婚活します(中)
プロフィール用紙の一番下、フリースペースは何でもいいので書きたいことを書いてください。
と、受付の人間が言っていたが、あらかじめ書くことが決まっている枠には職業や年齢、学歴など、履歴書のような項目しか並んでいなかったため、大抵皆、このフリースペースに相手への要望や結婚の条件などを書いている。弘樹もそうであるし、奈月もだった。本来ならば一番見なければいけない箇所なのだろうが、弘樹がそれをすっ飛ばしたのには、きちんと理由があった。奈月のプロフィール用紙のフリースペースが、誰よりも、どの項目よりも細かい字でぎっしりと埋め尽くされていたからだ。
「全ての条件を満たしている方と、お話をするつもりで来ました。ですからどうしても、目を通していただきたいです」
しかし奈月にそう言われてしまえば、読まないわけにはいかない。しぶしぶ弘樹は差しだされたプロフィール用紙に手を伸ばした。
1、健康な方
※医師による健康診断書の提出をお願いします。保健所、産婦人科においての検査もお願いしたいと思います。またこちらとしましても、診断書等、提出する準備があります。
※喫煙者の方、アルコール摂取量が多い方は申し訳ありませんが、ご遠慮願います。
2、定年まで現在の職場で勤められる方
※年収は生活できる範囲内で結構ですが、今の職に真剣に向き合っておられる方を希望します。また、定年まで勤められる環境下にある方が望ましいです。
※共働きを希望しますが、状況によって相談は可能です。
3、子供を持つことに抵抗のない方
※結婚後は、可能な限り早く子供を持ちたいと考えております。
※厳しすぎることなく、甘やかしすぎることなく、父親の役目を果たせる方が望ましいです。
※教育面など、家族で相談して方針を決定できる環境を望みます。
4、精神面において安定している方
※感情の起伏が激しい方、過去に暴力行為を一度でも行ったことのある方、アルコール摂取時に人格に問題のでるような方はご遠慮願います。
※著しく精神面に弱い部分があるという方、神経質な方もご遠慮願います。
5、正常な金銭感覚を持っている方
※浪費癖のある方、競馬やパチンコなどのギャンブルによる支出の多い方は、ご遠慮願います。
※世間一般的な趣味であっても、費やす金額によりギャンブルと同等とみなす場合があます。
6、
7、
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12、最後に、不貞行為はできれば避けて頂きたいですが、出産後ならば結構です。ただし、不貞行為を行った後の夫婦生活は一切行いません。離婚の意思はありませんので、子育てには変わりなく協力をお願いしたいと思います。
「・・・・・なんだ、こりゃ」
箇条書きのそれを最後まで読み終えたところで出たのは、夢から覚めたばかりの低い声。
「んだよっ。やっぱ、やらせかよ」
「・・・やらせ?」
わざとらしく足を投げ出し、姿勢を崩して、さっきの奈月の言葉を頭の中で繰返す。
全ての条件を満たしている方と、お話をするつもりで来ました―――― だと?
とどのつまり、これぐらいの条件は最低でも満たしてくれないと、結婚どころか話もしたくないわ、ということだろ?
「まぁ、おかしいとは思ったんだけどな。あんたみたいな人が見合いとかありえないわな。ちっとでも期待した俺が馬鹿だったんだわ。あーぁ・・・」
急に態度が変わったのもそうだが、額に手を置き天を仰ぐ弘樹に、困惑したのは奈月だった。
「どういう意味ですか?」
「だってそうだろ。こんな蟻んこみたいな字でごちゃごちゃごちゃごちゃ・・・・」
訪ねれば、返ってきたのは苛立ちを含んだ口調。重みで傾いていた椅子が正位置に戻ると同時に、大きな体が前に迫り出してくる。思わず仰け反りそうになるほど威圧感のあるそれに何とか耐えたところで、
「仮にな、仮にあんたが本気で結婚相手を探してたとしようや。無理だろ。どんだけ見合いパーティー参加したってぜってぇー相手なんか見つかんねーよ。せいぜい見つかったとしても、あんたの容姿につられたホラ吹きやろうだ。でもな、それはあんたのせいでもあるんだぜ?お宝の箱が目の前にあって、この条件全部クリアすれな鍵をあげますよ、なんていわれちゃさ、物は試しだと思う奴は当然出てくるだろ。俺なら逆に馬鹿正直にお宝諦めて帰って行く人間の方が、よっぽど信用できると思うけどね」
今度は見下したように鼻で笑われて、奈月の顔が険しくなった。
「私はお宝じゃありません」
「それ本気でいってる?周り見りゃわかるだろ。あんたはどっからどう見たってお宝の部類だろーが。あーそうか。やらせだからな、そこ認めちゃまずいか?」
「やらせでも、ありません」
にやにやといやらしい笑い方をする弘樹を、はっきりと不快を意味する瞳で睨みつける。
「あー・・・いいな、その目」
という笑みを消した呟きなど、今更奈月の耳に届かない。
「何か誤解されているようですけど、瞼は整形だし、髪も歯も矯正だし、それ以外にもいろいろと、私の容姿はお金をかけてるだけで、元の素材はこの会場にいるどの女性にも劣ります。だからお宝なんていう特別なものではありませんし、当然やらせでもありません。それに、私はここに、恋人ではなく、結婚相手を探しにきました。結婚に対する価値観は人それぞれでしょうけれど、私は私の価値観で、真剣に結婚相手を探しています。けして妥協する気はありませんし、簡単に騙される気もありません。そちら様に理解しろとは言いませんし理解して欲しいとも思っていませんけど、おかしな言いがかりをつけるのはやめて下さい。不愉快です」
181センチの巨体を目の前に怯むことなくぴしゃりと言い切る姿は、そこらの男よりも男らしく、勇ましかった。嘘がない真っ直ぐな眼差し。伸びた背中。いくら金をかけたところで得られないであろうその全部が眩しくて、弘樹は目を細める。
「言いがかりじゃ、ねぇよ」
「言いがかりでしょ」
「ちげぇよ、俺はただ、」
「もういいです。あなたとはこれ以 話をしたくありません」
「おいっ、聞けって。俺はただ・・・条件を、満たせねーから・・・」
声を荒げたかと思えば、今度は視線を彷徨わせ尻すぼみなる弘樹を、奈月は訝しげに見た。
「・・・・・・・はい?」
「だから・・・満たせねーんだよ。煙草のところと、精神面がなんちゃら、暴力がなんちゃらってとこが・・・」
「それが・・・何か?」
「あーもう・・・なんでわかんねーんだよ」
両方の筋張った大きな手が、金色の髪をぐちゃぐちゃにかき乱す。浅黒い肌に赤みがさすのを認めて、奈月の苛立ちが、再び困惑に替わる。
「だからな・・・つまり、だ・・・」
両拳を膝に置き、姿勢を正すと、弘樹は覚悟を決めた。
「あんたがいい。俺はあんたを嫁にしたい。だけど、あんたの出す条件を今の俺は満たせてないから・・・むかついたんだよっ」
怒るべきか、呆れるべきか、哀れむべきか、それともいっそ笑い飛ばした方がいいのか、けれど頭で考えていることは何一つ実行できず、奈月はぽかんと口を開いて弘樹を凝視するのみ。
「男ってのは、そう生き物なの」
膨れっ面がぷいっと横を向いたところで、所詮は32歳のごつい男だから可愛くないのが残念だ。少しの間をおいて弘樹の言動を噛み砕いた奈月は、それ・・・と、ぽつり呟いた。
「結局、言いがかりだったって、ことですよね?」
「ちげぇから・・・ってか、そこかよ。何でそうなんだよっ」
伝わらないもどかしさに低く唸る弘樹を他所に、奈月は眉間に皺を寄せた。
さっきはついカッときて反論したが、この人の言い分にも一理あるのかもしれない、と思う。少しの怠慢と効率を重視しすぎた結果が現状だし、プロフィールを読んだ他の男たちの反応も悪かった。的を得ている部分があるのなら、単なる言いがかりとして片付けてしまうのも悪いだろう。
だからといって、謝る気まではしないけれど・・・
次はもっと考えよう。
難しい顔をしてこくこく頷く奈月を見て、弘樹は項垂れる。
「ってか、今度は放置かよ・・・」
「あぁ・・・ごめんなさい。何でしたっけ?」
何事もなかったかのように、にっこりと微笑んだ奈月に、弘樹はますます項垂れた。
「あのさぁー・・・」
恨み言のひとつでも漏らしてやろうかと思ったその時、
お時間です。隣の席へ――――
「ちょっ、」
司会の男のお馴染みの科白に、血の気が引いた。
「ちょっと待ってくれ、あと10分、いや5分」
慌てて椅子から立ち上がり発した声が、会場中に響く。
「まだなんにも話せてねぇんだよ。これからなんだ。だから頼む。なんならここ、飛ばしてくれるだけでいいからさ」
弘樹からすれば必死の懇願だったが、周りにはそうは聴こえなかったようだ。顔を強張らせ、そわそわと落ち着きをなくした司会の男が、どうしましょう?と言わんばかりの情けない顔をして、会場の隅に立っていた上司らしき男のほう見る。けれど結果は、NO。首を左右に振った上司に顎で促され、司会の男は一言、決まりですので・・・、と声を震わせた。
もともと太くない弘樹の血管が、ぶちっと音を立てた。
「ざけんなっ、こっちは金払って参加してんだから、立場でいったらお客様だろーが。商売人がお客様相手にちっとの融通もきかせねぇなんて、んな馬鹿な話があるか。あんまふざけたこと言ってと潰すぞ、てめぇ」
まるで性質の悪いチンピラだ。あるいは、我侭な子供。顔を真っ赤にして怒鳴り散らす弘樹に、奈月は頭が痛くなった。
司会の男は完全に固ってしまい、指一本動かす気配が無い。そっと入口から出て行く、上司らしき男の姿。
「橘さん」
これからの展開が簡単に予測できてしまい、呼びかけると、意外なほど素直に、弘樹は奈月のほうを向いた。
「決まりは決まり、です。これについては最初に司会の方から説明がありましたよね? 同意した上で私たちはこの場所にいる、そうですよね? 今橘さんがすべきなのは、司会者の方を困らせることでも、進行を遅らせることでも、決まりに従っている他の皆さんに迷惑をかけることでもない、解りますよね? ]
「そりゃ・・・そうだけど。でもよぉ、」
「移動してください」
縋るような目を向けてくる弘樹を、一欠けらの同情の色も滲ませないよう、奈月は制す。無表情で、あえて冷たく。
見た目ほど、悪い人ではないのだ。数分の会話でも、それを感じさせるだけのものが弘樹にはあった。ただ、自分の欲求に正直すぎる。納得がいかないことは、言葉になる。会社勤めには向かないタイプだ。ついでに口も、かなり悪い。それを勿体無いと思うと同時に、少しだけ羨ましくも思う。
やがて諦めたのか、自分のプロフィールカードを手にとり、弘樹がのそのそ移動を始めると、奈月の口からは小さく息が漏れた。
入口には警備員服を着た体格のよい男が、先ほど出て行った男と共にいるのが見える。まだざわつく会場内、上司らしき男は、未だ固まったままの司会の男に近づき、一言二言葉を交わすと、入口の方へ戻っていった。司会の男がぎしぎしと音を立てそうな動きでマイクを手に取り、中断されたパーティーの再開を告げる。
斜め向かいからの視線は完全に無視して、奈月は目の前の席に、にっこりと微笑んだ。






