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純愛

作者: 希人

少女、少年視点の二部構成。短いです。

 純愛   

 

 <<記憶障害を患う少女Aの視点>>


 私は後天性の記憶障害を患っている。


 発症自体は一年前、交通事故で負った頭部の損傷が原因だ。無事に一命を取り留め、他の箇所にこれといった障害も残らなかったので、生活をするのに不自由はしていない。今から思えば、まるで遠い昔話を聞いているような感じさえするのだ。

 それは何故か。実のところ記憶障害になったからといってどうということはない。私はもともと生まれてこの方良いことなど一つも無かったので、今更、記憶障害うんぬんでは驚かなかった。

 さて、そんな記憶障害でも不便な点はやはりある。それは自分の失った記憶が何か分からないことである。今までの出来事すべて抜け落ちるわけではなく、どうやら私の場合は一部の記憶が喪失していると医者から聞いている。まあ、そんなの他の人に聞けばいいじゃない、と思うかもしれないが私にはそんな人がいない。……いっそ記憶が全て抜け落ちてくれたら、一から人生をやり直せるのに。

 知らぬ間に出来ていた首の痣が鈍く痛む。この傷は本当に知らない間に出来ていたものだが、一切の心当たりなどない。もしかしたら記憶障害で抜け落ちた記憶の中に、この傷のこともあったのかもしれない。記憶の新旧問わず、この病で抜け落ちていく。

 そうやってぼうっとしていると、私の名前が呼ばれた。今日は、行きつけの病院の定期検査であった。もはや作業となり果てた検査も終え、待ち合いのロビーで清算の準備をしていたのだ。

 重い腰をあげ、支払い窓口へ視線を向けた。その時だった、腕を掴まれたのは。

 驚いて振り向くと、目に隈を浮かび上がらせた一人の男。それは今まで私の隣に座っていた男だった。

 病的なまでの色白、無造作に生やしている髪で彼の目は隠れてしまっており表情は見て取れない。手入れをしていない髭がみずぼらしく、汗が浮かんだ肌には髪の毛がねっとりと絡んでいる。  

 そして何より、口から吐かれる荒々しい吐息が、彼の特異さを顕著に表していた。

 周りの人達が悲鳴をあげながら後ずさりする。見ると、男の片方の手には銀色に鈍く光る尖ったもの。矛先は私に向いている。

 不思議と恐怖は一切感じなかった。むしろ、言葉にし難い高揚が私を包んでいた。

 振り下ろされる銀の刃。その間、髪の合間から見えたのは涙に濡れる彼の双眸。

 刃は、私の胸に深々と刺さった。



<<色白の少年Bの回想>>

 最初、異変に気が付いたのは、彼女が俺とのデートで買ったお揃いのマグカップのことを忘れていた時だ。

 それは、交通事故に彼女が遭ってから、一か月ほど経った頃。特に命に別状はなく、順調に回復の兆しをみせていた。その当時は、物忘れなんてよくあることだと、なんとも思わなかった。実際、買ったのは数年前のことだから覚えてないのも仕方のないことで、それより彼女の体調に気がかりだったのだ。だが、異変は始まったばかりだった。

 その後も、クリスマスに行った場所であったり、誕生日プレゼントのことであったり、さらには告白の言葉さえも彼女は忘れていった。

 決定的だったのは、彼女がこう言い出した時だった。今まで良いことなど一つもない辛い人生だった。だけど、あなたと会えたことだけが幸せだった、と。

 彼女は以前、幼い頃の楽しい話を沢山してくれた。辛い人生だなんて、漏らしたことなんてなかった。

これは異常事態であると、俺は思った。これからのことを察するに、幸せな記憶だけ特定して抜け落ちているのではないかと。

 勿論、早急に医者に診てもらった。しかし、医者は一部分の記憶損傷と機械的に判断し、精神療法を淡々と進めた。きっと治ることを信じて病院にも日々通ったが、症状は良くならずむしろ悪化する一方だった。

 そのあと、記憶障害であることは彼女にも告げた。本人自身も、俺の記憶が消えていっていることがなんとなくわかるらしく、それを恐怖に感じていた。

 そして、……つい先日のこと。彼女は俺にこう言ったのだ。

「私に●●の存在を刻みつけてほしい。痛いくらいに、傷ができるほど、乱暴に、私の意思関係なく。そうすれば私は、●●を永遠に覚えていられるわ」

 それは、本当に正しいことなんだろうか。

 俺には分からなかった。考える時間さえ神様は与えてくれない。彼女の中にある俺という色は、何度塗り直したとしても真っ白に塗りつぶされていく。

 そして、恐れていたその時は来てしまった。


「……あなた、誰ですか?」


 その一言は、俺の理性を一瞬で攫って行った。その時が来たのが、自室であって良かった。俺は、彼女に、彼女自身が頼んだようなことをしてしまった。決して癒えることのない傷を与えた、つもりだった。

 しかし、結果は思うようにはいかない。彼女は、俺があんなにも酷いことをしたにもかかわらず、また忘れてしまったのだ。

 それは、あの暴行さえも“幸福”と彼女が無意識に感じたからなのか。

 俺は、彼女に忘れてほしくなかった。同時に、今となっては遅いが傷をつけたくもなかった。

 だが、それが彼女の願いならば。






 病院の待合ロビー。少しざわざわしているその場所では、彼女がソファーに座っている。俺は、その隣に腰を下ろした。ポケットに手を入れ、銀色の固いものが中に入っているのを確認する。

 願い、叶えるから。


 一番の幸福を、君にあげる。



お読みいただきありがとうございます。最後の”幸福”は、”苦痛”にルビをこうふくと振りたかったです。

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