神の気配
――天狗の集落地下、隠し医療機関にて――
射命丸はベッドの上で気絶から目覚めた。体に走る火傷や擦過傷の痛みに耐えながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。
「うっ……。私は一体……? たしか、赤い鷲女の炎を受けて……」
「お気づきになりましたか、射命丸様……!」
射命丸はベッドの傍らにいた一匹の鴉天狗に目を向ける。どうやら看護兵らしき天狗である。だんだんと意識がはっきりしてきた射命丸は自身が地下の医療機関で治療を受け、眠っていたらしいことを理解した。
「……どうやら私は気を失っていたようですね……。……椛やはたてはどこに……? 天魔様は無事なのですか!?」
「皆様ご無事です。椛様とはたて様はまだ意識が戻っていませんが、重症ではありません。じきにお目覚めになられるかと……」
看護兵からの説明で椛とはたての無事を知り、射命丸はとりあえずほっと安堵する。
「天魔様は今どこに?」と続ける射命丸。
「……守矢神社の二柱様の遺体安置所にいらっしゃいます」
「守矢神社……? あのしつこく自分たちを妖怪の山の神として認めろと言っていた神たちのことですか? たしか、天魔様は『あの者たちを妖怪の神として認めたりはしない。妖怪の山はこれからも天狗をはじめとする妖怪主体の自治を行う』と強く言っていたはずです」
「私も詳しいことはまだ聞けていませんが、天魔様はあの二柱を妖怪の山の神と認めたようなのですが……、その神たちが今は亡き者に……」
「……状況が全くわかりませんね。直接天魔様に聞くことにしましょう」と言いながら、射命丸はベッドを降りようとした。
「いけません、射命丸様。まだ動かれては……!」
「もう私は大丈夫です。まだ、私より傷の深い治療中の天狗たちがいるでしょう? そちらの手当に回ってください」
「そういうわけにはいきません。射命丸様は『大天狗』の候補なのですから……!」
「……大天狗候補、ですか。大層な名前を私もはたても付けられてしまったものです。そういうのは真面目な椛がやるべきだと思うんですけどねぇ……」
「……犬走様は白狼天狗ですので」
「今どき種族にこだわるのはいささか時代遅れの思想かと思いますけどね」
「……時代遅れでも、伝統を重んじる方々がいるのもたしかですので……」
「……頭の固い長老どもに囲まれて天魔様も苦労なさっていることでしょう」と溜息をついてから射命丸は話し続けた。
「……大天狗候補生が特別扱いを受けることが良いことだとは私には思えません。すぐに他の天狗の治療に向かいなさい。……これは命令です……!」
「……っ。 ……わかりました……」
看護兵天狗は吐き出しかけた言葉を飲み込んだ様子で射命丸のベッドが置かれた病室から出ていった。
「……大天狗になんか私はなりたくないんですがね。新聞さえ作れればそれでいいのに……。……はたても同じ考えでしょう。だから引きこもって念写だけで新聞を作っているんでしょうし……。あの子も怠惰な自分を演じて、大天狗候補から外れようとしているに違いないです」
射命丸は独り言を呟きながら、ベッドの傍らに置かれていた自分の靴を履き、病室を後にした。向かう先は天魔がいるはずの『遺体安置所』である。遺体安置所には天魔が二柱の遺体に視線を向けて見守るように立っていた。射命丸には遺体の状況がよく見えないが、とりあえず天魔に声をかけることにした。
「天魔様、ご足労おかけいたしました。どうやら私、気絶していたようで……、天魔様が搬送して下さったのですか?」
「……私だけではない、この二柱たちも手助けしてくれた」
射命丸は天魔と同じ方向に視線を向ける。そこには神とは思えないほど、傷んだ二つの死体があった。
「あややや……。これはひどい……」
射命丸は思わず眉をしかめる。二柱のうちの背の低い方は全身複雑骨折を負ったように血だらけで体のあちこちがあらぬ方向に折れ曲がった跡がある。もう片方に至っては真っ黒に焦げており、人の形をしていることだけしか判別できない。
「……天魔様、一体何があったのです? 妖怪の山の神にこの二柱をお認めになっていたとか……。しかし、その神たちが目の前でこのありさま……」
「別に複雑な事情があったわけではない。起こったことは至極単純だ。厄介なことこの上ないことに違いはないが……」
前置きした天魔は射命丸に事の顛末を告げる。
「……なるほど。あの鷲頭から私たちを助けることを条件に真っ黒こげになってしまった方の神が妖怪の山の神にしろと迫ってきたので認めた。その後、インドラとかいうもっと強大な神が鷲頭を殺した守矢の二柱を報復に殺した、という認識でよいですか?」
「そういうことだ」と天魔は射命丸の要約を肯定する。
「何はともあれ、天魔様が殺されなくてよかったです」
「お、私のことを心配してくれるのか、射命丸」
「いえ、天魔様まで殺されていたらまた、血なまぐさい天狗同士の権力争いが再勃発してしまいますからね。最悪の事態は避けられてよかったということです」
「……かわいくない奴……」と言いながら天魔は射命丸に苦笑いを送る。
「ところで……、なぜこの二柱の遺体を置いたままにしているのです? 早く弔ってやるべきでしょう。神とお認めになっていたならなおさらに」
「……軍医に聞いたところだと、体の修復は可能なようだ。だから、その準備をしている」
「……死体を綺麗な姿形の状態に戻すということですか? 何のために? 蘇るわけでもないでしょうに……」
「状況的に認めざるを得なかったとはいえ、この二柱を私は妖怪の山の神として認めたのだ。であるならば、最大限の敬意を払わねばなるまい。綺麗な見た目に戻してから、この神たちを信じる信者たちの元に返してやるくらいはしないとな」
「変なところで義理堅いですよね、天魔様は。……だからこそ、皆が付いてくるのでしょうが……」
「お、射命丸よ。私のことを尊敬しているのか?」
「まさか。呆れているだけですよ」と射命丸は天魔に微笑みを返す。
……そんなときだった。天魔と射命丸は背筋にぞわぞわっとしたものを感じる。射命丸にとっては初めてだったが、天魔は似た気配をついさっき感じていた。
「……射命丸、感じるか……?」
「え、ええ。天魔様……。な、なんでしょうか。この圧倒的プレッシャーは……」
「……この気配、インドラとかいう神の圧に似ている。……くっ!? 我らのことを見逃すと言っていたのに……。気が変わったのか……!?」
プレッシャーの気配の持主が既に地下に入っていることを感覚で天魔と射命丸は探り当てる。インドラと似た気配のそれは少しずつ遺体安置所に向かってきていた。
「……この部屋ですね。この部屋から諏訪子様と神奈子様を感じます」
呟きながら現れたもの姿は……、神に似た気配を出しているとはとても思えぬ風貌だった。天魔と射命丸が普段あまり目にすることのない服を着た少女は、外の世界でいう『女子高生』であった。セーラー服を着た緑髪の女子高生は短い自己紹介を始める。
「無断でお邪魔させてもらいました。私の名前は東風谷早苗。守矢神社の巫女です」
東風谷早苗は笑顔を天魔たちに向ける。しかし、その眼の奥がまったく笑っていないことは容易に認識できた。
天魔と射命丸は『セーラー服』と『神の気配』というアンバランスな組み合わせの東風谷早苗を前にして緊張感を高めるのだった。