お宅訪問です(1)
「んじゃ、お袋、行ってくるわ」
玄関から家の何処かに向って、大声を張り上げる。
「お願いだからすぐに帰ってこないでね。できるだけ遠回りして、せめて30分は、」
「分かったっつーの。じゃあなっ!」
今朝から何度も聴いている科白を遮り、弘樹は再び声を張り上げた。
「いってらっしゃい。あーー待って、弘樹。奈月さんは日本茶と紅茶とコーヒーのどれが」
「しらねーよ。行ってくる」
横開きの玄関扉を閉めて向ったのは、畑と家の間の敷地に停めてあるオンボロ車(軽トラ)だ。ちなみに、移動中も今も、口元が緩んでいる自覚は、しっかりある。
「ったくよぉ、いい天気だなーー」
母親のあんなに元気な姿を見るのは、どれぐらい振りだろう?
まったく、奈月様様じゃないか。
弘樹が母親に今日の奈月の訪問を告げたのは、昨日の夕飯の時だった。
最近はともかく、数年前までは、男女問わず弘樹の友人やら知人やらが家に遊びに来ることもあったので、大したことではないだろうと、特に意識せず軽い口調で伝えたつもりだ。けれど、それを聴いた母親の反応は、予想外のものだった。
誰だ、どんな人だと、根掘り葉掘り訊いてくる母親に、弘樹は言葉を濁し何とか誤魔化そうとしたものの、最後には結局、根負けし、見合いパーティーのことから洗いざらい白状させられてしまう。
それからの母親が凄かった。思い出すだけでニヤけるほど。
夕飯の片付けが終るとすぐに、家中の大掃除が始まったのだ。
どうせもう一月足らずで年越しを迎えるのだから、丁度良いと言えば丁度良かったのだが、今朝がた2時まで掃除をしていた母親は、5時に弘樹に朝飯を出すと再び掃除に戻り、今もまだ仏壇に張り付く暇がないぐらい忙しなく動いている。まだ嫁に来ると決まったわけでもない客に、何をそんなに母親を奮い立たせるものがあるのかさっぱり分からないが、何はともあれ、再び働き者の母親の姿を見られたことが、弘樹は嬉しくてたまらない。
待ち合わせは駅に14時。現在の時刻は13時40分。規定速度以下で車を走らせても十分間に合う時間である。母親にも時間を引き延ばせと言われていることだし、財布にそれほど余裕があるわけではないが、駅の近くのファミレスで時間を潰すのもいいだろう。前回の定食屋では奢らせてもらえなかったけれど、今日はぜひとも奢らせてほしい。さて、どうやって奈月を説得するか、ぐるぐる思案していると、あっという間に車は駅の近くまできていた。
駅には駐車場がないので、とりあえずタクシー乗り場付近まで車を走らせ辺りを伺う。奈月がまだなら、隣の有料パーキングかファミレスに車をいれるつもりだったが、駅の入口から少し離れたコンビ二の前に、あっさりその姿を見つけることが出来た。
「おーーーーい、こっち」
母親を意識しているのか、今日の奈月の格好はどこぞのOLのようだ。髪は後ろで一つに束ね、キャメルカラーのコートの下から覗くスカート丈は、珍しく膝が見え隠れする長さ。カッチリとハイヒールでかためた足が、弘樹の声に気づいて近づいてくる。
「こんにちは、橘さん」
「おう、乗れよ」
白いトレーナーの袖口に付着していた土汚れを手で軽く掃いながら、弘樹は上機嫌で奈月を助手席へと促した。
それから奈月に断りをいれ、移動というほどの距離もないファミレスの駐車場に、車を停めた。
いざ、車を降りようという時になって、
「あの、橘さん」
それまでおとなしく隣に座っていた奈月が、やけに遠慮がちに、声をかけてきた。
「どうした?」
不審に思いながら弘樹が訊くと、
「あのですね・・・」
何故かもじもじ動きはじめた奈月は、珍しく言いよどむ。
「トイレか?」
「ではなく・・・あの、この車なんですけど・・・」
「車?軽トラ?」
はい、と頷く奈月の目が、潤んでいるような、いないような・・・
「・・・以前何度か、ドラマや映画で、荷台?ですか? そこに人が乗っているシーンを見たのですが、実際に乗ることができたり・・・するんでしょうか?」
再び遠慮がちに問われて、弘樹は首を傾げる。
「いや? サツに見つかったら怒られるけど?」
「あー・・・そうなんですか。そうですよねぇ・・・」
傍から見ても直ぐに分かるほど、がっくりと肩を落す奈月。少しのあいだ眉を寄せてから、弘樹は軽く目を見張った。
「え?まさか、乗りたいのか?」
「え?あ・・・はい」
こんな車、乗りたくない と怒り出しても似合いそうな女が、顔を赤らめ素直に頷く。
弘樹にとってそれは、結構な衝撃で・・・。
突如襲った、足元から何かとんでもないものが吹き上げてくるような、大声を上げて叫びだしたような衝動に、喉の奥から低い唸り声が漏れてしまう。
「・・・大丈夫ですか?」
知ってか知らずか、眉を寄せた奈月を、生まれながらの目つきの悪さで半睨みにしながら、弘樹は口を開いた。
「乗せてやる」
「え?」
「家で、車停めてるときでいいんなら。走りたいなら、サツのいない所でしか無理だけど、でも乗せてやる。つか何なんだよこれ・・・ありえねぇ・・・」
頭をがしがし掻き毟りはじめた弘樹に、奈月は最初こそ戸惑ったものの、徐々にこみ上げてくる嬉しさの方が勝ち、口元を綻ばせる。
「まじで・・・ありえねぇ・・・つか、あちぃー・・・」
横目に睨まれて、コートが必要な季節に、真っ赤な顔を両手で仰ぐ弘樹が気にならないわけではないが、転がりこんだ思わぬ幸運を、奈月は素直に喜んだ。