ヴァジュラの雷
「お、おい。魔力の圧が強大過ぎて私にはもう力の差がどれだけあるかすらわからんぞ!?」
天魔が焦った様子で神奈子と諏訪子に問いかける。だが、二人もその質問に答える余裕はなかった。
「神奈子! これは出し惜しみしてる余裕はないみたいだよ」
「そうみたいだねぇ」
諏訪子と神奈子、守矢の二柱は頬に冷や汗を流しながら会話する。
「さぁ! かかって来なさいよぉ。クソババアがぁ!」
インドラは額に血管を浮かび上がらせながら、暴言を伴って二柱を威嚇する。
「おいおい、偉く汚い言葉遣いに変わるもんだね。神々しさの欠片もない。それでも由緒正しい神様なのかい? 顔が醜く崩れているよ?」
諏訪子から指摘を受けたインドラは懐から鏡を取り出すと自分の顔を確認して身だしなみを整え始めた。
「いっけなーい! 私としたことが感情に飲み込まれちゃってたー。失敗失敗ー」
身だしなみを終えたインドラは先ほどまでの怒りの表情を作り笑顔に変え、諏訪子たちに見せつける。
「変わったやつだねぇ、あんた……」と神奈子が呟く。
「さーて、私のヴァーハナを殺したおばさんたちにはー、死んでもらわなくちゃ、だよねー」
「そうそう簡単に私たちも殺されるわけにはいかないさ!」
諏訪子はどこから召喚したのか、その身を多数の白蛇に覆わせる。無数の白蛇たちと融合を果たした諏訪子は肥大化し、小さな山ぐらいの高さはある一匹の巨大蛇となった。
「ふーん。すごーい。私のナーギニーちゃんよりおっきくなるなんてー」
インドラが諏訪子の変身に目を奪われている間に神奈子も術をかける。嵐を巻き起こし、風の牢獄をインドラと自分たちの周囲を取り囲むように生成した。
「わわっ!? なにこれー。風の結界ってわけー?」
「これで逃げ場はないな。大人しく諏訪子の溶岩の餌食になるといい」
神奈子の言葉を合図にするかのように巨大白蛇と化した諏訪子は大きく息を吸い込み吐き出した。その吐物は空気ではなく、『坤を創造する程度の能力』で作り出した溶岩である。大量の溶岩がインドラ目掛けて火砕流となって襲い掛かる!
「……どうなったんだ?」
諏訪子と神奈子の影に隠れた天魔が火砕流の落ち着いた戦場を覗き込む。高熱の溶岩で大気全体が陽炎で揺れていた。とても助かるとは思えない。少なくとも、人や妖ならば……。
「冗談だろう?」
天魔もまた険しい表情で冷や汗を流す。視界の先に『神』がいたからだ。
「あっつーい」
軽い口調だった。『神』、帝釈天=インドラは自身の周囲に薄い球状の結界を張ることだけで土着神の最高神である洩矢諏訪子の『坤』の溶岩を退けたのである。
「ま、こんなもんだよねー。こんな小さな島国の貧弱な土着信仰の矮小な神の力なんてー」
「こいつは参ったね」
神奈子は苦笑いを浮かべる。巨大蛇となり表情が解らなくなった諏訪子も心なしか動揺しているように天魔の眼には写った。
「それじゃーまずは蛇さんの方から殺してあげようかなー」
インドラが手を天に掲げると、諏訪子の頭上に巨大な光球が現れる。
「小娘、お前何をするつもりだ!?」と叫ぶ神奈子。
「ふっふふー。するのは私じゃないよー。ひぃひぃひぃひぃばあちゃんから受け継いできた私の一番のヴァーハナだからー。顕現せよ、『アイラーヴァタ』ー」
インドラの掛け声とともに諏訪子の頭上に浮く光球から巨大な象の足『だけ』が出現する。足はそれだけで巨大蛇である諏訪子をはるかに凌ぐ大きさだった。神奈子と天魔は早々に退散したが、諏訪子はその巨体が災いし、逃れ切ることができない。
「潰しちゃえー! アイラーヴァター!」
諏訪子は巨大な象足に踏みつぶされる。同時に諏訪子の巨大蛇を構成していた無数の白蛇たちが散り散りとなる。象足は役目を終えると光球の中へと戻り、光球もまた消え去った。
「諏訪子ぉおおお!?」
諏訪子の身を案じる神奈子の声が天狗の集落にこだまする。象足によってクレーターのようにへこんだ大地の最底辺。そこに諏訪子の体はめり込んでいた。
「すっごーい。アイラーヴァタちゃんの足で踏んづけてあげたのにまだ原型をとどめてられるんだー。もしかしてまだ死んでないとかー?」
「小娘、貴様ぁ! ただで済むと思うなよぉ!」
「青髪のおばさんったら顔こわーい! そんなに怒ってたら皺増えちゃうよー?」
「だまれ! いや、黙らせてやる!」
神奈子はインドラの頭上に『乾を創造する程度の能力』で雷雲を発生させる。
「喰らえ! 神の雷を……!」
神奈子の雷が帝釈天=インドラに放たれる。インドラは防御する姿勢すら見せず、そのまま雷の直撃を許す。
「あっははー。ぬっるーい!」
全くの無傷であった。神奈子の渾身の雷をその身に受けてもインドラは何もなかったかのうような振る舞いを見せて嘲る。
「くっ!? そんな……!?」
「なるほどねー。ナーギニーちゃんやラクタちゃんがやられちゃうわけだねー。結構力あるんだねーおばさんたち。でもー、私には遠く及びませんねー」
そう言いながら、インドラはその手にアイテムを召喚する。
「じゃーん。これはなんでしょーかー?」
「……知るものか……!」と苛立ち交じりに神奈子が答える。
「つまらない答えですねー。……これはね。『金剛杵』、私の国では『ヴァジュラ』と呼ばれる法具。この世にレプリカは多くありますがー、……私の持つこのヴァジュラこそ、ひぃひぃひぃひぃ婆ちゃんの代から、つまり初代インドラから受け継ぐ本物のヴァジュラ……! なんですよー」
インドラがヴァジュラを強く握りしめると変形し、槍状の形になる。柄の上下にそれぞれ大小の刃が付いた槍に……。
「矮小な神に魅せてやろー。本物の神雷をー。……ヴァジュラの雷を!」
インドラはヴァジュラの先端を神奈子に向けた。先端から放出された紫電が神奈子に突き刺さる……!
「ば、ば……ばばばばばば……」
神奈子の意図せぬ発声が感電で強制的に行われる。
「すごいじゃないですかー。この出力で死ななかった神はあなたが初めてですよー。……でも、私もまだ本気じゃないんでー。……少し本気を出してあげますよ」
インドラの雷がより強く激しい閃光を生み出した。閃光が収まった時、そこにあったのは真っ黒こげに変色した神奈子の身体だった。
「あっははははー。どうでしたかー。私の本気はー? まー、もう返事はできないんでしょうけどー」
焼け野原の戦場と化した天狗の集落で、神の高笑いが響き渡る。それはなんとか生き残った大天狗天魔を恐怖の感情で埋め尽くすには十分すぎるほど十分だった。
インドラはゆっくりとした歩みで立ちすくむ天魔の元に歩み寄る。
「どうしたんですかー、おばさーん。そんなに青ざめてー」
天魔は死を覚悟する。神奈子や諏訪子はもちろん、インドラの乗物にすら引けを取る天魔がインドラに敵うはずもないからだ。立ち尽くす天魔の横をインドラは通り過ぎる。
「……こ、殺さないのか……?」
「まさかー。戦意喪失した下等な妖怪ごときを殺すわけないじゃないですかー。殺す意味がない。なぜ、神が恐れられる存在なのかわかりますかー? それは神の恐ろしさを目の当たりにした人間や妖が伝聞するからですよー。そして神は畏敬される存在になるのですー。精々私の恐ろしさをこのコミュニティの妖怪たちに広めてくださいねー。おばさん」
インドラはそう言い残すと、妖怪の山の頂の方向に向かって飛び去って行った。一人残された天魔は膝から崩れ落ち、過呼吸を起こすのだった。