人間因子
「伊弉諾物質……!? かつて創造神がこの国を造るのに使ったといわれる『神代の魔術道具』のことかい、お師匠!?」とてゐは永琳に尋ねる。
「……ええ。今となっては妖怪の山の一部にわずかに残るものを掘り出すしか、手に入れることのできない貴重かつ高性能の鉱物……。なるほど、人の魂をも封ずる伊弉諾物質を用いれば運を集めるのも容易いでしょうね」と永琳は答えた。
イワナガ姫は微笑を崩さずに伊弉諾物質で造られた勾玉を胸元に戻す。
「まあ、お母様からすれば元々『こんなもの』は貴重でも高性能でもないそうですよ。しかし、現状他に代用品が見当たらないために使われているのです」
「お母様……、それがルークスとやらの首領か。……貴方たち、勾玉を幻想郷中にばら撒いて運を吸い上げているのね?」
「うふふ。幻想郷だけではありませんわ。この地球に点在する主要なコミュニティにも配置しておりますので」
「……幻想郷だけでは飽き足らず、他の理想郷にも手を出しているってわけ……」
「ああ、おいたわしい。かつての貴方様なら、地球にある複数のコミュニティを同じ組織が一斉に奪おうとしていることに気付けていたでしょうに……。穢れた地上に侵され、白痴になってしまわれたのですね」
イワナガ姫は人差し指を目元に当て、しくしくと泣くようなジェスチャーを見せる。もちろん嘘泣きだが。永琳はイワナガ姫の安っぽい演技を無視して話しかける。
「……地球中の理想郷に伊弉諾物質を配置するならば、とてつもない量が必要となるはず……。貴方たち、それほどの量の伊弉諾物質をどうやって確保した? かつて地上にあった伊弉諾物質は月の民によって、そのほとんどを掘り尽くされた。月から盗んだ……わけでもないでしょう? そんなことをしていれば今頃、月の連中は大騒ぎをしているはずだもの」
「うふふ。さっきも申し上げたじゃありませんか。こんなものはお母様にとっては貴重でも何でもないのですよ。さて、お話は終わりにしましょう。お母様の邪魔を……、完全な生命体の復活を邪魔されるわけには参りません。……貴方たち、この屋敷にいる全ての者を殺しなさい……」
イワナガ姫は配下の玉兎たちに指令を下した。姿を現す兎のソルジャーたち……。
「……結構な数だが、やってやろうじゃないか、いくよお前たち!」
因幡てゐに発破をかけられた地上の兎たちも立ち上がる。いつの間にやら皆、杵をその手に持っていた。
「うふふふ。そんな木の棒で銃火器を持つ私の玉兎とやり合おうというのかしら?」
「こちとら平和主義者なんでね。アンタらみたいに物騒なモノは持ってないのさ。どっちが強いかはやってみればわかるよ。地に堕ちた月のお姫様」
「うふふ。地上の兎ごときが生意気に挑発するとは……。その挑発、乗って差し上げますわ」
イワナガ姫が永遠亭に向けて手を翳す。攻撃の合図だった。玉兎たちは一斉に永遠亭メンバーに襲いかかる。八意永琳は鈴仙・優曇華院・イナバに命じた。
「優曇華、一段階目を『許可』する」
「最初からそうおっしゃってくれれば、さっきだって恥をかかなかったのにぃ!」
「……ブレーキをかけないとあなたはどこまでも突っ走ってしまうでしょう?」
はぁとため息を吐きながら、永琳も弓を構える。
「てゐ、時間稼ぎを頼むわ。……不比等の娘さん、貴方にも協力を仰ぎたいのだけれど?」
「別にいいよ。ちょうど、月のお姫様を殴り足りないと思っていたところだからね……!」
「そう。じゃあよろしく頼むわよ」
戦闘を開始する永遠亭とイワナガ姫たち。イワナガ姫も玉兎に追加指令を下す。
「一殺がノルマよ。玉兎たち」
「何がノルマだ。高みの見物とは良い身分だね。こんな兎兵士どもなんてすぐに片付けて、お前を殺してやるよ、お姫様!」
妹紅は銃剣を使って襲い掛かってくる玉兎に対して炎の妖術を撃ち放った。玉兎は結界を張って妹紅の炎を防御する。
「中々良い守りをするじゃない……かっ!?」
妹紅の脇腹に鈍い痛みが走る。一発の銃弾が妹紅の胴を貫通していた。
「まだ隠れて動いてる連中がいるようだね。お前たち、結界を張り忘れるなよ。藤原の娘と違って私たちは蘇られないからね!」
妹紅の負傷を目にした因幡てゐは、部下兎たちに注意を促す。隠れた敵が見えない以上、兎たちは結界に重きを置かねばならず、防戦一方にならざるを得なかった。だがそんな中、見えない敵の攻撃などお構いなしに攻撃特化で闘い続ける者が一人。……それは最初にダメージを受けた藤原妹紅だった。彼女は不死身の肉体を最大限生かし、弾丸を何発受けようと攻撃の手を緩めない。
「な、なによこいつ……!? 何発受けても怯まない!?」
倒れもしなければ、攻撃の手も緩める気配のない妹紅にたじろぐ玉兎。
「この程度の鉛玉。輝夜との殺し合いに比べればかすり傷なんだよ! そぉらぁああ!」
妹紅は拳に火を纏わせ、玉兎に熱い一撃を喰らわせる。玉兎は火だるまになりながら地面に叩きつけられた。
「自分の身をかえりみない捨て身の一撃……。なんて野蛮な攻撃かしら。これだから地上の穢れた民は……」
イワナガ姫は口元こそ微笑んでいたが、眉間に皺を寄せて妹紅の攻撃を評する。
「次はお前がやられる番だ……!」
妹紅は玉兎を倒した勢いそのままにイワナガ姫に飛びかかる。炎に包まれた妹紅の拳がイワナガ姫の顔面に接触せんとするその時、不可解な現象が起こった。……一瞬でイワナガ姫の姿が消えたのである。行き先をなくした妹紅の拳が空を切る。
「くっ!? どこに消えた!?」
妹紅は辺りをぐるりと見渡すが、イワナガ姫の影は見当たらない。
「こっちよ」
頭上からの声に反応した妹紅は空を見上げる。そこにはくすくすと笑うイワナガ姫が優雅にホバリングしていた。妹紅は睨みながら口を開く。
「……いつの間に移動しやがった。全く見えなかったぞ。やっぱりお前、テレポーテーションを使えるんだな?」
「さぁどうでしょう?」
余裕の表情を浮かべたままとぼけるイワナガ姫。
妹紅とイワナガ姫の一連のやり取りを玉兎に対応しながら観察していた八意永琳は、イワナガ姫の実力が自分の知っているかつての彼女と大きく乖離していることに気付く。イワナガ姫の危険性を察知した永琳は独りごちる。
「どうやら、兎たちに手間取っている時間はなさそうね。……優曇華、急ぎなさい!」
「間もなく終わりますよ、お師匠様! ……全員捕捉したわ。後は撃ち抜くだけ!」
鈴仙・優曇華院・イナバは指でピストルのハンドサインを造ると、銃口となる人差し指から四方八方に無数の紅い光線を撃ち放った。
「お、おい、鈴仙ちゃん! 一体どこに向かって撃ってるんだ!?」
妹紅は思わず鈴仙に問いかける。鈴仙の撃った先は何もない空間だったのだから妹紅が驚くのも無理はない。だが、そんな妹紅の疑問は次の瞬間には納得に変わった。鈴仙が撃ち抜いた空間に淡い稲光が走ったかと思うと、ダメージを受けてうずくまる玉兎の姿が浮かび上がってきたからである。
「……何もないところから突然、敵の兎が……。これは……光学迷彩ってやつか?」
呟く妹紅。鈴仙が撃ち抜いた場所全てから、透明だった玉兎たちが次々と現れる。光学迷彩を発動する装置を鈴仙が兎たちごと撃ち抜いたからだ。ダメージを負い、痛がる素振りをする玉兎たちを確認して、鈴仙は自身の人差し指に向けて息をふっと吹きかける。
「手加減してあげたわ。全員生きてるわよ。さっさとお仲間を連れて帰りなさい」
鈴仙は勝ち誇った様子でイワナガ姫に退却を勧める。その様子を窺っていた永琳は「また調子に乗っている」と眉間に皺を寄せていた。
「へぇ。生物センサーというわけですか? 思兼様も面白いペットをお持ちですのね。私の玉兎を捉えることができる能力を持つ兎だなんて……」
「……私はもう、兎たちをペットだとは思ってないわ」
永琳の回答にイワナガ姫はくすくすと笑う。
「まさかとは思いますが……、たかが兎と我々を同一視されるおつもりですか? そんなことは許されません。ある意味では神に背く行為ですもの。そのことは思兼様がもっともご存知のはず」
言いながら、イワナガ姫は苦しむ玉兎を指さすと先端から光球を発射した。光球は玉兎の体に入り込む。光球を入れられた玉兎は間もなく、激しく光り出し……爆発した。
「こ、こいつ自分の仲間を……!?」
驚愕する妹紅をよそに、イワナガ姫は玉兎の『処分』を進める。一匹、また一匹と動けなくなった玉兎たちを爆発させていった。
「お前、何しやがる!?」
敵である玉兎とはいえ、無慈悲にイワナガ姫に殺される姿を見て嫌悪感を募らせた妹紅は、イワナガ姫を止めようと再び殴りかかった。しかし、やはり一瞬で移動され、捉えることができない。
「くっそ。ちょこまかと逃げるんじゃないよ……! なんで仲間に手をかける!?」
「仲間……? 冗談を言わないでくださいな。玉兎はペット。不可逆的なダメージをペットが受けたのならば安楽死させてあげることも飼い主の務めでしょう?」
「……前々から思っていたことだが……、お前ら月の民とは考え方が相容れないな……! 姿かたちがヒトと変わらない兎妖怪が『ペット』だって? 倫理感の欠片もないこと言いやがって……!」
妹紅は感情のままに自分の意見を述べていた。姿かたちが人間に見える者の尊厳を認めるべきという妹紅の言葉。人間本位的ではあるが、きっと大きく間違っているわけでもないであろう妹紅の考え方。だが、イワナガ姫はそれを切り捨てる。
「うふふ。ヒトに似ているから玉兎を動物扱いするな、ですか。面白い冗談を地上の人間もするものです」
相変わらず、くすくすと嘲笑するイワナガ姫に妹紅は怒りをさらに露わにした。
「何がおかしい!」
「おかしいですね。おかしくておかしくて怒ってしまいそう……。……知っていますか、地上の人間よ。我ら月の民は『肉を食べない』」
「……何が言いたい!?」
「あなたたち地上の人間がどうやって生まれたか、知っていますか?」
「なんの話をしている……!?」
「最近は地上の人間も少しは賢くなってきているみたいで……。人間は猿から進化したと突き止めることができたようですわね。あなたはご存知でしたか?」
「それくらい、私だって知っているさ。馬鹿にするな」
「良かった。あなたもそれくらいはご存知でしたか。ならば、問いて差し上げます。『お前たち人間は、猿やチンパンジーが改造を受けて人間のような姿に近づいた時、それをヒトと認めるのか?』」
「……なんだと?」
「おそらくヒトだと認める者は少ないでしょう? ならば、私たち月の民……月の人間が玉兎をヒトではなく、ペットだと結論付けているのも理解できるはず……」
妹紅はハッとする。妹紅は月の民は最初から月の民として生まれていたのだと朧気に思っていた。神と呼ばれる存在から月の民として作られたのだと。だが、イワナガ姫の言葉を受け、それは違っているのだろうと推測する。妹紅はイワナガ姫に確認をとった。
「どういうことだ……? お前たち月の民もまた、最初から月の民ではなかったってことか……?」
イワナガ姫は口角を歪める。
「ええ。我々月の人間も進化によって生まれたのですわ。我らの祖先もまた、地上で暮らしていたのです。まだ、恐竜がこの地上を闊歩していた頃、我々人間の祖先は天敵に怯えながらも進化を始めていた。一億年と少し前に、兎と猿に進化する共通の祖先が現れ、枝分かれを始めた。『タイコウサギ』……。それが月の民の祖先。タイコウサギは急激な進化を遂げ、『人間』となり、超古代文明を生み出したのです。そして、遅れること数千万年。一部の猿も人間へと進化した。だから、月の民は地上の人間を一目置いてはいるのですよ? 地上の『人間』扱いしているのがその証拠。ですが、生ける者を喰わなければ生きることのできぬ地上の人間は、一部の月の民には『穢れている』ものだとみなされ、忌避された。我々月の民は元々兎ですから、草や果実しか口にしないですもの。生きるために生物を殺す必要がないのです」
「……私たち地上の人間が猿を人間扱いしないのと同様に、お前ら月の民は兎を人間扱いするつもりがない……、そういうことか!?」
「そういうことです」
「解せないねぇ」と言って、妹紅とイワナガ姫の会話に割って入ったのは因幡てゐだった。てゐは続ける。
「アンタら月の民は、進化元の兎さえも下に見ているってのに、なんで猿から進化した地上の人間に一目置いてるんだい? そこまでプライドが高いんなら、猿から進化した人間も見下しそうなもんだが……」
「へぇ。兎のくせにそこに気付くなんて……。地上の兎も隅に置けないですわね。……簡単なことです。月の民も地上の人間も持っているからよ。『人間因子』を。だから、月の民は地上の人間に一目置いているのです」
「人間因子、ねぇ……」
「ええ。人間だけが持っている特別な因子。妖怪化したり、遺伝子改造したりして姿かたちだけヒトに近づいた異形には決して持つことのできない因子。それを地上の人間は持っているのです。私たち月の民と地上の人間の姿かたちが似ているのは、人間因子を持っているからなのですよ。人間因子を授かった生物は皆、同じような姿になるのです。かつて私たち月の民が人間になった時、同時期に恐竜の一部にも人間因子を授かり、人間になった者たちがいました。しかし、彼らはすぐに滅亡してしまった。肉食である彼らは互いを殺し合い、文明を築くことができなかったから。猿の人間も恐竜の人間と同じ運命を辿るかと思っていたのですが……、ギリギリのところで踏みとどまっているようですわね」
「にわかには信じがたいねぇ。それぞれに別種から進化して人間になっても、同じような姿になるなんてさ」
「うふふ。たしかにあなたの言う通り。私たち月の民もそう思いましたわ。だから、月の民はこう考えた」
「『神はいる』」
イワナガ姫の代わりに口にしたのは八意永琳だった。永琳は続ける。
「そして、我々月の民は神を求めて研究し続けた。でも数万年前に辿り着いたのよ。人間ごときが神を求めてはいけない、と。だから、あなたたち姉妹にも、綿月姉妹にも、完全を求めてはいけないと教えてきた。なのに、あなたたち山祇姉妹は完全を求めて地上へ下った……!」
「うふふ。それは誤解ですわ、思兼様。知を愛して地上に堕ちた私と、愛を知るために地上に堕ちた妹では理由が全く違いますもの。さて、話が長くなり過ぎました。私とお母様『テネブリス』が望む『始祖の復活』を邪魔されるわけにはいきませんわ。名残惜しいですが、八意思兼様もろとも死んで頂きましょう! 光栄にお思い下さい。私自ら、あなた方を殺して差し上げるのですから!」
イワナガ姫は微笑のまま、眼の奥を殺意で満たすのだった。