ナーギニー
「……穣子、大丈夫!?」
静葉は倒れている穣子のもとに駆け寄り、安否を確認する。穣子は痛みに顔を歪めながらもこう答えた。
「わ、私は大丈夫よ、お姉ちゃん。それより、あの厄神は……?」
「……私も大丈夫よ。まったくとんでもない目にあったわね」
雛は既に肩の傷口を押さえながら穣子の元に歩み寄っていた。
「助かったわ、秋の神のお姉さん。死ぬかと思ったもの」
「……体は大丈夫みたいね。お礼を言うのは私の方よ。あなたがいなかったら死んでたわ。私も穣子も……」
「まったく、最近妖怪の山に立ち入る者が多すぎるわね。ついこの前、外の世界の神が二柱も入山してきたばかりだっていうのに……」
「ま、この蛇女たちに比べればまだあの二柱はましな方じゃない? 一応筋は通そうとしてるみたいだし……」
「それにしても、この蛇たちも幻想郷から運を奪っている連中の仲間のようね……。魔力の質が幻想郷住人や東洋系のものとは違うもの」
「噂では魔女集団だって聞いていたけど、こんな化物までいるなんてね。バリエーションが豊富で結構なことだわ。しかも、海の向こうからはるばるこの幻想郷まで飛んできたってんだからご苦労なことよ」
「さて、傷の手当をしに行かなくちゃ。お姉さん、妹さんを背負えるかしら? 永遠亭に行かなくちゃ……」
バリィ!!
……不穏な巨大音が雛たちの耳に届く。木が割れる音だ。雛たちの背後に広がる森から聞こえてくる。音は次第に雛たちの方に近づいてきた。
バリィ!!
一際大きな音が鳴り終わった時、倒れた木とともに雛たちの目に驚愕の光景が入り込む。……巨大な蛇女だった。先ほどまで雛たちが闘っていた蛇女が体長2m程度だったのに比べ、目の前の巨大蛇女は体高だけで優に5メートルは超えていそうだった。
巨大蛇女は雛たちの周囲に転がる蛇女たちの死体を目にすると、顔を紅潮させると、怒りを発散させるように地面を強く殴った。衝撃で雛たちは地震にあったかのようにグラグラとバランスを崩される。
「貴様らか? 妾の忠臣であり、娘でもあるこやつらを皆殺しにしたのは……?」
「く……!? だったらなんだっていうのよ?」
「無論、この場で死んでもらおう。……優秀な妾の娘たちを殺した雄である貴様らには妾の名を教えてやろう。妾の名は『ナーギニー』、蛇の王女『ナーガ・ラージャ』である」
「……それはご丁寧にどうも」
雛は額に冷や汗を流しながらナーギニーに声をかける。
「さて、では誰から殺してやろう」
「勝手に殺すつもりにならないでくれるかしら?」
「妾の忠臣を勝手に殺しておいてそのような口を聞けるとは……。どうやら貴様らは相当の恥知らずのようだ」
「さきに仕掛けてきたのはそちらの方でしょう? 私たちの領域にずかずかと土足で入り込んできたのは!」
「……なぜ、神の使いたる我らが下賎の者どもの了解を得る必要がある?」
「……私たちも神なのよ。えらくなめられたものね」
「……神? 貴様らが……? ぷっ、ははははは!」
ナーガ・ラージャのナーギニーはこらえきれずに息を吐き出した。不愉快な雛はすぐに問いかける。
「なにがおかしいっていうの!?」
「おかしいに決まっておろう? 貴様ら程度が神だと? 我らが主はもちろん、妾にも到底敵いそうにない矮小な存在が神とは……。どうやら、この極東の島国では大した力を持たずともふんぞり返ることができるのだな。貴様らの国のことわざでいうならば、まさに『井の中の蛙大海を知らず』というものだ」
「えらく舐められたもの……ね!!」
雛はリボンを鋭く尖らせ、ナーギニーに突き刺そうと射出する。しかし……。
「……なんだ? この蚊が刺した程度の攻撃は?」
雛のリボンはナーギニーの薄皮すら貫けずに止められる。
「そ、そんな……」
「今更後悔しても遅い。妾の怒りを買ったのだ。簡単に死ねるとは思わぬことだ」
ナーギニーは動き出した。体長十数メートルはあろう巨体が信じられないスピードで雛の間合いに入ってくる。再び雛はリボンを射出し抵抗を試みる……が、リボンをいとも簡単につかみ取ったナーギニーはそのままリボンを振り回す。リボンが服と一体になっている雛は逃げ出すこともできずに振り回される。そして振り回した勢いそのままに地面に叩きつけられてしまった。
「がはっ……!?」
雛は口から鮮血を噴き出す。衝撃で体を動かせない雛の細い腕をナーギニーが巨大な手を用いて掴み、拾いあげる。
「下賎の者よ。どうだ? これが妾の力。ナーガ・ラージャの力だ」
「ごふっ。ふう、ふう、ふう……。ふ、ふふ。た、大したことないわね」
吐血によって咳き込みながらも強がる雛。雛の体は右腕をナーギニーに掴まれて持ち上げられ、宙に浮いた状態だ。ダメージで体もほとんど動かせない。それでもナーギニーに屈することはなかった。そんな雛の姿がナーギニーをイラつかせる。
「そうか。まだ、そんな態度がとれるか。ではこれならどうだ?」
ナーギニーは雛の右腕を掴んでいる掌に力を込めた……。
「ぎ!? いやぁあああああああああああああああああああああああああ!?」
骨の砕ける鈍い音と共に雛の悲鳴が妖怪の山の麓に響き渡る。ナーギニーは手のひらの力を緩めると雛を地面に落とす。雛の腕はかろうじて繋がっているようだが……、ぐちゃぐちゃに変形していた。あまりの痛みに雛の双眼から涙が浮かび上がる。
「言っただろう? 後悔しても遅い、と」
ナーギニーは愉悦の感情で破顔しながら地に転がる雛を見下すのだった。