取り戻した意識
「お空ぅううううううううううううううううううううううう!!!?」
霊烏路空がダンタリオンの手によってマグマの中へと突き落とされたのを見た火焔猫燐は、真っ青な顔で悲鳴を上げる。
「んんん! あの鴉の心の声は完全に消え去っている。すなわち死んだということ!」
「よくも……お空を……!」
燐は涙目でダンタリオンを睨みつける。肩と膝を銀色の槍で貫かれ、張付けにされた状態で……。
「んん! ご心配なく、すぐに貴方もあの鴉の後を追わせてあげましょう」
言いながら、ダンタリオンはモーニング服の懐から勾玉を取り出した。
「何よ、それは……!?」
燐は歯ぎしりしながら問いかける。
「これはお母様が作り出したアイテム。運脈を最大限に活性化させて運を取り出し、お母様の元へと伝送する装置!」
「運……ですって?」
「んんんん! やはりこの幻想郷というコミュニティに住まう妖怪や人間どもは、自分たちがいかに恵まれた環境に置かれているかを理解していないようですねぇ。運の有難さを知らぬままにその恩恵を享受している! もっとも、畜生上がりの妖怪に気付けというのも無理があるでしょうが……」
「くっ……!? 運が何だってんのさ!?」
「おやおや。貴方が妖怪化できているのも運のおかげだというのに……。……簡単に説明するならば、モンスターや妖精が生まれたり、魔法などの特殊現象を発生させたりするのに不可欠なものが運なのですよ。この地球にはこの幻想郷以外にもコミュニティが複数ありますが、ここ幻想郷は最も運の含有率が高い! それ故、お母様は最後の地に幻想郷を選んだのです」
「……最後の地? お前たちこんなことを他の場所でもやっているの……!?」
「いかにも。地球上に点在するコミュニティから運を奪い回っているのです。そしてようやく最終地点であるこの地に手を出すことになりました」
「そんなにたくさんの運を奪って何するつもりよ!?」
「お母様の崇高なる心を読むなど恐れ多くてできません。それ故、そのご意志を正確には把握してはいませんが、おそらくは……『世界の再建』と言えば良いのではないでしょうか」
「世界の再建? 意味の分からないことを……」
「私にも全ては理解できないのです。ましてや陳腐なモンスターである貴方に理解できるはずもない。……喋り過ぎましたねぇ。それでは貴方を鴉の元に送って差し上げるとしますか」
ダンタリオンがその手に持つ勾玉をマグマ溜へ落とそうとした時だった。ダンタリオンの頭上から騒がしい心の声が聞こえてくる。その心の声をダンタリオンは知っていた。
「んん? この声は……? しかし無意味ぃいいいい!」
ダンタリオンは頭上から降ってきた桶を華麗に躱す。落ちてきた桶の中に入っていたのは、地底に入ってすぐのダンタリオンが桶を破壊して倒したはずのキスメだった。
「あぁ!? また避けられた!?」
驚くキスメにダンタリオンは冷静に問いかける。
「んん。あなたの桶はたしかに壊しました。付喪神である貴方が生きていられるはずが……」
「へん。本当によくもやってくれたよね、お前。……ヤマメが蜘蛛の糸で桶を直してくれたんだよ!」
キスメは自身が乗る桶をダンタリオンに見せつける。桶は白い糸で強固に補強されていた。
「……ヤマメ? その名も聞いた名ですねぇ。たしか……旧都に入る前に遭った土蜘蛛がそのような名でしたねぇ。……!?」
ダンタリオンは何かに気付き、上空を見上げる。複数の心の声が聞こえたからだ。灼熱地獄の淵に見知った顔が立ち並んでいた。
「ほう。存外にタフじゃないですか。揃いも揃って私の前に再び姿を現すとは……」
ダンタリオンの視線の先に立っていたのは、黒谷ヤマメ、星熊勇儀、水橋パルスィの3人だった。まだダンタリオンから受けた傷は癒えてはいないのだろう。彼女たちは満身創痍の体を引きずりながらも立ち向かっていた。
「おやおや。大人しくしていれば、死なずに済んでいたかもしれないのに……」
「そうかもな。だが、ウチの大将がやられて黙っていられるほど、私たちも薄情じゃないのさ」
星熊勇儀がその場にいる妖怪たちの気持ちを代弁するように口を開いた。
「大将というのはこの地霊殿の主である覚妖怪のことですねぇ? この場に姿を現していないところを見るに、彼女は気絶したままということですか。くっくっ。本当に脆いお姫様です。従者が体を張っているというのに……」
「……私たちは従者なんかじゃないさ。旧地獄に住んでんだ。旧地獄を管理する者に敬意を払うのは当たり前だろ? ……さとりをあんな風にしたのはやっぱりお前か。覚悟はできてるんだろうね?」
「それはこちらのセリフですよ? 貴方がたこそ死ぬ覚悟はよろしいですか? まったく、私に敵わないだろうことは貴方がたの方がよくわかっているはず。幻覚で狂い死ぬのがお好みですか? それともシンプルに殴り殺して差し上げましょうか?」
「どれもお断りよ」
勇儀の横に立つヤマメがピシャリと言い放った。
「お前、よくも子供に手を出したわね」
「んん? 一体何のことです?」
「お前が殺した虫妖怪の子供のことよ! ……覚えてもいないってこと? 絶対に殺してやる……!」
「んん! 何という殺意! どうやら本当に退く気はないようですねぇ。ならば、貴方がたが敬愛する地霊殿の主人と同じく心を壊して殺して差し上げましょう!」
ダンタリオンは手を天にかざすと、指をパチンと弾く。燐、キスメ、ヤマメ、勇儀、パルスィ、5人の前に幻像が現れる。現れた幻像はどれも彼女たち各々のトラウマの記憶を思い起こさせるものはかりだった。初めて幻覚攻撃を受ける燐はもちろん、ダンタリオンの能力を事前に把握していた燐以外の4人も解っていても思わずたじろぐ。
「んん! まだ最高出力の半分にも満たないトラウマの幻像ですよ? 貴方がたがどこまで正気を保っていられるか……楽しみですねぇ!」
だんだんと幻像の出力を上げていくダンタリオン。次第に頭を抱えだす地底の者たち……。
「さぁ、トドメを刺して差し上げましょう!」
ダンタリオンが最高出力にしようと掲げていた左手を握り締めた瞬間だった。マグマ溜まりから放たれた極太の光線攻撃がダンタリオンの左腕を消し飛ばす……!
「うぐぁああああ!!!? んん何ぃいいいいいいいいいいい!? 何が起きたのですかぁああああああああああ!!!?」
ダンタリオンは消し飛ばされなくなった左腕の幻肢痛を堪えるように肩口を抑える。痛みの影響からか、ダンタリオンは5人にかけていた幻術を解いてしまっていた。幻術から解放された5人ははぁはぁと息切れを起こしながらも何が起こったのかを確認しようとする。
「溶岩の中からビームが……。……もしかして!」
燐の視線が灼熱地獄跡底面のマグマの海に向けられる。マグマの中から現れたのは……燐の親友だった。
「お空! 無事だったのね!?」
「ごめんね、お燐。心配かけちゃって……。無事ではないかな。右手は消し飛んでるし、右足は溶けちゃってるし……」
「お空!? 意識が戻ったのね!? あの悪魔は自我は死んだって言ってたけど……嘘だったんだ!」
お空が帰ってきた安堵と喜びからか、お燐は眼に涙を浮かべながら微笑む。
「嘘など言っていないぃいいいいい!?」
お燐の安堵の感情を打ち消すかのように、ダンタリオンが大声を出す。左腕を失った痛みと驚愕からか、半ば混乱したような様子でお空を睨みつけていた。
「お前は溶岩に落ちて確実に死んだはずぅうううううう!?」
「……私は地獄鴉。熱には強いのよ」
「そういう意味ではないぃいいいいいいい! 私はたしかに確認したのだ! お前の心の声が聞こえなくなったことを! 確実に死んだことをぉおおおお!」
「そんなこと知らないよ。見ての通り、私は生きていてここにいる」
混乱するダンタリオンに対して冷静にお空は告げる。ダンタリオンも次第に冷静さを取り戻していった。そして気付く。お空が他の者たちと明らかに異なっていることに。
「……なんですとぉ!? この鴉、心が読めないぃいいいい!?」
さとり以上の読心能力を持つダンタリオン。しかし、彼女をもってしても霊烏路空の心は読めないようになっていた。
「な、なぜです!? なぜお前ごとき畜生の心を私が読むことができない!? 神の力を得ているから……!? ……違う。そんなはずはない! 私はお前よりもはるかに高位な神であるインドラ殿の心も読むことができるのです! お前、一体何をしたのですかぁああ!?」
「別に何もしてないよ」
「くっ……!? 嘘を吐かないでいただきたい……!」
「嘘なんかじゃないよ!」
霊烏路空は右腕をバスターのように構えると、ビームを撃ち放った。空の心を読めないダンタリオンは身構えることも出来ずに直撃を受け、腹部に大きな風穴を空けられてしまう。
「くあ!? ぐぅうううう!?」
うめき声を上げながらうずくまるダンタリオン。だが、しばらくすると、持ち前の高い回復能力によってダンタリオンは消し飛ばされていた左腕と腹部を綺麗に修復させる。
「……なるほど。そういう感じなんだね」
霊烏路空はポツリと言葉をこぼす。
「お空凄いよ!」
自分が手も足も出せなかったダンタリオン相手に善戦する親友の姿を見た火焔猫燐が思わず声を出す。しかし、お空の顔は曇っていた。
「……マグマの中で聞いてたよ。あなた、さとり様に酷いことしたの?」
空がダンタリオンに問いかける。
「ええ。少しばかり心を壊して差し上げましたよ……!」
ダンタリオンはうずくまりながらも強がるように空に言い返す。
「……元に戻るの? 戻せるの?」
「さぁ。私は戻せませんし、戻るかどうかは本人次第でしょうねぇ」
「そう。なら、私はここで絶対にお前を倒す。……ごめんね、お燐。痛いけど我慢してね」
空は張付けにされていた燐から槍を抜く。抜かれる瞬間、顔をしかめた燐だが声を出さずに耐え抜いた。燐を抱きかかえた空は呟く。
「……お燐、さとり様によろしくね」
「お空……アンタ何を!?」
「……鬼の人ぉ! 二人をお願い!」
霊烏路空は燐と灼熱地獄跡内にいたキスメを勇儀に向かって放り投げた。勇儀は二人を見事にキャッチすると、空に問いかける。
「……やれるのか、鴉?」
「……うん!」
「そっか……」
微笑む空に神妙な面持ちで答える勇儀。
「お空!? アンタまさか……?」
心配そうに灼熱地獄を覗き込む燐を安心させるように空は微笑んだ。
「んん、鴉! 貴方このマグマ溜まりに一人残って何をするつもりです!?」
「理解できてるでしょ? ……私の八咫烏の核融合エネルギーでお前を完全に消し飛ばす! ほかの人たちを巻き込むわけにはいかないでしょ?」
「んん!? 貴方まさか、自爆するおつもりですかぁああああ!?」
「そういうこと」
「ふざけないで頂きたい! 死ぬなら勝手に一人で死んで頂きましょう!」
ダンタリオンは急上昇し、灼熱地獄跡からの脱出を試みる。
「鬼の人ぉ!」
「あいわかった……!」
お空の叫びに反応した勇儀がすかさずダンタリオンの航空路に回り込む。心を読めるダンタリオンも最高速度からの方向変換は困難だった。勇儀はダンタリオンを思い切り殴り落とす……! 殴り落とされたダンタリオンを空は羽交い絞めにした。
「もう逃がさないわ」
「んん!? まだ策がないわけではないぃいいいい!」
ダンタリオンは全身を金属液体に変化させ、空の羽交い絞めから脱出すると再び灼熱地獄跡の出口に急ぐ。
「逃がすか!」
ダンタリオンの行く手を阻んだのはヤマメの蜘蛛の糸だった。灼熱地獄の淵から器用に糸を操り、ヤマメはダンタリオンを繭のようにぐるぐる巻きにする。
「んんんん! この手は貴方と最初にやり合ったときにも喰らいました。学習能力のない土蜘蛛ですねぇ! 貴方の繭は隙間だらけだったはず……、っ!? 隙間がない!?」
「さっきキスメが言ってたでしょう? キスメの桶を直したのは私。もちろん水一滴洩れることのないように完璧に直した。……今度の繭にお前の逃げ道はない!」
キスメが作ったダンタリオン入りの繭を受け取った空はパルスィにオーダーする。
「橋の人ぉ! お願い!」
「……妬ましいけど……、美味しいところは譲ってあげる。絶対決めなさいよ!」
パルスィは嫉妬の精神エネルギーを霊力に昇華させ、空とダンタリオンを閉じ込めるように灼熱地獄跡に結界を張った。結界が張られたことを確認した霊烏路空はその身に核融合エネルギーを貯めていく。
「んんんんんん!? 何も見えない! んが、しかし! 強力なエネルギーが放出されようとしていることは感じられるぅううううううううううううううう!?」
「……観念して、私と一緒に弾け飛ぶんだね」
「くっ!? やめなさい! やめろ! 自爆など……スマートでないぃいいいいいい!!!?」
ダンタリオンの悲鳴など構わず、霊烏路空はその身に核融合エネルギーを限界まで貯めきり、放出した。あまりの爆発にパルスィが張っていた結界もガラスが割れるように割れる。灼熱地獄の淵に避難していた勇儀たちも爆風を受けてしまうが、地底の妖怪たちが協力して喰らわせたお空の一撃は確実にダンタリオンに届いた。
「お空ぅううううううう!?」
……皆が爆風で吹き飛ばされる中、燐が空の身を案じる声だけが灼熱地獄跡に響いていた。