お誕生日の朝食は
「私、結婚しようと思うから、もうここには来ないでね」
それはまるで・・・、
朝ご飯、和食と洋食どっちがいい? と訊かれたのではないかと勘違いするほど軽い口調だったから、啓太は思わず、自分の耳を疑った。
「は?」
「だから、結婚するから、もうここに来ないでねって言ったの。当然、連絡も駄目。結婚相手に失礼でしょ?」
昨夜確かにベッドを共にした筈である女は、白い肌に深紅のランジェリーを身につけながら、何でもないことのように返してくる。
「いや待てよ。結婚って?そんな相手がいたのか?」
「まさか。これから探す。26歳までは自由に過ごしながら、自分磨きとお金をためることに専念して、27歳から結婚相手を探すつもりだったの。30歳までには子供を産みたいし。それでね、私今日で27歳になったから、ね?」
「ね?ってお前・・・」
10代から自分の容姿に自信があった啓太がこの女、奈月と出会ったのは、啓太と奈月が共に19歳を迎えたばかりの頃。
きっかけは、ナンパだった。
啓太が当時大学でよくつるんでいた2人の友達と一緒に、街で声をかけたのが、同じく3人組で遊びに来ていた奈月たちだ。
当時の奈月は正直、パッとしない顔をしていたが、服装やスタイルはそれなりであったし、何より自分に腰をくねらせず、打てば返ってくるさっぱりとした性格が啓太には心地よかった。メル友から友達へ、そして恋人へ。啓太にしてはめずらしく順序を踏んで得た恋人。けれど一緒に過ごす時間は楽しめても、やはり奈月の顔がパッとしないせいで隣をつれて歩く気になれず、恋人関係になってからは特に、奈月と会うのはどちらかの家が中心になった。そんなこんなでフラストレーションがたまっていった自分は、今振り返ってみれば若かったのだろう。
奈月との恋人関係は保持したまま、言い寄ってくる女の中から顔の綺麗な女ばかりを選んで連れて歩くことが増え、酔った拍子に浮気といわれる行為に及び、それがあっさり奈月の友達にバレて奈月ではなく友達の方から罵られ、奈月本人には当に見切られていたのか、修羅場の匂いさえないほどすっぱりと別れを告げられた。
それが20歳のおわり。
さらりと人生設計を語った奈月に、別れを告げられたあの日を思い出した。
―――― 啓太くんとはもう会わないから。連絡もしてこないでね
まるで啓太との時間が最初から無かったものだと言わんばかりの、平然とした態度。感情を滲ませない科白。
そして今日、初めて知った誕生日を祝うことすらさせてもらえず、部屋へはもう来るなと彼女は言う。
2年前、奈月と再会したのもまた、ナンパだった。
友達が雇われ店長をしているBARでやけに人目を引く綺麗な女が一人で飲んでいたから声をかけたら、驚いた顔をされた後、爆笑された。最初はわけがわからなかったが、声や仕草が懐かしい記憶を掘り起こし、まるで別人のような美人顔に変身していた奈月に誘い文句を並べて、また爆笑された。元々性格は好きだったから容姿が伴ったことでより啓太の理想に近い女になった奈月を熱心に口説き、恋人にこそなれなかったものの、所謂大人の関係になれたのは再会の日から丁度2ヵ月後。携帯のアドレス帳から女の名前が消えていき、代わりに履歴に奈月の名前が並ぶようになった最近は、それそろ関係のステップアップをと企んでいた。
その矢先だ。
「なぁそれ、俺じゃ駄目なわけ?」
「それって?」
ワンピースタイプの部屋着を着て、ふんふんと鼻歌を歌いながら、キッチンで朝食の準備を始めていた奈月がちらっと振り返る。
「いやだから、結婚相手」
「わーそれ、面白くない冗談だね」
「いやいや冗談ではなく・・・」
「だったら尚更面白くないよ。結婚相手はあくまで結婚相手。恋人でも、まして遊び相手では絶対にないんだよね。ごめんね?」
小首を傾げ可愛く謝られたところで、啓太の心臓には鋭い何かがぐさぐさと突き刺さる。
「本気かよ・・・」
女に不自由したことがない啓太にとって、結婚はせがまれることはあっても、あっさり断られるなど、とんだ想定外だ。あげく、何度もデートをし、互いの部屋を行き来し、毎日メールをし合う恋人だった頃より恋人らしい関係を築いてきた女からの、遊び相手扱い。過去の負い目もあって泣くに泣けない状況で、啓太は低く唸り項垂れた。とそこで、
「啓太くん」
何故かご機嫌の奈月が声をかけてくる。
「ご飯できたよ。これ食べたら帰ってね。あと、啓太くんがうちに置いてた荷物、纏めておいたから持って帰って」
1Kの奈月が住むアパートで、壁際に置かれたベッドに座っていた啓太の前にあるテーブルに、いつの間にか並べてあるトーストとコーヒー、スクランブルエッグ。まだ湯気の立つそれを見ながら、今朝は和食の気分だった啓太は唐突に悟った。
これは自分に対する、奈月の復讐なのだと。
「奈月・・・」
「うん?」
「・・・ごめんな」
「何が?」
「でもそんな奈月も好きだよ」
「んーよくわからないけど、早く食べてね」
そして間違いなく自分は・・・この恋を引きずるだろうと。