霊烏路
――灼熱地獄跡、ダンタリオンは地霊殿の地下にあるこの場所へ足を運んでいた。地霊殿の地下にぽっかりと空いた深い穴。その最底面で溶岩を噴き出すこの灼熱地獄跡こそが、お母様『テネブリス』の欲する運脈であるとダンタリオンは確信する。
「んんんん! 非常に熱い! しかし、それはエネルギー溢れる場所だということ! ビンビンと感じますよぉ! マグマが胎動するこの大地の穴から良質な運が豊富に噴き出ているぅうううう! ……仕事を始めますか」
ダンタリオンはモーニング服の裏ポケットから勾玉を取り出すと、溶岩の中へと放り投げようとしたのだが、あることに気付く。
「おやぁ? どうやら、このマグマ溜に足を踏み入れているのは私だけではないようですねぇ」
ダンタリオンの視界の先、2匹の妖怪が空を飛んだ状態で何やら揉み合っていた。ダンタリオンは耳を澄ませる。
「お空、落ち着いて! 大丈夫だから……!」
猫耳の妖怪が暴れる鴉妖怪を抱きしめるような形で抑え込んでいた。
「うぅううう! がぁあああああ!」と、唸るように鴉妖怪は叫び、抑え込もうとする猫耳妖怪に抵抗していた。
「んんん? 何やら騒がしいですねぇ。私の好奇心をそそる。少し確認してみますか」
ダンタリオンは勾玉をモーニング服に戻すと、仕事を中断し猫耳と鴉の元にふわりと近づいた。
「どうされました? 随分とその鴉が暴れているようですが……」
猫耳の少女は急にダンタリオンに声をかけられ、驚いて振り返った。
「あなた何者!? どこから入った!?」
「もちろん、地霊殿という館の入り口からですよ」
「さとり様のお客様……というわけではなさそうね。あなた、さとり様に許しを得てここに入っているの!?」
「それはご想像にお任せしましょう。ところでその鴉、一体なぜそんなに機嫌が悪いのでしょうか?」
「ぐるるるる……。があああああああああああああ!」
「お空!? 暴れないで! それ以上乗っ取られたら……」
「があああああ!」
猫耳の少女にお空と呼ばれた鴉妖怪は猫耳を振りほどき、ダンタリオンに襲い掛かる。
「んんんん! 躾のされていない鴉ですねぇ。少しお灸を据えてあげましょう……か!?」
ダンタリオンはお空の引っ掻くような攻撃を軽く受け止められるだろうと高を括っていた。しかし、思いのほか、強力なお空の一撃を受け、灼熱地獄跡の側壁となっている岩に叩きつけられた。
「んんん!? この私を簡単に吹き飛ばした!? なんというパワー。明らかにこの地底の住人と原理を異にする力の放出! これは……闇の神の力?」
「がぁあああああああああああ!?」
唸り声を上げながら、間髪入れずに追撃を試みるお空。ダンタリオンはやれやれとでも言いたげにため息を吐きつつ、お空に翳した左腕を液体金属に変えると、無数の糸状に変化させ、発射する。四肢と翼を糸に絡められたお空は身動きが取れなくなってしまった。
「少々手荒らですが、動きを封じさせてもらいましたよ?」
「がぁああああああああああああああ! ぐうううううううううううう!」
お空は威嚇するように、だがどこか苦しんでいるように唸り声をあげる。
「ふむ。姿形はただの畜生にしか見えませんが……、間違いなく神の力を内包している。どういうことでしょうか……? 猫耳のお嬢さん、この鴉は一体何です?」
「……部外者に言う必要なんてない!」
「ほう。なるほど。この幻想郷に来た新参者の神。彼女が『八咫烏』という三本足の烏の神をこの鴉に植え付けた。そして鴉はその力を制御できずに暴れている。そういうわけですか」
「っ!? なんで解った!?」
「それもご想像にお任せしましょう。……それにしても興味深いサンプルですねぇ。ただの畜生の体に神の力を放り込む。普通に考えれば成功するはずはありませんが……」
「お空を……実験動物みたいに言わないでよ……!!」
「これは失敬。そう怒らないでください。お気に障ったのなら謝罪しましょう。しかし現実、実験動物的な扱いを受けてしまっているのも事実。どうしてこのようなことに?」
「部外者に言う必要はないって言ってるでしょう!?」
「ふむ。八咫烏の力を得れば、この見捨てられた旧地獄の灼熱地獄跡を活性化させることができ、地獄としての格を取り戻すことができる。そうすれば、地獄の管理者たちにさえも蔑まれている主、『古明地さとり』の立場を良くすることができるはずだ。そう考えてしまった頭の足りない鴉は、自ら八坂神奈子なる神の提案を代償が生じる可能性を承知した上で受けてしまった。結果、理性を失い暴れ回っている、と」
「っ!? な、なんで解るの!? ……この感じ、さとり様と一緒……。あなた、まさか心を……!?」
「ほう。お気づきになりましたか。中々勘の鋭い子猫さんですねぇ。いかにも。私は心を読むことができるのですよ。そして……それ故、貴方に残酷な結末を宣告することもできるぅうううううう!!」
突然奇声を上げるダンタリオンを前に子猫こと、さとりの妖怪化したペットの一体である『火焔猫燐』はビクっと肩を震わせる。
「な、なによ……。残酷な結末って……?」
「貴方の親友であるこの鴉。『霊烏路空』さんというのですねぇ。……この鴉、残念ですが、もう心を失っていますよ?」
「……え……?」
「八咫烏をその身に受けた影響でしょう。この鴉にもう自我は残っていません」
「う、うそ……。そんなの嘘よ!」
「本当ですとも。心の読める私が言っているのですよ? ……どうでしょう? この鴉、私に譲っては頂けませんか? 神の力を宿す鴉など珍しいですからねぇ。お母様への良い手土産になる」
「……お母様? ……誰への手土産かなんてどうでもいいわ。貴方にお空を渡すですって? そんなことできるわけがないでしょう!?」
「んん。しかし、もう貴方の言う『お空』さんの自我は既に破壊されている。言わば死んでいるも同然。暴れ回るだけのこの鴉を置いていても邪魔でしかないのでは?」
「ふざけんな! お空の自我は壊れてなんかない! ……たとえ、壊れていたんだとしても……お空の体をお前なんかに渡すもんか……!」
「んんんん? この極東の島国では『脳死』による臓器移植を認めていたはずでは?」
「うるさい。外の世界の人間どものルールなど知るもんか! お空を放せ!」
火焔猫燐……、さとりやお空から親しみを込められて『お燐』と呼ばれる猫耳妖怪は爪と犬歯を尖らせ、戦闘体勢に入る。
「ふむ。悪魔貴族であるこのダンタリオンに牙を向けますか。良いでしょう、少々モンスター化しただけの畜生では、私に敵わないことを教えてあげましょう!」
「あたいを舐めるんじゃないよ!」
お燐は炎の魔法を繰り出す。猫が妖怪化して生まれた彼女は妖怪『火車』として覚醒していた。炎を操るのはお手のものである。人魂状の火の玉を無数にダンタリオンへ向け、発射した。
「……やはり、畜生。頭が足りていないぃいいいいいい!」
ダンタリオンは自身に向かってくる炎を無視し、右手人差し指を鋭く尖らせるように変化させる。狙うはお燐本体……。ダンタリオンが伸ばした指はお燐の肩口を貫通した。貫かれたお燐は苦悶の表情を浮かべて悲鳴を上げる。
「言ったはずですよ? 私は心を読めると。炎で私の眼を眩ませている内に拘束されたお空さんを助ける算段だったようですが……。心の読める私に陽動作戦は通じません。畜生からモンスターになった者はこれだから……。知性が足りていないとしか言いようがありませんねぇ……」
「うぐ……」とうめき声を上げるお燐。
「さて、早々ですが、とどめを刺してあげましょう。勾玉の配置に加えて鴉の搬送もしなくてはいけなくなりましたからねぇ」
ダンタリオンはお燐の肩に刺さっていた指を抜くと、今度はお燐の頭部に照準を合わせる。お燐の頭を打ち抜こうとダンタリオンが人差し指を鋭くした時であった。ダンタリオンはお空に絡めていた左腕が酷く熱くなっていることに気付く。
「……なんですか、この熱は?」
ダンタリオンがお空の方に視線を向けると、しっかりと固化させて縛り付けていたはずの自分の左腕が溶け、ポタポタと雫になって落ちていた。
「……私の腕を溶かしているぅううううう!? 溶岩に落ちても溶けないはずの私の腕がなぜ!?」
「うぅうううううがぁああああああああああああああ!!!!」
お空は巨大な咆哮を上げる。なおも熱を放出し続けていた。
「こ、これは……核融合反応? 素晴らしい! 書物でしか見たことのない、人間ごときが到達した神の力……! いえ、違いましたか。今それを起こしているのは神自身でしたねぇ……」
「ぐるぁあああああああああああああああ!!」
雄叫びとともに、小規模な爆発がお空を中心に発生する。高熱に襲われ、糸状に変化させていたダンタリオンの左腕は完全に溶解して消え去った。
「くぅうううううう!? わ、私の左腕がぁ!? ……畜生に宿っているとはいえ、さすがは神の力……。侮ってはいけないようですねぇ……」
「ぐるるるるるる!」
「……威嚇ですか。やはり知性を感じない。厄介ですねぇ。知性の無い者に強大な力が宿るというのは。……かかってきなさい。私が知性の大切さをその身に教えてあげましょう!」
ダンタリオンは自身の左腕を修復すると、無傷をアピールするように胸を突き出して両手を広げるのだった。