イザナギ
「……お師匠様、こいつは誰だい?」
因幡てゐは驚愕の表情を浮かべる八意永琳に問いかけた。
「この子はイワナガ姫。数千年前、月の都から穢れた地上へと自ら堕ちた二人姉妹の一人……。貴方たちには月の未来を託せると期待していたのに……」
永琳は心底残念そうにイワナガ姫の顔に視線を向ける。イワナガ姫は永琳の視線に呼応するようにくすくすと口に手を当てて笑う。
「数奇なものです。『真円』を求めて地上へ下った私と、月のことを一番に思っていた思兼様が、こうして再び地上で邂逅することになるなんて……」
「……真円。まだそんなくだらないモノを創ろうとしているの? この世界に完璧はない。そもそも、この世界自体が不完全のおかげで存在しているのよ。『対称性の破れ』を始めとする完全の概念から程遠い事象が存在するからこそ、我々の世界は存在する。『不完全こそ完全』。貴方たち姉妹にも教えたはずよ」
真円の否定を口にする永琳。その言葉を聞いたイワナガ姫は相変わらず、くすくすと笑っていた。
「思兼様……。私もそこまで愚劣ではありません。私が望む『真円』とは思兼様のおっしゃる意見と矛盾しませんよ? 私が見つけたいのは……、いえ見つけ出したのは『完璧なる不完全』なのですから……!」
「見つけ出した……? 創り出したのではなく……?」
「うふふ、思兼様。私はもう貴方の先を行っているのかもしれません。『完璧なる不完全』とは『完全な生命体』のこと。月の民が創生することを諦めた概念に私は近づいているのです」
「……何を馬鹿なことを……。『始祖』がまだ生きているとでも言うつもりなのかしら?」
「近からずも遠からず、と申し上げたならば貴方様はどんな顔をなさるでしょうか?」
「なんですって……?」
眉間に皺寄せ、八意永琳は額に動揺の汗を垂らす。
永琳とイワナガ姫の会話が何のことだかさっぱり理解できない藤原妹紅が口を挟んだ。
「おい、さっきからお前ら二人は何を話しているんだ……!? ……イワナガ姫とか言ったね。お前、ルークスとかいう魔女組織の人間なのか?」
尋ねられたイワナガ姫は見下すように妹紅を見やる。
「あらあら。この中に月の民と兎だけでなく、地上の穢れた人間が紛れ込んでいたのですね。この感じ……。貴方、『蓬莱の薬』を口にしたのかしら? 穢れた地上の人間らしい無粋な行為ですこと」
「……どうやら、月のお姫様ってのは私を苛つかせるのが得意なヤツばかりみたいだね。質問に答えろ……!」
妹紅は妖術で火の玉を生成した。火の玉はイワナガ姫へと一直線に飛んでいく。
「やはり地上の人間は血の気が多い。好きになれませんね。……十二号、何をしているの? 盾くらいにはなりなさいな」
次の瞬間、イワナガ姫の前に、彼女の配下の玉兎が一瞬で現れる。玉兎はイワナガ姫に代わって妹紅の火の玉を受けることになってしまった。悲鳴を上げて、苦しむ十二号の玉兎……。
「……いきなり目の前に兎が……。テレポーテーションってやつか?」
「ふふふ。地上の人間にしては中々の威力ですね。十二号が大やけど」
「仲間を盾にするとはな」
「主人を守るのが玉兎の務めですもの」
妹紅の嫌悪感に答えるイワナガ姫。微笑のまま話すイワナガ姫の表情に温かさはない。玉兎への配慮など頭の片隅にもないのだろう。
今度は永琳が妹紅とイワナガ姫の会話に口を挟む。
「玉兎にも意思があるのよ。まだ、そんな時代遅れの価値観を……」
「良くおっしゃりますね。貴方様もかつては玉兎を酷使していたでしょうに……。批判される筋合いはございません。地上の兎どもと戯れて情が移りましたか?」
「情が移ったのではないわ。目が覚めたのよ、地上に堕ちたおかげでね。……貴方たちは運を奪って何をするつもりなのかしら?」
「もうとっくにお気づきのくせに……。私の行動原理は真円を……、つまり完全な生命体をこの目にすること。そのために私は動いているのです。それ以外に興味はございません」
「……どうして能力の高いものは狂気に当てられてしまうのでしょうね。……始祖を蘇生させるとでも言うの?」
「いいえ。始祖の蘇生は困難であることは貴方様もよくご存じのはず。私たちが起こそうとしているのは、もう一人の始祖の復活ですわ」
「もう一人の始祖……ですって? そんな、まさか……」
「そのまさかなのですよ、思兼様。我々月の民にも、そして誰が流布したか地上の民にも伝わる始祖……。その御方はまだこの世に実在する。我々はその方のために動いている。私は見たい。完全な生命体の復活を……、すなわち真理を……!」
「馬鹿げたことを……! 貴方たちは騙されている!」
「そう思うのは無理もありません。ですが、真実なのです。我々ルークスは御方のために動いているのですわ。御方の復活のため、この竹林の運も頂くことにしましょう!」
イワナガ姫は和風ドレスの胸元から勾玉を取り出した。虹色に光るそれは永遠亭の運を奪おうと妖しく光る。
「それは……!? ……やはり使っていたのね……! 伊弉諾物質……!」
「ええ。お母様はこの勾玉がその名で呼ばれるのを非常に嫌っておられましたけどね……!」
イワナガ姫は袖を口元に当て、くすくすと笑うのだった。