無意識の領域
「素晴らしぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」と重ねて奇声を上げるダンタリオンを不思議そうな眼で古明地こいしは見つめる。
「黒髪さんどうしたの? そんなに喜んで……」
「んん! これははしたない真似をしてしまいました。だが、あまりに興奮してしまったもので……。私以外に無意識の領域に踏み込んだ者がいることに驚愕と嬉しさを覚えてしまったのですよ」
「ふーん。お姉さん、もしかして変態さんなの?」
「……私の腹を突き刺したナイフを片手にして顔色一つ変えていない貴方には言われたくありませんねぇ。……貴方の仕業ですか? 灼熱地獄跡に置き去りにしたはずのモンスターどもを地霊殿へと運んだのは……」
「うん、そうだよー。あのまま放って置いたらお空たち死んじゃってたもん」
「……なるほど。無意識の領域に身を置き、私から観測されないようにしてから、堂々と私の横を通ってお仲間を助けていたわけですか」
「黒髪さん悪い人だよね? だってお空たちを殺そうとしたんだから。そしてお姉ちゃんも……」
「お姉ちゃんというのはあのピンクの覚妖怪のことですね? あの覚の記憶に貴方は出てきていましたから。たしか……貴方のお名前は古明地こいし……」
「へぇ。やっぱり黒髪さんも心を読めるんだ。そしてお姉ちゃんに手を出したのも貴方で間違いないんだね。やっぱり黒髪さん、あなた悪い人なんだー」
「ふむ。たしかに悪い人かもしれませんねぇ。しかし、貴方も人のことは言えないのでは?」
「どういうこと?」
「私が勾玉をマグマ溜まりに落とし、爆発が起きるまでに大した時間はかかっていなかった。そんなわずかな時間で助けることに成功している。つまり、貴方は私と鴉どもが戦闘していたことを事前に知っていた。鴉どもが痛めつけられていることも把握していたはず! なぜ、すぐに助けに入らなかったのですか? まぁ、貴方が病的なサディストという線もありえそうですが……」
「……私はすぐに助けたよ。優先順位があっただけ。まずはお空を助けなきゃならなかった。そして次にお姉ちゃんを……」
「んん? たしかに鴉は助けていますが……、あの覚は特に介抱されている様子はありませんでしたが……?」
「…………」
「だんまりですか……。それでは心の方を読ませてもらいましょうか……と思いましたが、どうやら貴方は私と同程度の領域に踏み込んでいるようですねぇ。貴方の心は全く読むことができない。完璧に『心を閉ざしている』。信じられませんねぇ。私でさえもそこまで完全な精神コントロールは行えません。……お母様に良い手土産を持って帰ることができそうです」
「手土産? お土産?」
「ええ。貴方のお姉さんを実験体として我らが母、テネブリスのために持ち帰ろうと思っていたのですが……、それよりもよほど興味深い存在が目の前に見つかりましたからねぇ。ですが、貴方は幸運ですよ? 貴方なら実験体として殺されることはないでしょう。お母様は慈悲深いお方。実力さえあれば、どんな者であっても重用する方ですからねぇ」
「やだよー。私はこの幻想郷で楽しく暮らすんだもん」
「残念ながら貴方に拒否権はないぃいいいいいいい!」
ダンタリオンは左手人差し指を槍のように形状変化させると、こいしの喉元目掛けて高速で伸ばすように射出する。
「……ほう?」
ダンタリオンは感嘆符を漏らした。古明地こいしがその手に持つナイフでダンタリオンの指を受け止めていたからである。
「危ないなぁ」
「私の槍を完全に見切った上でのナイフ捌き……。中々の身体能力をお持ちじゃないですか。……やはり、姉よりも貴方の方が優秀なようですねぇ……」
「……そんなことないよ。だってお姉ちゃんは凄いもん。地底の妖怪やペットたちはお姉ちゃんのことを信用してるし、お姉ちゃんもみんなを信用してるの。私には絶対できないことをお姉ちゃんはやってるんだから。私に出来るのは地霊殿に手を出す者を追い出すことだけ……」
「……なるほど。ようやく合点が行きました。おかしいと思っていたのですよ。大量の運を放出する潜在能力がある灼熱地獄跡。それが放って置かれ、大した力もなさそうなあの覚妖怪に支配されていることに……。貴方が影で暗躍し、地霊殿と覚妖怪を狙う者たちを屠っていたわけですねぇ? そのヒトの無意識に入り込む能力を使って人知れず……」
「……殺したりはしてないよ。そんなことしたらお姉ちゃんが悲しむもん」
「ふむ。言葉通りに受け取っておきましょう。ただ、これだけは間違いない。この地霊殿の裏の所有者は貴方だということ。あのピンクの覚妖怪がお姫様ならば、貴方は影の女王といったところでしょうか?」
「裏も表もないよ。地霊殿の……地底のリーダーはお姉ちゃんだよ。今までもこれからも」
「謙虚ですねぇ。あくまでも姉への尊敬の念を崩しませんか。……残念ですが、『これから』はありませんよぉ? 『ここまで』です。不死身であることが判明した私に貴方が敵うことはないぃいいいいいい!」
ダンタリオンは右腕をハンマー状に変化させると、古明地こいしに殴りかかる……! 軽い足取りでステップを踏むように躱したこいし。次の瞬間、こいしの姿がダンタリオンの視界から消える……!
「んんんん! 私の広げた心の認識域。その領域のさらに外側にある無意識へとその精神を移動させましたか……! んぐぅ!?」
ダンタリオンの首筋に見えないナイフの斬撃が襲い掛かる。首から銀色の血液が噴き出した。
「んん! 不死身とは言え、痛みは感じるのですよぉ? やたらめったらと刺さないで頂きたいものです。……私もまだ、全開ではないのですよぉ!?」
ダンタリオンは自身の胸に手を当て、魔力を込める。
「見つけたぁあああああああ!!」
心の認識域をさらに広げたダンタリオンはこいしの姿を再び認識することに成功する。ダンタリオンはハンマーとかした右腕をこいしにぶつけた。こいしは持ち前の身体能力で衝突の被害を最小限にするように体を滑らせたが、完全には避けきれずに壁に叩きつけられる。
「くっ……!?」と息を吐き出すこいしにダンタリオンは言葉を浴びせる。
「んんんんん! 良い! 非常に良いぃいいいいいいい! 自分の技術を最高に生かせる戦闘程心地よいものはないですからねぇえええええ! 貴方との戦闘は気持ちが良い!」
「……凄いね、黒髪さん。まだ、私の姿を見つけられるんだー?」
そう言い終わると、こいしはまたもその姿をダンタリオンの視界から消失させる。
「ん何ぃ!? 認識域を最大に広げた私でも捉えることのできない更に外側の無意識にまで到達できるというのですかぁ!? うっぐぅ……!?」
ダンタリオンは無数の斬撃に襲われる。言うまでもなく、こいしのナイフによるものだ。傷つけられ、うめき声を上げるダンタリオンだが、その表情に余裕は残る。
「んんんやはり素晴らしぃいいいいいいいい!! この私でも捉えることのできない無意識の領域にその身を置くことができるとはぁあああああああああ!? んしかしぃ! それと勝敗は別ですよぉおおおお!?」
ダンタリオンは両腕を無数の糸に変化させると、蜘蛛の巣のように張り巡らせ、空間を埋め尽くした。
「んん! 古明地こいし! 貴方は素晴らしい! 私をも上回る認識のコントロール! 素直に劣っていることを認めましょう。私では貴方を捉えられない。ですので諦めましょう。貴方を『私自身で捉える』ことを!」
言い終わった時、ダンタリオンが張り巡らせていた糸がピクリと動くすると一斉に糸の全てが動き出し、一点に集まると何かを捉えた。そう、古明地こいしを……。
「んん! 捕まえましたか!」
ダンタリオンは糸を腕に戻し、こいしの首を絞めるように持ち上げる。
「くっ……!? 黒髪さん……。どうして私の場所が分かったの……?」
首を絞められたこいしは苦しそうな息遣いで尋ねる。ダンタリオンは不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「『私』は見つけていませんよぉ? 『私の意識』では貴方を捉えることはできませんからねぇ。私は私の腕に術をかけておいたのですよ。何かにぶつかれば、私の意図と関係なく捕まえるように、ね。私自身は無意識を捉えることはできませんが、私の術は無意識に貴方を捕まえた。そう、例えるならハエトリソウのように……」
ダンタリオンはこいしを捕らえたまま壁に押し付けると、体の一部を槍に変え、こいしに突き刺した。手の甲と大腿部を貫かれ、壁に磔にされたこいしは甲高い悲鳴を上げる……。
「ここまで痛めつければ、さすがに無意識の領域に逃げ込むことはできないようですねぇ。……ところで、なぜ貴方のサードアイとやらは閉じられたままなのです?」
磔にされたこいしの体がピクリと反応する。ダンタリオンは口を動かし続ける。
「その眼が覚妖怪の能力を司っているのでしょう? なぜ閉じたままなのでしょうか? 興味をそそられますねぇ。もしや、貴方の心が読めないのはその眼が閉じられているからでしょうか? 姉の覚妖怪のトラウマを覗いた時、両親と人間たちが倒れた血の海の中、自分自身で眼を潰したと語る貴方の姿を見ました。……貴方の『無意識の領域』の秘密もその閉じられた眼にあるのでしょうか?」
「……やめた方がいいよ、黒髪さん」
古明地こいしは諭すように口を開く。
「んん?」
「……私の眼を強引に開こうとしてるんでしょ? 今ならまだ引き返せる。大人しく地霊殿から去ってくれないかな?」
「フフフフ。何を言い出すかと思えば……。それは何の虚仮脅しですか? ますます貴方の心の中が読みたくなってきましたよ。貴方の心の中には、私のまだ知らぬ無意識を操る術がある……!」
「後悔することになるよ……?」
「くどいですねぇ。そんな脅しに私が屈するとでも? むしろ、さらに貴方の心の中を見たくなってきましたよ! なぜ脅しをかけてまでご自身の心の中を読まれたくないのか……。もしかして、貴方も姉と同じく弱い精神性をお持ちだからでしょうかねぇ!?」
ダンタリオンは磔になっているこいしのサードアイを強引に掴むと閉じられた瞼を力づくで開こうとした。こいしもそれを拒むように、強く瞼を閉じる。
「往生際の悪いことをしないでくれませんかねぇ! 貴方に拒否権はないと言ったでしょぉおおおおおおおおお!?」
更に力を込めるダンタリオンの前にこいしのサードアイは強引に開かれる。……開かれた第三の瞳はダンタリオンをぎょろりと覗き込むのだった。