ヘイト管理をしよう
俺は睡眠を取ったのでだいぶ魔力が回復した。部屋を出て洗面所に向かう。
この世界に各家に蛇口が整備されているワケがない。昨日のうちに汲んでおいた水を使い、歯ブラシの変わりに叩いて柔らかくした木の棒を口の中にいれて歯を磨く。歯磨き粉なんてもちろん無い。歯磨き粉の代わりは塩だ。
「歯磨き粉も作れないかな」
俺は前の世界の知識を使ってこの世界でいろいろな物を『発明』している。前の世界の品物と比べたら全く取るに足らないものだし精度だって悪い。
鏡のつくり方を俺はたまたま知っていた。ガラスに銀をコーティングする。メッキの技術はこの世界にもあったのでフェリエの家の力を借りれば鏡は簡単に作ることができた。
こういうところで商家の令嬢という設定が生きてくるとは俺も思わなかったものだ。
ガラスを完全に平坦にするためにひと月かけて職人にガラスを磨かせて作ったというこの鏡。
まだまだ歪で顔が完全にそのまま映るわけではない凹んでいたり凸っているところもまだあるため、俺の顔がゆがんで見える。不満な点はあるものの売れ行きはよいらしく、鏡の発明代金としてフェリエの父からこの国のお菓子を大量にもらった。
フェリエの父たちは鏡を使っていくら儲けているかは知らない。興味もない。
俺の知識だって無限じゃない。その事はフェリエの父も承知してくれているようで特に次々と発明をするように要求してくる事はなかった。
「パスタが食べたいな」
ふとそう思った。
パスタの作り方自体は簡単である。この世界には小麦粉もトマトも卵も肉もある。
「作ってみるか」
俺はキッチンにまで向かっていく。
キッチンに行くとシィがいた。
シィはむっとした顔をしてこっちを見てくる。
「女の子に囲まれてさぞ嬉しいでしょうね……」
なんで機嫌が悪いんだろうか。シィは昨日の夜は魔法の訓練をしていたはずだ。それから後に俺はシィの機嫌を損ねるような事をしただろうか?
シィが俺のことをじっと、見つめている事に気づく。おれと目が合うとシィは「ふん」とそっぽを向いてしまう。
「シィ君? 昨日の夜はお疲れだったね」
シィに声をかけてくる父。
「どうしたんだい? 昨日の夜は『ロドムを助けることができる』とか『私もロドム様と肩を並べて戦うことができます』とか言って喜んでいたじゃないか」
そう言ったあと、横目で俺の事を見る父。
オーケー。ありがとう父さんよ。シィは俺の支援をして戦うことができるのを夢見てがんばっていたのだ。そこにお邪魔虫が入った。フェリエは自分の魔法を鍛えて俺といっしょに戦うつもりだし、ほのという使い魔だって出てきた。
俺の事を助けるのが自分ひとりではないというのが分かって拗ねているのだ。
「僕と一緒に新しい料理を作りませんか?」
シィの機嫌が悪い時はいつもこうすればいい。
パスタのつくり方は簡単だ。うどんを作るのと同じ。小麦粉をこねる。塩を混ぜ水を混てひたすらこねるのだ。
本格的なうどんの店は生地の上に立ち踏み付けて伸ばす。それを丸めてまた踏みつけて伸ばす。それを繰り返す。そうするとコシのあるうどんができる。
パスタの場合は塩と卵を混ぜて、くこねる。それから一時間ほど生地を寝かせるのだ。
「これで一時間生地を寝かせるんだ」
パスタをこねて完成させたのを紙で包む。それから一時間待つのである。
ここまでシィと一緒になってパスタの生地をこねていた。シィの顔色も不機嫌な色がなくなっていた。やはり料理をやっている時のシィは上機嫌になるものだ。
シィにはどう言い訳をしようか?
俺は考える。
昔はまっていた戦略シミュレーション脳になってしまっているから、こんな考えを思いついたのだと先に説明をする。
他者から怒りを買わないためには、自分に代わり怒りのぶつけ先になる者を用意する。ヘイト逸らしというものだ。
俺はシィの怒りの矛先をフェリエに向けるべしと考えたのだ。
「フェリエってさぁ。すぐにほのと仲良くなってくれたよ」
俺はニコリと笑いながら言う。シィはまた不機嫌そうな顔をして聞いていた。
ほのの事を見た俺は続きを言う。
「ほのの耳なんかをさわろうとしたりさ。フェリエもあれで、けっこう可愛いところもあるんだよ」
クスクスと笑いながら言うとほのは耳を隠すために頭を押さえた。俺がこれからどう話を続けるつもりか気づいたようだ。
そんなことは気にせず、ほのの事を見てニヤリと笑う。ほのはそれを見てうつ向きながらも俺の事を見上げた。ほの自身半分観念をしているようだ。
「ほのの耳に触ってみなよ。フェリエは気持ちいいって言って大好評だったよ」
そう言いほのに目で合図をする。ほのはしぶしぶといった感じで、シィに向けて頭を差し出す。
シィは興味がなさそうな顔をした。シィの視線がチラチラとほのに向けられている。これは脈がありそうだ。
「触ってみなよ」
俺がそうひと押しする。シィは遠慮がちにしてほのの耳に手を伸ばした。
「うっ…
そう声を絞り出し、シィの手が伸びてくるのをおずおずとして見るほの。
「しょうがないなぁ」
俺はそう言って、シィの手を掴んでほのの耳を掴ませた。
ほのは目を強くつぶってそれに耐えたが、シィはその感触を感じて顔をほころばせた。
「ああ」
思わず、口からそう声が漏れるシィ。ほのの耳は麻薬的な中毒性でもあるかのようである。後で触らせてもらおうかな?
ほのはシィが自分の耳を触るのに、目を強くつぶって辛そうにして耐えていた。
それを見たシィは手を止めた。手をほのの耳から離し俯いた。
「なんかかわいそうです」
そう言い出す。ほのはシィの事を見上げた。
「もういいのかい?」
俺はシィに向けて聞く。シィはこくりと頷いた。
「この子嫌がっているみたいですし」
ほのは、シィの事を見上げながら顔をいきなり笑顔にした。
「シィ! 好き!」
ほのはそう言ってシィの胸に飛び込んでいった。
「わっ!」
そう小さく呻いてから。シィはほのに押し倒されていった。
シィは犬にでも飛びつかれたかのような様子だ。
「ねぇ頭なでていいよ」
ほのはそう言いながら頭をシィに向けて出した。シィはそれでほのの頭を撫でる。それにほのは顔を緩ませて気持ちよさそうにしている。
「まったくシィはほのに気に入られたね」
俺はそこに声をかける。
「フェリエなんてほのの事なんか気にせずに、気が済むまで耳を触っていたからね」
「フェリエ様も…
シィは言う。
「シィさほのの事を守るのに協力をしてくれないかな? ほらボクは属性の関係もあってフェリエには頭が上がらなくて」
月の属性も光の属性もお互いに強く反発しあう力を持っているのだ。
ヘイト管理成功。
俺はそう思いながらクスリと笑った。この時のその場しのぎで作った、この敵対関係が、後々自分の首を絞めることになる事をその時はまだ知らなかったのである。