改名
――さらに2年後――
霧雨とリサは道具店を営み続けている。そんな霧雨家に新しい家族が増えていた。その子はおんぶ紐でリサに括り付けられていた。
「あぁん、あぁん」と泣くその子をリサは散歩しながらあやしていた。
「おお、よしよし。真梨紗は良い子だろう? もうすぐ一歳になるんだしな。泣き止まないといけないぜ?」
リサの言葉に反応し、泣き止み始める『真梨紗』。彼女こそ、霧雨とリサの間に生まれた初めての子供だった。泣き止んだ途端に真梨紗はきゃっきゃっとリサに笑いかける。
「よしよし。良い子だぞ、真梨紗」
「……こんなところにいやがったか。リサ、ちょっと手貸してくれ。急に客足が増えてな。霖之助と二人だけじゃ足りねえんだ」
「うわぁああああん!」
霧雨がリサと真梨紗の元に駆け寄ると、真梨紗が勢いよくわんわんと泣きわめき始めた。
「あぁ! せっかく泣き止んでたのに……。おっさんが怖い顔してるから、また真梨紗が怖がって泣き出したんだぜ?」
「…………」と無言の霧雨。いつもの仏頂面のままだが、どこか落ち込んでいる様子の霧雨を見てリサが口を開く。
「じょ、冗談だって! すぐ行くからさ。おっさん、先に店に戻っててくれ」
霧雨は言伝を終えると、すぐに霧雨道具店へと戻っていく。この頃には霧雨道具店に一人の青年が「修行」と称して霧雨の店でともに働いていた。その青年の名は「森近霖之助」。リサのお腹の中に真梨紗が入っているときに霧雨道具店にやってきた。彼は外の世界から入ってくる道具に興味を持っており、霧雨が記憶を頼りに見様見真似で作成した外の世界の道具に惹かれ、店の手伝いをしている。
「奥さん、すいません。急に帰らせてしまって……」
道具店に帰ってきたリサに対して申し訳なさそうに頭を下げる霖之助。
「なぁに、気にすんなって霖之助さん。さ、私の方でもお勘定するぜ。次のお客さんどーぞー!」
数十分後、リサの加勢もあって客を捌き終わった霧雨道具店で霖之助は霧雨に尋ねる。
「霧雨さん! この前、外の世界から流れ着いたらしきこの機械なんですが……、どうやって使うのかわかります?」
霖之助が持っていたのは『ポケットベル』。霧雨も何度か使ったことはある。しかし……。
「電池切れだな。大体この世界には電話もねえし。電波も飛んでねえだろ。使い方を教えたくても教えられねえな」
「はぁ。そうですか……」
霖之助はため息交じりに残念そうな表情を浮かべる。
「お前、俺にそんなこと聞かなくても、道具を見たら名前と用途が分かるんだろ? 妖怪と人間の合の子だから」
「まぁ、そうなんですが……。やっぱり使い方まで分からないと、今後商売するのは難しいですからね。……そういえば、霧雨さん。真梨紗ちゃん、もうすぐ一歳になるんでしたっけ?」
「ああ。それがどうした?」
「一生餅はどうするんです?」
「一生餅か……。俺の地元ではその慣習はなかったからな。何もするつもりはなかったんだが……」
「せっかく、幻想郷に来たなら博麗神社で一生餅をやったらどうです?」
「神社で一生餅をやるのか? 聞いたことねえな。……博麗神社ってぇと、少し辺鄙なところにあるっていう神社か。そういえば行ったことねぇな」
「実は僕もそこで親に一生餅をやってもらったんですよ。紅白の巫女に紅白の餅を背負わせてもらうと、縁起が良いってことで。まあ、最近はあんまり博麗神社まで行ってやる人も少なくなってるみたいですけど……」
「……ま、せっかくの行事。ちっと遠出してみるのもいいかもしれねぇ。商売繁盛の祈願もついでにしておくか」
数日後、霧雨とリサは真梨紗を連れて、博麗神社までの道のりを歩んでいた。中々距離があり、到着する頃には霧雨は息切れを起こしていた。
「おっさん、大丈夫か?」
「心配すんな。大丈夫だ」
心配するリサに霧雨は呼吸を整えるようにして答えた。
「……情けねぇ。これしきのことで息が上がるとはよ」
「無理すんなよ、おっさん。肺ねえんだから……。……ここでちょっと休憩して、この階段上ろうぜ。多分、ここが霖之助さんの言ってた博麗神社前の階段だろうから」
竹で出来た水筒の水を飲んで一息ついた霧雨一家はゆっくりと博麗神社の階段を昇っていく。階段を昇り切った霧雨家の眼に映ったのは真っ赤な鳥居と、小さいながらも厳かな雰囲気を放つ拝殿。敷地に人影は見られない。
「……誰もいねぇな。建物の中か……?」と霧雨は呟く。だが、すぐにその女は現れた。
「……悪いねぇ、待たせてしまったかい?」
霧雨とリサは思わず体をビクっと震わせる。その女の放つ威圧感が場の空気を支配していた。
拝殿の影から現れたのは、長い黒髪の紅白巫女。もっとも紅白といっても、巫女服の隙間から黒いインナーが見え隠れしてはいるのだが。
「へぇ。お二人さん、私の放つ気を感じ取れるのかい? 人里の人間にしては珍しいじゃないか……。で、この神社には何の用事で来たんだい?」
紅白の巫女は八雲紫に勝るとも劣らないプレッシャーを放っていた。紫と同様の強大な力を感じる。違いがあるとすれば、紫の力が恐怖と形容できるのに対し、この女の力は厳格と形容できることだろうか。
「……このガキの一生餅をしてもらいに来た。知り合いがこの神社の巫女にやってもらうといいって言ってたんでな……」
霧雨は冷や汗をかきながら、答える。
「ふぅん。一生餅ねぇ。最近はそんなことをやってもらいに来る人間はめっきり少なくなったもんだから、ウチは餅を用意してないよ?」
「お、お餅なら持ってきてるんだぜ……です」
慣れないことをするせいで、奇妙な丁寧語になっているリサが風呂敷から紅白の餅二つを取り出した。小さな鏡餅くらいの大きさがある。
「ほぉ。これまた立派な餅を用意したもんだ。これじゃ、その背中の子供じゃ持ち上げられないだろうに」
「背負えなくても良いって聞いたんだぜ。大は小を兼ねるって言うだろ? ……です」
「ま、そちらさんが気にしないんなら私は何だっていいさ。背負わせてやる。赤ん坊を下ろしてやりな」
リサは背負い紐を解き、真梨紗を石畳の上に下ろしてやった。真梨紗は「だぁだぁ」と言葉にならない声を出してふらふらしながら立ち上がる。
「ふーん。まだ、立てるようになって間もないって感じだねぇ」
「ああ。一週間前くらいにようやく立てるようになったんだぜ……です」
「よし。じゃあ餅を背負わせてやろう」
紅白巫女はリサの持ってきた風呂敷の中に餅を入れ直し、器用に折りたたむと真梨紗に括り付ける。真梨紗は餅の重さに耐えられず、前のめりに倒れてしまった。
「うわぁああああん」
倒れると同時に泣き出してしまった真梨紗。
「ごめんごめん真梨紗。痛かったな?」と言いながらリサが真梨紗を助けようとした時だ。
「ちょっと待ちな、若いお母さん」
呼び止めたのは紅白の巫女。
「この子の一生を占う儀式なんだよ。もう少し様子を見な」
紅白巫女はまだ手を貸すなとリサに告げる。
泣き続けていた真梨紗だったが、しばらくすると涙を流しながら、重い餅を背負ったままにふらふらと何とか立ち上がる。巫女に向けた真梨紗の眼つきは「負けるもんか」と言っているようだった。
「へぇ。根性あるじゃないか、お嬢ちゃん。こりゃ将来が楽しみだ。根性は任侠上がりの親父さん譲り。魔力はお母さん譲り、か」
「なっ……!?」
霧雨とリサは驚嘆の声を上げずにはいられなかった。霧雨もリサも幻想郷に来てから自分たちがヤクザまがいのことをしていたことも魔法使いだったことも言っていなかったからである。
「……巫女さん。なんでアンタ、俺が元ヤクザものだとわかりやがった……?」
「……勘さ」
「勘だぁ?」
「ま、半分勘で半分洞察さ。親父さん、あんたの眼からは堅気じゃなさそうな気配が漏れ出ていたからな。あと……体つきを見れば分かる。アンタの筋肉の付き方は長年喧嘩してきた人間のものだ」
「体つきを見れば分かるだと……。……リサ以外にもそんなことが見破れる人間がいるとは……」
「……ちょいと失礼するよ」
巫女は霧雨の胸に手を当てる。突然のボディタッチに霧雨は尋ねた。
「何のつもりだ、巫女さん」
「ふん。なるほど」
「何がなるほどだ?」
「親父さん、アンタの体が弱ってるみたいだったんでね。調べさせてもらった。最初は心の臓が弱っているのかと思っていたが、見立てが違ったらしい。アンタ、呼吸器がやられてるようだね」
「……そんなことまでわかりやがるのか……」
「そんなに難しいことじゃない。アンタだって似たような力を持っている。職業病みたいなもんだよ」
「冗談言うな。俺にそんなトンデモな能力はねえよ」
「そんなことないさ。私と握手してみればわかる」
巫女は霧雨に手を差し出す。言われるがまま、巫女の手に触れた霧雨に衝撃が走った。霧雨が触った巫女の手は女性特有の柔らかさがある。しかし、その内側にある筋肉の密度が常人のそれでないことに霧雨は気付いた。おそらく、手の筋肉だけではない。彼女の全身に纏われている筋肉は常人のそれを優に超える質があると、霧雨は一瞬で感じ取る。喧嘩慣れした霧雨、漁師として自然に長年触れてきた霧雨だからこそ感じ得たものだった。
「どうだい? 自画自賛で恐縮だけどさ、私は強い。妖怪退治で生計を立てられるくらいにはね。アンタは本能が結構洗練されているようだから、手を触っただけで私の力に気付けたはずだ」
巫女は握手を解除すると、残念そうに笑みを浮かべる。
「あぁ。万全で若い頃のお前さんと、術抜きの肉弾戦で一戦交えてみたかったね。きっと、今まで戦ったどの男よりも強かったに違いない」
巫女は続いてリサに視線を向ける。
「……アンタも魔力やら何やらを失わなければ、私より強い術者だったのかもしれない。魔力があった痕跡でわかる。アンタかなりの強者だったようだね。残念だ。本当にもったいないよ。魔力が失っていないアンタと一戦交えてみたかった」
巫女は全て見透かしているかのように、霧雨たちに語り掛ける。そしてその視線は餅を背負って立っていたが、疲れて座り込んでしまった真梨紗にも向けられた。
「おお、悪い悪い。餅を括り付けたままだったね。重かったろう? すぐに取ってやる」
巫女は真梨紗に結び付けていた餅入りの風呂敷を外してやった。
「……若奥さん。この子の名前は何て言うんだい?」
「……真梨紗。真実の真に、果物の梨、糸辺に少ないの紗。私の名前がリサで姉さんの名前がマリーだから繋げたんだぜ……です」
「ふうん。良い名前だ。……だが、この子に背負わせるには少々軽すぎる」
「か、軽いだって?」
「ああ。軽い。この子の眼を見れば分かるさ。この子は逆境に負けない強い眼を持っている。だから、もっと重い名の方がいい。……そうさね。名前の響きは今のままでもかまわないが……。……魔理沙ってのはどうだい? 魔法の魔に、ことわりの理、さんずいに少ないの沙だ」
「子供の名前に『魔』!? さすがにそれはないんだぜ!? それに……この子には魔法の才は……」
リサは俯く。真梨紗に魔法の才がないのは明らかだった。真梨紗には生まれつき運がなかったのである。おそらく母親であるリサの運が、テネブリスによって姉のマリーに移植されたことの影響だ。リサは真梨紗に魔法の道を進んでほしいとは願っていなかったのである。だが、巫女は続けた。
「大丈夫だ。確かにこの子には運がない……が、それをハンデとも思わない精神の強さが窺える。きっと名前に負けない強者になるさ。……魔法の理をもって淘げる者……。魔法を修める者……。良い名前だと思わないかい? 沙には水辺という意味もある。海の男でもあった親父さんとも関連する字が付いてるのも良いだろ?」
「……俺が漁師だったのも見抜けやがるのか……」
「潮の匂いがしたからね。幻想郷にはない特異な匂いだからすぐ気付いたよ」
巫女はにやりと不敵に笑う。そして、確信を持つように言い放った。
「この子の名前は魔理沙にしな。その方が良い。博麗神社の巫女である私が言うんだ。信じて変えときな」
……娘の名前にケチを付けられる。普通ならば、激昂してもおかしくない状況だ。だが、霧雨もリサも眼前の巫女の提案に反論しなかった。人智を超えた巫女の洞察力は不思議な説得力を持っていたのである。霧雨とリサは言葉こそ交わさなかったが、魔理沙の名前を巫女の提案通りに変えることに二人とも反対はないようだった。
そんなやり取りを両親と巫女がしている中、魔理沙が「あぁ!」と嬉しそうに拝殿の方に指をさしていた。
リサが、魔理沙の指さす方に視線を向けると、そこには小さな黒髪の幼女がいた。歳は1歳半か2歳と言ったところだろう。人形のように整った顔。その小さな体に合わせた紅白の小さな巫女装束を着た幼女はわらじを自分で履くと、霧雨たちのもとに、とてとてと歩み寄ってきた。
「かわいい……」
リサは黒髪幼女を見て素直な感想をこぼす。巫女は幼巫女を紹介することにした。
「こいつはウチのチビだ。チビっつっても、私の子供ってわけじゃあないんだが……。名前は霊夢。博麗霊夢だ」
「霊夢ちゃんって言うのか。いくつになるんだぜ?」
「…………」
リサからの質問に無言で全く答えようとしない霊夢。それは普通の小さな子供が、恥ずかしがって無言になる様子とは異なり、明らかに意志を持って無言を貫いていた。
「わ、悪い。このチビ、妙にませててな。おい、ちゃんと答えろ霊夢」
「…………」
霊夢は巫女の言葉にも無視して答えない。霊夢はただ一人、幼い魔理沙だけを見つめていた。わずかに眉を吊り上げて……。
魔理沙は自分と同じくらいの『友達』を見つけたことが嬉しいのか、ふらふらしながら立った状態で、満面の笑みを浮かべると、これまたふらふらした足取りで霊夢に歩み寄ろうとしていた。
「きゃっきゃっ」と笑いながら霊夢に近づく魔理沙。しかし、霊夢はそれを拒絶した。霊夢は魔理沙の肩を両手で押し、魔理沙をコケさせた。尻もちをついた魔理沙はわんわんと泣き始める。
「わ、悪い。おい、霊夢。なにいじわるしてんだ。謝れ!」
巫女が謝るように霊夢に告げるが、霊夢はそれも無視して踵を返すと、拝殿の裏へと駆けて行ってしまった。
「ほ、本当に悪かった。アイツには私から怒っておくから……。すまんが、一生餅はこれで終わりにしてくれ。アイツを追わないと……」
巫女は霧雨たちに謝罪の言葉を残すと、霊夢が逃げた方向に走り去ろうとする。しかし、何かを思い出し立ち止まると再び霧雨たちに言葉をかけた。
「赤ん坊の名前、本当に変えた方がいい。博麗の巫女である私が言うんだ。……博麗の巫女の勘は良く当たる。信じて損はないだろうさ」
言い残して、今度こそ本当に巫女は走り去る。彼女こそ、霊夢の一代前の巫女、『先代巫女』であった。
「……おい。何であんなことした? 賢いお前ならあんなことするのはダメなことだってことくらい理解できてるだろ?」
先代巫女は居間に逃げ込んでいた霊夢に問いかける。だが霊夢はそっぽを向き、やはり無言を貫いて答えようとしなかった。
「……あの近い歳の子供が両親に囲まれて幸せそうにしてたからか? 羨ましかったのか? だとしても、あんなことしたらいけないだろ。それは八つ当たりだぞ」
先代巫女の言葉を耳にし、霊夢は先代巫女に一瞬顔を向けるが……、すぐに視線を切り、また逃げ去って行った。その様子を見て、先代巫女は呟く。
「……才能が有り過ぎる、賢すぎる、ってのも難儀なもんだな。……自分の置かれた環境が不幸であることに気付けてしまうんだから……」
先代巫女は霊夢の心情を思い、同情するのだった。