微かな喜び
「人間よー。私に歯向かったこと死後の世界で後悔するといいー」
インドラは間延びした締まりのないギャル風の口調で早苗の殺害を予告する。掲げたヴァジュラに魔力を集約させていった。魔力は紫色の雷となり、ヴァジュラの先端に帯電する。バチバチと光る紫電は早苗の視界を眩ませた。
「……それが神奈子様に放った雷ですか。なるほど、たしかに強大な力です」
早苗は大幣を目元に当てるようにヴァジュラの方にかざし、激しい雷の閃光が直接眼に入らないよう防護する。
「喰らえー。神の怒りの雷をー!」
インドラは早苗に向かって雷を落とす。雷は早苗の横にわずかにそれた。直撃は避けた早苗だが、地面を介して感電してしまう。ダメージを受けた早苗は無言でその場にうずくまる。
「へー。すごーい。直撃しなかったとはいえ、私の雷を耐えるなんて―。でもー、さすがに堪えた感じかなー? でもー、やっぱり気にくわないよねー。悲鳴の一つもあげないなんてさー」
「くっ……!」
早苗はうずくまりから立ち上がり、ジグザグに走り出した。どうやら、的を絞らせないようにしているらしい。
「無駄なあがきだよねー。そんなことで私の雷はさけ切れないよー?」
再びヴァジュラを高々と天に向かって掲げたインドラは槍先から紫電を早苗向かって何度も放出させる。
「それそれー。逃げろ逃げろー。当たって死んじゃうまで逃げちゃえー!」
インドラは遊んでいた。早苗が走り逃げ続ける様を面白がるように、早苗に当たらないギリギリのところに雷を落とす。……何分ほどたっただろうか。体力の減少とともに次第に早苗は走る速度を落としていく。その息はすでに切れ始めていた。
「えー。もう、終わりー? やっぱり人間は弱っちいねー」
インドラは肩で息をする早苗を見下すように笑い、いったん雷を緩めた。
「さて、極東の巫女のみっともない姿も見れたことだしー。もう飽きちゃったから殺すねー?」
インドラは槍先を早苗に向け、発射体勢を取った。
「もう外してあげないよー? 最高出力で殺してあげるー!」
インドラは槍先に魔力を込める。眼も眩むほどの雷が槍に帯電されていった。その状況を見た早苗はそれまでのジグザグの動きからは打って変わってインドラに向かって直進し始めた。
「あっははー! やけくそになっちゃったー? 死ねー!」
インドラは最大出力の稲妻を早苗向かって放出した。勝利を確信したインドラはにやりと不敵な感情で口元を歪める。放たれた紫電は早苗向かって一直線に進んでいた……はずだった。
「な、なに? 雷が不自然に曲がってー……!?」
インドラの放った紫電はなぜか、早苗を避けるようにその軌道を変えていた。そのことにインドラが気付いたときにはもう早苗は懐に入り込んでいた。
「はぁああああ! 『乾神招来』、『突』!」
早苗は霊力を込めた大幣をインドラの腹部に突き刺した。雷を放出していたインドラに防御態勢を取る暇はなく、カウンターパンチを喰らったように大きな痛みを受ける。
「あ……、か……!?」
「『乾神招来』、『風』!」
隙を見せたインドラに早苗は追撃を喰らわせる。霊力によって発生した強風がインドラを襲った。吹き飛ばされたインドラの身体は近くに聳えていた岩に叩きつけられる。
「か、は……。一体何が起きてー……?」
「……これが諏訪子様と神奈子様の怒りの一端です。まだ、終わりませんよ? 貴方が犯した罪はもっと重いのです」
早苗は岩にめり込んだインドラに大幣を向け、真っ暗な瞳で怒りの表情を向ける。
「……どういう……こと? なぜ私の雷が妙な挙動をー……?」
インドラは岩のめり込みから脱出を試みながら、ひとりごとを呟く。
「……一つだけ確かなことがありますねー。あなたは神である私を傷つけ、辱めたー。もー容赦はしませーん。……マジで殺してやる!」
「おや、今までは本気ではなかったということですか?」
「一発二発喰らわせたくらいで、随分と偉そうじゃないですかー、お姉さーん? あなただって私の雷で服が焦げてるくせにー。……本気じゃなかったに決まってるだろーが!」
インドラはヴァジュラを変形させる。槍先を無数に増やし、その全てが早苗に向かって伸びていく。
「どうだー! 逃げたって無駄ですよー? 無限の槍先がお前を殺すまで永遠に追尾していくからねー!」
「逃げる必要はありません」
「逃げる必要がないですってー? どういうことー? ……なに!?」
早苗は紫電の時と同様に、伸びてくる槍先に向かって宙を舞って突進してくる。
「頭おかしいのー!? とち狂っているとしか思えな……い!?」
インドラは眼を疑う。間違いなく早苗に向けて延伸させているはずの槍先が早苗を『避けて』いくのだ。
「あ、当たらない!? な、なんでー!? まっすぐ飛ばしているはずの槍先がまるで生きているみたいに曲がっていくー……!?」
早苗は無数の槍先の雨をくぐり抜け、再び攻撃可能範囲に入り込む。
「『坤伸招来』、『鉄輪』!」
早苗は大幣から光の輪を作り出すと、それを力の限りにインドラにぶつけた。名のとおり、鉄のような質量を帯びた光の輪を叩きつけられたインドラはまた、岩に叩きつけられる。
「そ、そんな……? なんで私の雷が、槍が、当たらな……」
そこまで呟いてからインドラははっと何かを思い出すかのように気付く。目の前の人間の正体に。
「そ、そうかー。なるほどー。お前も『こちら』側の存在ということですかー。……二、三回殴られるまで気付けないなんて、私もお馬鹿さんでしたー」
「何を言っているのです? 『こちら』側とは?」
「あなたがその珍妙な能力を使えるのは、あなたが『こちら』側の存在だったからですねー?」
「能力……?」
「とぼけないでくださいよー、私の雷や槍を曲げた能力のことですよー」
「……これは私の能力ではありません。これは神奈子様と諏訪子様がそのお力で守ってくださっているのです」
「あーん? もしかして自覚がないわけですかー? 厄介なやつー。あんな矮小な神どもにそんな力があるわけないでしょーが。それはあなたの能力ですよー」
「矮小な神? それは神奈子様と諏訪子様のことを言っているのですか? お二人を侮辱することは許しません!」
早苗は大幣でインドラに殴りかかる。だが、インドラは難なくこれを受け止めた。
「もう、油断はしませんよー。本番はこれからだ、クソアマ!」
早苗はインドラの顔貌を見てぎょっとする。インドラの額には縦長の第3の眼が開眼していた。その眼は早苗を見透かすように睨みつけている。早苗はその眼を見て恐怖とともに微かな喜びを感じるのだった。