こんやくはき(後)のかみさま
とある学園にて。
「君は変わってしまった、猫背は酷くなる一方だし、うつ向きがちで髪も服も君を隠す物ばかり選ぶようになった。俺はルルタンのような快活な女性が好きなんだ、ごめん、ノアール。本日をもって婚約を
王子は半開きの口のまま固まった。
王子だけではない、その場にいる全員がピタリと、まるで時が止まったようだ。
渦中のノアール1人を除いて。
驚くノアールの前に、光の柱が降り注ぐ。
光が収まると、そこには手を広げた美女が立っていた。
「じゃじゃーん!婚約破棄の女神参上っ!!」
「………。」
「婚約破棄された可哀想なそこのアナタ!そんなアナタをこの私、婚約破棄の女神がお助けしちゃいます!さあさあ!アナタが選ぶのはハッピーエンド?!それともザマァ?!」
「……………。」
「…え、え、無視?無視なの…?おーい、悪役令嬢ちゃーん?」
ノアールの眼前で女神がぶんぶん手を振る。
「悪役?」
思いの外鋭いノアールの視線に女神はびびった。
「ひっ…!ちち違うの!?そ、そうよね、悪いことなんかしてないよね?!王子が勝手に心変わりしたんだもんね?!」
「悪いことは…。」
「いい!いいのよ!アナタは悪くない!悪いのは一方的に婚約破棄した王子だもん!」
「…あの。そもそも婚約破棄とは?」
「やだなぁ、さっき王子が言ってたじゃない。」
「…たぶん、言いかけて止まったので、まだ破棄と聞いてはいないのですが…。」
「―――!!」
女神は口をぱかーんと開けた、その心中は『うそだろやっちまったぜ』だった。
「し、仕切り直しまーす。」
女神はしれっと、指をばちんと鳴らし一瞬にして姿を消した。が、声がする。
「最悪!恥ずかし過ぎるわ!もー!どーすんのコレ、マニュアル無しで飛び込み営業とか新人教育舐めてんのかよ?!」
「……。」
ノアールは律儀に音の無い世界でしばし待った。
をもって婚約を破棄させてもらった。」
「――わっ?!」
女神の意味不明な恥言を華麗にスルーしたノアールだったが、突然動き出して、またピタリと止まった王子には流石に肩を跳ねさせた。
既に女神は先ほどの位置に立っている。
女神らしい微笑みは晴れやかで、立てた親指をクイと王子に向けた。『な?言っただろ』と言わんばかりの腹の立つ微笑みだった。
「はい。アナタは婚約破棄されました。で、どうします?ハピエン?ザマァ?」
「あの…ざまあ、とは?」
「えっ?知らないの?!」
「はぁ、まぁ…。」
「アナタ高熱を出して倒れたり、頭をぶつけて何か思い出しちゃったりしてないの?」
「…してませんね。」
「ま、まあそういう事もあるよね、うん、あるある。」
女神は思い込みを反省し、自分を納得させた。
「あと、言いにくいのですが、婚約破棄の女神様とはどの様な方なのですか?」
「はぇ?私?はて、私とは?え、えーとですね…。ぶっちゃけ私もよくわからないんですが、神って、強い信仰心によって確立された存在と言いますか、私を信じる人がいるから私がいるみたいな?で、婚約破棄というものを信仰する…平たく言えば信者が何処かにいるんですよ、たぶん。あれ?何の話でしたっけ?」
首を傾げた女神にはノアールの眼差しが『何言ってんだコイツ』に見えた。
「とととともかく!私はアナタを助けに来たんですよ!何かないですか?!王子より条件のいい男と結婚したいとか、あ!シンデレラコースはどう?美しく変身して王子を悔しがらせてやるの!あとはあとは、実はそこの女が超ビッチで破局するとか…!」
「…シンデレラ?…ビッチ?」
ノアールがこてりと首を傾けた。
「ぬおおおぉ!!翻訳機能とか無いんですかね?!無いんですね?!女神つっかえねぇ!!」
頭を抱え悶絶する女神をよそに、ノアールはぽそりと願いを口にする。
「叶うなら…王子が…、ぉ、私を好きだった記憶を消してほしい。王子にとって辛い記憶になるはずだから…。」
「――ぁぁぁっ!なんていい子なんですかー!!」
感極まった女神はノアールの片手をとり、胸元まで上げ両手で包み込む。
「わかりました!この婚約破棄の女神にまっかせなさーい!」
でもね!と女神はノアールに迫る。
「私はアナタの為に何かしたいのよ!もういっそチートな魔法で世界救ったり魔王倒しちゃったりする?冒険しちゃう?」
「ま、魔王?魔法とはあの空想の?」
「え゛……無いの?魔法。」
女神にとっては余程ショックだったのか、今日一番目を見開いた。
そんな女神にノアールが真顔で頷く。
「いないの?魔王。」
ノアールは頷く。
うつ向いた女神が、ふふふ…。と自嘲的に笑ってから上げた顔は、悟りを開いた僧に似た微笑みだった。
「ではアナタには素敵な男性との出会いを差し上げましょう。」
「あ、いや、それはちょっと…。」
「恥ずかしがらなくてよいのですよ。ハイスペックなイケメン…ええと、…いい男とくっついてしまえばいいのです。」
「そうじゃなくて、俺、実を言うと、婚約破棄と聞いて正直ホッとしたんだ。」
「…ん?俺?」
ノアールの話し方と雰囲気の変化に女神は違和感を覚える。
ノアールは背筋を正し、顔を隠す長い髪を――カツラをずるりと引いて外した。
出てきた儚さと美しさと男らしさを備えた男が気まずそうに女神を見る。
「男なんだよ、俺は。」
「…Oh。」
「そもそも王子が小さい頃に俺を女だと勘違いしたのが悪いんだ。自分で言うのもなんだが、幼少の俺は誰よりも可愛かった。両親も周囲も面白がってドレスを着せたり女扱いしていたせいもある。王子が俺を見るなり結婚するなんて言うから、あの時は誰も信じてなかったから悪ノリしたんだ。王子が本気だと気付いた時にはもう誰も真実を語る勇気はなかった…。」
「わ、私そっちの方はちょっと管轄外というかなんとゆーか否定はしませんがまだちょっと早すぎるといいますかそれに年齢制限的な事もありましてそーゆーのはかなり困るので…。」
「おい、おい!なに言ってんのかほぼ解らんが、取り敢えず落ち着け。」
白目をむいてぶつぶつ言っていた女神はノアールにぺちぺち頬を叩かれて、なんとか戻って来ると、続けるぞ、とノアールに言われるまま女神はカクカク頭を上下させた。
「当然と言えば当然なんだが、背は伸びるわ声も変わるわ、なんとか隠して来たけどさ、俺も皆も限界だったんだ。」
だから本当に婚約破棄されて良かった。とノアールは肩の力を抜いて朗らかに笑った。
「王子の記憶を消して欲しいってのはそういう事なんだよ。」
「あー…、確かに黒歴史だもんねぇ。」
二人は揃いの眼差しを半開きの目と口のまま止まった王子に向けた。
「わかった、王子の方は何とかしましょう。んで、せかっくだからアナタは可愛い女の子とでも出会っとく?」
「いや、それはもういいから。」
「そう言わずにさー、初仕事だし、私だってやれば出来るってとこ見せたいんだよぅ。あ、もしかして好きな子でもいるの?」
「…それなら。気になっている女性はいるんだが、名前が分からないんだ。」
「あら、誰々?どんな子?学園の子?」
俄然やる気が出た女神はノアールに詰め寄る。
「俺の目の前にいる。」
「え?」
ノアールはその場に膝まづくと、ふわりと女神の手をとり、その甲に軽く唇を当てて女神を見上げた。
「俺は一目で貴女に心を奪われた、憐れと思って下さるのなら、どうか僅かでも貴女の慈悲を――。」
「はへ?」
「…やっぱり俺には王子みたいなまどろっこしいのは合わないな。」
きょとんとする女神にノアールは苦笑いを浮かべた。
「女神様、俺は貴女に一目惚れしました。もし運命の出逢いがあるのなら、他でもない貴女がいい。」
ノアールの告白に女神は顔を真っ赤に染め狼狽える。
「わわ、私ですか…?!いいんですか?駄女神ですよ…?!」
「だめがみ?ははっ、成る程確かに。でもそこもいいな。」
クスクス笑うノアールに女神の羞恥は限界に近い。
「むしろ俺のような人間などが尊い神に求婚など、迷惑ですか?」
「いえ!大丈夫、大丈夫です!同種族じゃなきゃなんて決まりは有りません!なんと言ってもイケメンに告られて喜ばない女がいますか!むしろよろしくお願いしますですよ!!」
「…そっか、良かった。」
ノアールは茹で上がった女神を抱き締める。
「あわわわわ…!えぇっと、じゃあ、ちゃちゃっと手続きやらしてきますから!やっぱナシとか無しですよ?!嘘ついたら針千本飲ませますからね?!いいですか?!」
「ああ、待っている。」
つつがなく婚約が破棄された2日後、三つ指ついて嫁入り宣言をしたのは生徒として学園に入ってきた女神だ。
後に女神は残念美人という言葉を世に広めつつ、ノアールと共に末永く幸せに暮らしましたとさ。