
「え……?」とだけ、首を刎ねられた兎は声を出す。首がなくなった胴体側の切断面から血が噴水のように勢いよく飛び出ていた。凄惨な光景に目を見開く永遠亭の者たち。
みなが呆然と兎の最後を見送る中、真っ先に我を取り戻した因幡てゐが怒鳴る。
「お前たち、今すぐ逃げろ! お前たちじゃこの月人には勝てない!」
因幡てゐは永遠亭の兎たちに命令した。珍しく怒鳴る因幡てゐの声に兎たちはビクっと反応した後、逃走を図る。
イワナガ姫は逃げ出した兎たちを追いかけることなく、冷静に次の獲物を狙っていた。
「あの兎、地上の兎にしておくにはもったいないほどの度胸と経験を持っているようですわね。どうやら、思兼様も一目置いているご様子。始末すれば精神的な影響も大でございましょう」
独り言を呟いたイワナガ姫はまた能力を発動し、一瞬でてゐの元に移動する。気付いたときにはてゐの首に広げられた『鉄扇』がぶつけられていた。てゐは衝撃で竹林に吹き飛ばされる。
「てゐ!? 大丈夫!?」
声を荒げる永琳にてゐは「いててて」と頭を抑えながら立ち上がる。
「大丈夫だよ、お師匠様。……だが、こいつは厄介だね」
イワナガ姫は自分の攻撃から生き残った因幡てゐに対して賛辞の言葉を紡ぐ。
「ただの兎だというのに、私の攻撃から生き残ることができるなんて……。丈夫な結界術をお持ちですのね。おかげで私の武器を隠す時間もありませんでしたわ」
イワナガ姫は鉄扇を閉じると口元に当て口角の歪みを隠す。
「その鉄扇、ただの鉄扇ではないわね。合金されているのは『アポイタカラ』か」と永琳が尋ねる。
「ええ。切れ味抜群のお気に入りですわ」
「……イワナガ姫。あなた、妹の『コノハナサクヤ姫』と同じ領域に辿り着いたのね……」
「うふふ。どうでしょうか? 私の能力の根源は妹とは異なりますもの。結果は同じですが、過程が違いますわ」
「……サクヤ姫、咲耶姫だって!?」
妹紅が血相を変えて叫ぶ。
「どうしたのですか、地上の人間。妹の名を憎悪に満ちた目で口にするのは控えて欲しいものですね。不愉快です」
「不愉快なのはこっちの方さ。お前の妹には千年以上前、富士の山で煮え湯を飲まされたんだからな。イワナガ姫……、どこかで聞いた名だと思った。妖怪の山に住んでいる咲耶姫の姉の名が石長だと慧音(知り合い)から教えてもらったことがある。アクセントが違っていたから気付かなかったよ」
「あら? 妖怪の山とは何かしら?」
「とぼけるな! お前が火口を守護している山のことじゃないか!? 元八ヶ岳であるとされる妖怪の山……。そこにお前が宿っているのだと慧音は言っていたぞ!?」
「それはおかしいですわね。私は妖怪の山とやらにも八ヶ岳とやらにも行ったことはないですもの」
「なんだと……?」
「ついでに申し上げるならば富士の山とやらにも伺ったことはございませんわ。サクヤ姫がそこにいるかも知りません。でも……」
「『でも……』、なんだ!?」
「富士の山にいたとあなたが言うサクヤ姫は私の妹であって妹でない可能性が高い」
「……なぜ、そんなことが言い切れる!?」
「言い切れるわけではありません。……しかし、申し上げたでしょう? 私は知を愛して地上に堕ちた。そして妹のサクヤ姫は愛を知るために地上に堕ちた。妹は地上の人間と結ばれたいがために地上に堕ちたのです。そういうのを地上の人間はロマンチックと言うのでしょう? 私には理解できない感情ですが。……サクヤ姫は地上の人間と結ばれるために月の民から人間に戻ろうとしていました。すべての月の民は超科学を用いて、魂、精神、肉体に神に似た力を宿している。月の民が長寿なのも神に似た力を持っているからなのです。しかし、地上の人間と添い遂げたいサクヤにとって長寿は要らなかった。だから、サクヤは神に似た力を解き放ったのでしょう。その力の断片が貴方のおっしゃる富士の咲耶姫と八ヶ岳の石長姫になったに違いありません。もちろん、断言はできませんわ。もうあの子と別れて何千年の時が過ぎていますもの」
イワナガ姫はふぅと溜息を吐く。
「……デタラメ言いやがって」と息巻く妹紅。
「そう感じるのなら、そう思ってもらって結構ですわ」
「姉妹揃って碌でもなさそうな奴らだ。ここで私が燃やしてやる……!」
「どうして、地上の人間はそう粋がるのでしょうか? まぁ、私としては好都合です。このアポイタカラ合金の扇の切れ味をもっと試したかったところですもの。何度も斬れる蓬莱人ほど試し斬りに最適な相手もおりませんわ」
「ふざけてろ。お前が丸焦げになる方が先だ!」
妹紅は両拳に炎を纏わせて戦闘態勢に入る。
「無意味なことを……」
言葉をこぼすイワナガ姫。その時には既に妹紅の首と四肢は扇によって切断されてしまっていた。
「な……に……!?」
疑問符を口で紡いだ妹紅の体が炎に包まれた。それは妹紅が何百、何千と経験してきた死と復活の合図。炎の中から綺麗な体で戻ってきた不死鳥、藤原妹紅は背後にいるイワナガ姫に睨みを利かせる。
「くっ!? どうやって私を殺した!? 全く見えなかったぞ……!?」
「そうでしょうね。貴方が私を感知する前に殺しているのですから」と言った直後、妹紅の心臓を閉じた扇で一突きにするイワナガ姫。
「がっ……!?」
声を残し、再び復活の炎に包まれて再生する妹紅。イワナガ姫はくすくすと笑っていた。
「さて、何度殺せば貴方は死ぬのでしょうか?」
復活直後に扇で殴り飛ばされた妹紅は地面に叩きつけられる。妹紅はすぐに起き上がり、イワナガ姫の方向に視線を向けるが……もうそこに彼女の姿はない。
「どこを探しているのでしょうか?」
妹紅の背後から聞こえる落ち着いた声。すぐに振り向く妹紅。
「くっ!? いつの間に……!?」
「貴方では絶対に私の動きを捉えることはできませんわ。大人しくいつまでも斬られ続けることです」
次の瞬間、妹紅の右腕は刎ねられていた。痛みを感じると同時に、扇の軌道すらも見ることができないことに妹紅は寒気を覚える。
「どこまで刻めば死ぬのでしょうか?」
イワナガ姫は妹紅を弄ぶように、四肢を切り刻む。そして再生へと追い込まれる妹紅……。
「うふふ。手足だけなら百切れぐらいまでなら耐えられるようですね。お次は思い切って首を切断して差し上げますわ」
見えない斬撃が妹紅を襲う。一瞬で妹紅は頭部を切り離されて殺された。
その後も胴を真っ二つに斬られたり、体を縦半分に斬られたり、と。バリエーション溢れる殺し方をされ続ける。反撃や回避を試みたがテレポートのように一瞬で移動し、雷よりも早く攻撃を仕掛けられては手の打ちようがなかった。
「ふふふふ。さぁ、これで三百回は死んだんじゃないかしら?」
再生を繰り返す妹紅に、イワナガ姫は笑いながら問いかける。妹紅ははぁはぁと息切れをし始めていた。
「く、くそ。あの褐色銀髪の魔女もお前も人をばかすか何回も殺しやがって……!」
「あら、もしかして弱って来ているのですか? 世にも珍しい蓬莱人の死を見ることができるかもしれませんわね。とりあえず千回殺して差し上げましょう!」
なおも、妹紅を殺し続けるイワナガ姫。殺し続けた結果、妹紅に変化が現れ始めた。
「うふふ。おやおや。復活のスピードが落ちてきたのではなくて? どうやら精神の疲弊が溜まると、少しずつではありますが復活しづらくなってくるようですわね。さ、もっと殺して差し上げましょう。いつまで持ちこたえることができますかしら……!」
「いい加減にしなさい」
声とともに、イワナガ姫の鼻先を一本の矢が横切る。弓を引いていたのは永遠亭の天才薬師、『八意永琳』であった。
「これはこれは思兼様。穢れた地上の人間を助けるということですか。本当に変わってしまわれたのですね」
「……たしかに私はかつて地上の人間を見下していたわ。でも、残虐に殺しても良いと教えたことはない。変わってしまったのはあなたの方よ」
「それは思兼様が私のことを見誤っていただけのことですわ。私は今も昔も変わってないですもの」
「……弟子の不始末は師匠の責任。ここであなたを止めてみせるわ」
「うふふ。さすがの思兼様でも今の私に勝つことはできませんわ」
またも一瞬で永琳との間を詰めるイワナガ姫。彼女の開かれた扇は永琳の首元を刎ねようとしていたが……、寸前のところで永琳は扇を矢で受け止めていた。
「……さすがは思兼様。私の扇を受け止めることができるとは……」
「……くっ……!? ……あなたの思考パターンを詳細に知らなければ受け止めることもできずにダメージを負っていたでしょうね。イワナガ姫、あなたやっぱり、サクヤ姫と同じく……」
冷や汗をかく永琳にイワナガ姫の余裕の微笑を浮かべて、答える。
「ええ。ご推測のとおりですわ。私は時を止められる。妹に遅れること数万年。やっと私も彼女と同じ領域に到達したのです」
イワナガ姫は口元を扇子で隠す。上品な所作とは裏腹に、その心は傲慢で満ちているようだった。