お礼
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「いやー、食べた食べた。サンキューおっさん! 助かったぜー」
「……こんだけの量食うたぁな……。そのちいせぇ体のどこに入ってったんだ?」
少女の食欲に霧雨は呆れたようにつぶやく。霧雨と金髪少女はダウンタウンの食事処に来ていた。クスリに溺れた少年を連れて訪れていた霧雨のかつての行きつけの店である。少女は相当に空腹だったらしく、大の男でも食べきれないくらいの量を胃の中に放り込んでいた。
「そんだけ、うまそうに食ってくれりゃぁ、こっちとしても奢り甲斐があったってもんだな。……嬢ちゃん、てめぇその白い肌と金髪……。ガイジンさんか?」
「あ、そのガイジンさんって呼び方はサベツ的らしいんだぜ? 使うのはよした方がいいぜ、おっさん」
「……嬢ちゃんのくせに言葉遣いのわりぃやつだな。差別的だぁ? なんでもかんでも差別だの不平等だの言うやつにまともなヤツがいたためしはねぇな、オレの経験上は。……んなこたどうでもいい。飯奢ってやったんだ。ちったぁ質問に答えてもいいんじゃねえか?」
「ま、日本人じゃあないぜ。だからガイジンで合ってんじゃねえの?」
「ガイジンか。にしては日本語がうめぇな。あれか。ハーフってやつか。父親か母親が日本人なのか?」
「さぁ? 父親も母親もどんなやつなのか私は知らないんだぜ。でも、多分日本人じゃないんじゃないか?」
「親が日本人じゃない? じゃあ、なんで日本語が喋れるんだ。日本育ちか?」
「いーや違うよ、覚えたんだ」
「覚えた?」
「この日本に来るまでに覚えたんだよ船の中で。日本人観光客の会話聞いてさ」
「あぁ? 会話を聞いて、だと?」
「そ。リスニングってやつだぜ?」
「……そんなんで日本語マスターできるのか……? 嬢ちゃんてめぇ、結構頭が良いのか?」
「さぁ。よくわからないんだぜ。少なくとも私の周りにいた奴らはそういうの朝飯前で出来そうなやつらばっかりだったからさ。私が特別とは思ってなかった。でも、外に出てそういう話をするとみんな驚いてたな」
「……そうか」
「じゃ、次は私がおっさんに質問する番だ。おっさん名前何て言うんだ?」
「……霧雨だ」
「なるほど、なるほど。霧雨のおっさんか」
「何がなるほどだ」
「私の名前はリサっていうんだ。結構可愛らしい名前だろ? 覚えといてくれよな!」
「……リサ、か。ますます日本人っぽい名前じゃねぇか。さてはてめぇ、本当は日本人だな?」
「違うっての。この綺麗な金髪見てみろよ! 地毛だぜ? 日本人はほとんどが黒髪なんだろ?」
「……たしかに黒髪にには見えねえが……。……悪いが、綺麗には見えねぇぞ?」
「う……」
金髪少女は流浪の生活を送っていたようだ。風呂に長いこと入れていなかったようで、髪はぼさぼさ。服もボロボロだ。霧雨はボロボロの服を見て、ふと疑問に思う。
「嬢ちゃん、てめぇのそのお手伝いさんみたいな白黒の服はなんだ?」
「…………言えない。言っても信じないだろうし」
リサは急に俯き、口数を少なくする。
「……わけありか。ま、喋りたくないなら喋らなくていいぞ。……じゃぁな、会計はしといてやるからよ」
「え!? おっさんどこ行くんだよ!?」
「どこって……。ウチに帰るんだよ。今晩も仕事だしな、少しは休んでおきてぇ」
「わ、私を連れて帰らないのか!?」
「あぁ? 連れて帰るわけねぇだろ」
「じゃ、じゃあなんで私を助けたんだよ……!?」
「はぁ? おかしなこと聞きやがるな。目の前で腹空かせて死にそうなヤツ見たら、さすがに少しは飯食わせるだろ。そのまま死なれても目覚めが悪いからな」
「な……!? ちょ、ちょっと待ってくれよ。それじゃあ私はこれからどうしたらいいんだぜ!?」
「働いたらいいじゃねえか。お前幸運だぞ? この街はどこの馬の骨かわからねぇヤツにも仕事をくれるやつがいるからな。嬢ちゃんだから最初は施設にでも連れて行ってやろうかと思っちゃいたが、話を聞くと訳ありそうだからな。ここで働いた方がお前のためだ。見た目は華奢そうだが、喋ってみると男勝りでタフそうだしやってけんだろ」
そう言い残して、霧雨は食事処を去った。
「……ウソだろ? そんなヤツいるのか……? いや、そんなはずない! 確かめてやるんだぜ……!」
リサは霧雨の後を尾行する。路地の塀や電柱に身を隠しながら……。リサが尾行を開始して5分。霧雨が振り返る。霧雨はサササと壁の影に隠れた。
「嬢ちゃんてめぇ、どこまでついてくるつもりだ?」
「いっ!? ば、ばれてた!?」
「ばれてるに決まってんだろ。こちとら、命狙われるような喧嘩業を生業にしてんだ」
(わ、私だって尾行は得意技だったんだぞ……? どんだけ気ぃ張ってんだよ、このおっさん)とリサは心の中で思う。
「付いてきたって仕事なんざねぇぞ?」
「えっと、その……だって、泊まるとこねぇし……!」
「宿泊施設ならあの街にもあるぞ? しかも格安だ。……そうか、金がないんだったな。だったら2、3日分貸しといてやるよ」
霧雨は革の財布を取り出し、リサに1万円手渡そうとする。
「そ、そういうことじゃねえんだよ! おっさんの家に泊まらせろよ!?」
「あぁ? オレの家だぁ? オレの家なんざあの街の格安宿より汚ぇぞ? ま、それでもいいってんなら泊めてやってもいいが……。変わり者だな、嬢ちゃん。そん代わり明日には出て行けよ?」
(へん。結局はそうなるんだよな、男ってのは。どの国でも変わらないんだぜ……!)と心の中でリサは呟く。
霧雨はコインパーキングに停めていた自車にリサを乗せ、走り出した。
到着したのはキタの街に建つそれほど大きくないマンション。ここが霧雨の今の住処だった。組長である老人に用意してもらったマンションである。一室2DKの広さだ。独り者の霧雨にとっては十分すぎるほどの大きさの部屋である。
「キッチンとオレの部屋はきたねぇが、一応客間があるからそっちで寝りゃあいい」
霧雨は六畳程度の和室にリサを案内する。
「押し入れに客用の布団があるから、適当に使っとけ」
「ほいほい。なぁおっさん、シャワー貸してくれよ。あとバスタオル!」
「……てめぇ、どこまでも厚かましいやつだな。……勝手に使ったらいい。汚ねぇのは我慢しろよ?」
「……サンキュー!」
リサは霧雨からタオルを受け取り、風呂場に向かうと洗面所を兼ねた更衣室のドアを閉め、服を脱ぎ始める。
リサにとって久しぶりのシャワーだった。彼女は溜った汚れを全て洗い流すため、備えられたシャンプーを大目に取って頭髪を洗う。もちろんシャンプーは霧雨愛用の男性用だ。だが、元来からシャンプーの種類など気にしないリサはごしごしと汚れを取っていく。シャワーで泡を洗い流し、現れた金髪は透き通るように美しい。
体を洗い終えたリサは体を拭き終わったタオルをそのまま体に巻くと、先ほどまで自身が身に着けていた『白黒のお手伝いさんのような服』、……すなわち魔法着から何かを取り出す。……スタンガンだった。にやりと笑いながら、リサはスタンガンを上手くバスタオルの中に隠すと、更衣室を出て霧雨の居室に向かう。
このリサという少女、流浪の旅の中、生きるために一つの手段を確立していたのだ。自分に色目をかける男の家に入り込んでは、油断したところをスタンガンなどの武器で気絶させ金品を奪っていたのである。
彼女は生まれてからずっと、とあるコミュニティ内で活動する魔女集団の中でしか生きてこなかった。やむを得ない事情で外の世界に出たリサは初めて『男』と接触する。リサは男が性欲に支配された汚い生き物だと知った。もちろん、全ての男が性欲にまみれているわけではない。しかし、リサが遭遇した男たちはいずれもリサに欲情を抱く、下心しかない奴らばかりだった。
それなら、とリサはそんな欲情を抑えきれない男たちをカモにすることにしたのである。今日もいつもの手口だ。タオル一枚だけを白い肌に巻き、男をその気にさせる。そして男が着替え始めたところを肌に直接スタンガンを押し当てて仕留めるのだ。
そんなリサの思惑など知る由もない霧雨は、ベッドに座ってテレビを鑑賞していた。夜の仕事までの時間を潰しているらしい。リサが自室に入ってきたことに気付いた霧雨は「あん?」と声を出した。
「何やってんだ? てめぇ」
ぽかんと口を開ける霧雨の横に寄り添うようにベッドに座ったリサは霧雨に持ち掛ける。
「泊めてもらうお礼をしようと思ってさ……」
リサはシャワー上がりで湿った髪と紅潮した頬で微笑みの表情を作り、霧雨の顔を見つめる。今までこのやり方で欲情しない男はいなかった。
(さあ、さっさとその気になりやがれ、おっさん。服を脱いだが最後、電撃を喰らわせてやる!)
霧雨が隙を作る瞬間を逃すまいと様子を窺う。……が。
「お礼だぁ? 泊賃もないようなヤツがか?」
「え? あ、あぁ。そ、そうだけどさ。そうじゃないだろ?」
「何をわけわからないこと言ってやがる。お礼したいってんなら、まずは金稼ぎやがれ。大体なんだその格好は? 風邪ひくぞ」
リサの思惑に反し、霧雨はタオル巻き姿のリサに欲情することなく話し続けた。
「……ああ、そうか。着替えがないんだったな。しかたない。これでも着とけ」
霧雨はタンスからトレーナーを一着出すと、リサに放り投げた。
「とりあえず、それ着とけ。オレの身体はでけぇからな。てめえの小せぇ体なら、それで上から下まで覆えるだろ。お前が着てたみょうちくりんな白黒の服を洗い終えるまでそれで我慢しろ」
「いや、え、ありがとう……。…………って、そうじゃねぇ!」
「なに喚いてんだ。うるせぇぞ。ほら、とっと客間に戻れ。俺は疲れてんだ。仕事までの時間くらい、ゆっくりさせやがれ」
霧雨はリサを客間に押し込める。
「お、おい、おっさん。ホントに何もしなくていいのかよ!?」
「あぁ? ちっと泊めたくらいでガキに礼を強要するやつがいるわけねぇだろ? ガキはガキらしく大人の親切ってやつを受け取っとけ」
そう言い残して、霧雨は客間の襖を閉めると自室に戻っていった。リサは客間の畳にどさっと仰向けに寝転ぶ。
「……わけわかんねぇ。男ってのは性欲の塊なんじゃなかったのかよ。……あんなやつ初めてだ……」
リサは天井の木目に視線を向け、呟くのだった。




