初デート?は定食屋です(後)
「そういえば橘さん、」
それでもどうにか話を再会できる空気になったのは、不貞腐れた弘樹が日替わり定食を半分以上、胃袋におさめた後だった。生姜焼き定食をまだ3分の1も食べ終えていない、奈月の顔を伺い見る。
「どうして私と結婚したいんですか?」
「ぶほっ」
口の中の白飯がつまって苦しむ弘樹の前に、そつが無い迅速さで差し出されたグラス。それを受け取り、中の水を一気に煽ると、何とか息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
「まぁ・・・どーも。つか、いきなりだな?」
「そうですか?」
「そうだよ」
さくらんぼ色の唇が不満を訴えてくるのに苦笑し、弘樹は奈月と視線を合わせる。
「なんていうか、目が離せなくなったんだよ。あんたが会場に入ってきたときから」
「それはつまり、外見ってことですか?」
「まぁ見た目もだけど、それだけじゃない」
「というと?」
「まぁーなんだろうな。うまく説明できねぇけど、これだと思った」
「これって?」
「俺が求めてたもの?とにかく、あんたを嫁にしたいって、それしか頭になくなった。けどそんなもんだろ?惹かれる瞬間ってのは。簡単に言葉になんかできねぇよ」
知識としては知っているけど、経験がない、その、瞬間とやら。同意を求められても、正直困る。
奈月の困惑を表情から読み取ったのか、弘樹は訝しげな顔をした。
「男と付き合ったこと、あるよな?」
「一応。一人ですけど」
「本気かよ・・・信じらんねっ。何で?」
「何でと訊かれても・・・縁がなかったのでは?」
「だから見合いパーティ?」
「いいえ、違います」
弘樹の目を見ながら、奈月はきっぱりと否定する。
「私が探しているのは結婚相手です。お付合いする方ではありません」
「待てよ。それはあれか?結婚相手と恋人と、線引きしてるってことか?」
「そうですが?」
それが何か?とでもいうような奈月の様子に、弘樹はあんぐりと口を開いた。
恋愛は恋愛。結婚は結婚。そんな風に割り切ってる人間は、テレビの中でしかお目にかかったことがないからである。
「あんた本気で言ってんのか?それはいくら何でもだろ。だってよぉ、」
「結婚の価値観は人それぞれ。私は私の価値観で相手を探しに来たと、言いましたよね?。お付合いした人は一人でも、私は無知ではありません。だから橘さんがおっしゃりたいことは分かりますし、私の考えを理解できないという方も多いでしょう。ですがそれはあくまで、橘さんやその方たちが思うところであって、ディスカッションならまだしも、一方的な否定や押し付けは迷惑です」
自他共に認める威圧的な見た目が故に、深く知り合う前からこれだけはっきりと弘樹に意見してきた女は、かつて一人もいない。並ぶと大人と子供のような体格差であるにも関わらず、対等、もしくそれ以上の存在に見える奈月が弘樹には眩しい。
それに、この目。
屈しない意思を表に出す反抗的な奈月の目は、良い意味でも悪い意味でも人を惹きつける。
けれど、
「なぁ、あんたは何で、結婚したいんだ? 自分勝手にやりたいんだったら、一人の方が楽だろうに」
この奈月の言い分には、どうにも納得がいかない。
「私は自分勝手でしょうか?本当のところ・・・、私に結婚が向いているのか、いないのか、まだ判断がつきません。それでも、子供は欲しいと思いますし、家庭を持ちたいとも思います。もともと27歳ぐらいで結婚できればとは考えていましたが、それを抜きにしても、金銭や精神面で少し余裕ができた今の時期が、適当なのではないかとも思っています」
「けどよぉ、離婚考えてないんだったら、これから何十年も一緒に暮らすことになる相手だぞ?条件さえクリアできてりゃ好きでもねぇのに、暮らせんのか?それともクリアした相手を、あんたは好きになるのか?」
「橘さんだって、誰でもよかったんでしょ?私よりひどいじゃないですか」
「あぁそうだよ。偉そうなこと言えない立場だってのはわかってる。でも俺は、口では誰でもいいとか言っときながら、実際んなのは無理だ。好きでもねぇやつと何十年も同じ屋根の下で寝起きするなんて、ごめんだね」
弘樹が吐き捨てると、奈月は困惑気味に眉を顰めた。
「橘さんの話は極論ですよ。私だって、全く何とも思わない人と結婚しようとは思っていませんでした。条件を満たせるのは前提で、あとはお話してから、と。だけど橘さんがおっしゃっていた通り、最初からあれだけの条件を提示したのは、よくなかったかもしれません。そこは怠慢だったと反省しています」
奈月が静かに目を伏せる。
「なぁ、なんで結婚も考えられないような男と付き合ってたんだ?」
その神妙な態度にすっかり戦意を削がれ、薄いコロッケを箸でつつきながら、弘樹はぼそっと問いかけた。
「興味があったので」
「恋愛に?その男に?」
「両方です。マイナスにはならないと思いました。実際、いろいろ勉強になりましたし・・・」
嘲るように薄く笑う奈月。
「いい別れ方してないんだな?」
「どうでしょう?そうなのかもしれませんね」
どこか物悲しい囁きが、湿っぽい空気を運んでくる。それを振り払うかのように、弘樹は大きくかぶりを振った。
「どうしたんですか?」
「なぁ」
「はい」
「俺にしとけよ。あんたの出した条件、全部クリアしてやる。過去はどうしようもないけど、先は約束する。何なら念書残してもいい。だから、俺んとこにこい」
え? と目を瞬く奈月に、弘樹が繰り返す。
「俺んとこに、嫁にこいって言ってんだよ」
すぐにそっぽを向いたのは、単なる照れ隠しだ。言い方は多少偉そうであっても、弘樹からすれば真剣な求婚だった。奈月が不憫であるとか、けしてそんな風に思ったわけではない。強いて理由を挙げるとするならば、
「どうせ好きでもない男と結婚するなら、あんたを好きだっていう男と結婚した方が、うまくいくんじゃねーの?」
根拠も何も無いでたらめを、実現させたいと思った。それだけだ。
あっさり受け入れてくれるとは到底思えなかったし、何を言い返されるかと身構える弘樹の前で、奈月は突然、止めていた箸を動かし始めた。そのまま黙々と食事に励む姿に、弘樹はうろたえる。やがて米粒一つ残さずに、ご馳走様でした、と箸を置いた奈月は、そこでようやく、固まっていた弘樹を視界に入れた。
「食べないんですか?」
「・・・食うよ」
残り僅かとなっていた皿の中身を、弘樹も慌てて口の中に放り込む。前の席から凄まじく視線を感じるが、とにかく全部を食べきった。
「橘さん」
弘樹が箸を置いたのを確認した奈月が、声をかけてくる。
「何?」
「今日はこれで帰りますが、次回は橘さんのお宅にお邪魔してよろしいでしょうか?」
「お宅って・・・え?うち?」
何が何だか分からず目を丸くする弘樹に、
「はい」
奈月はしっかりと頷いた。
「色々考えたのですが、私は婚活を続けます。ですが同時に、橘さんを知ろうと思います。それでもし、私自身納得がいくようなら、先ほどのお話をお受けしたいと思います。それでよろしいですか?」
相思相愛で結婚し、結婚なんかしなければよかったと言う友人。
気持ちが無いのに出来ちゃった婚をして、結婚して本当によかったと言う友人。
何が正解なのか分からないのなら、先走って結論を出すより、知ることから始めてみよう。
「・・・とりあえず、よろしいんじゃないっすかね?」
自分にとっての結婚の意味を
その相手となる人のことを
end