竜魔の乙女
厚いカーテンで閉め切った暗い部屋の中、2人の女性が輝く水晶球を覗いていた。
「まったく、思うようにいかないもんだねえ」
「そんな時もあるでしょう。でも、見ている限りでは、お互い何も思っていないという様な事は無さそうですけどね」
1人は、色合いこそ年齢に見合った落ち着いたものだが、豪奢な意匠のドレスに身を包んだ中年域の女性。
もう1人は、いかにも王宮勤めの立派な黒の魔法士服に身を包んだ壮年頃の女性だった。
「“ブレイブ”の名が泣くよ。なんだい、とんだ根性無しじゃないか」
「まあまあお母様、でも確かに、勇気の名を持つ者にしては臆病な選択かもしれませんね」
魔法士服を着た女性が苦笑しながら言う。
「彼の立場を考えれば、彼女を取り巻く事情を知ってなお、流されまいとする堅実な姿勢にも見えますがね。なにしろ、まだ彼等は恋に落ちてはいないのですから」
「カイン」
扉の開く音と共に、涼やかな男性のそんな言葉が聞こえた。
魔法士の女性が振り向くと、そこにはまだ若い、白い髪に白い服の男性の姿があった。
その男性の服も、中年域のドレスの女性と同じ位、いや、年齢相応に凝った、式典の主役でも務める様な豪華な衣装だった。
母と呼ばれたドレスの女性は、振り向きもせずに顔をしかめた。
「うまく惚れてくれりゃあ面倒が無くて良いものを」
しかるべき場所に立てば、威厳すら漂わせる姿の筈なのだが、実際には、今すぐにでも舌打ちをしそうな雰囲気だ。
「正味2週間ですからね」
「まだこれからですよ、母上」
彼女の子供たちが揃って取り成した。
そこへまた、新たな人物が部屋に入って来た。
「ここまでお膳立てをしておいて、簡単に繋がりが断たれるようなことがあってはならん、今後の為にもな。何より、可愛い孫娘の相手と目した勇者殿だ、その名に恥じぬ姿を見せて貰わねば」
堂々とした体躯に式典用の軍服を着た、厳めしい顔をした中年の男性が、水晶球を見つめるドレスの女性に近づき、重々しく述べた。
「アーベル」
今度は振り向いてその名を呼ぶ。
男性は女性に厳めしいその顔を緩めほほ笑むと、水晶球に目を向けた。
「そう言いながらこの展開では、相手がさらに委縮してしまうのでは?父上」
カインと呼ばれた若い男性がそう意見した時、三度扉が開かれた。
「返って腹をくくるかも知れんぞ、まあ、それを見越してのこの筋書きだがな」
「ブライ」
「ブライ殿」
若い方の二人が振り返る。
「後は相手次第だ。幸いあいつはまだ若い、駄目ならダメで、また違う運命に出会う事もあるだろうさ」
「その心は、まだ娘は手放さん、と言ったところか?」
茶目っ気を滲ませてアーベルと呼ばれた男が言うと、最後に入って来た男が苦虫を噛みつぶした様な顔をした。
「お義父上殿」
厳めしい顔の男はからからと笑って流した。
苦い顔のまま最後に来た男は続ける。
「それにしても、俺までこんな恰好をする必要があるんですかね?顔合わせなら、もうとっくに済ませてしまっているんですが」
「さすがに正装で会った事はないだろう」
襟元に手をやる男を見ながら、厳めしい顔の男が無駄に重々しく理由を述べる。
普段はまず見る事が無い、王族としての格好が少々窮屈そうな男に、若い男がなだめる様に声を掛けた。
「まあ、今回のこれは、彼に対して威嚇で威圧の意味も多分に含んではいますが、それはそれとして、もし彼女を受け入れるのならば、これから彼もこの王家の一員となると言う現実を突き付ける必要がありますから。後は、彼がどう判断するかです」
「きっといい方向に向かいますよ」
魔法士服の女性が微笑むと、ドレスの女性が1つ溜息をついた。
「やれやれじゃな」
ドリィが祖母から結婚の話を聞いてから3ヶ月が過ぎた。
あれからガイは一度も魔の国へは行っていない。
鳥人の里で、今までと同じ生活を繰り返す日々が続いていた。
1人暮らしの自宅で寝起きし、共同の農場で野菜や果物を採り、森で狩りをし、依頼があれば村の為に奔走する、そんな生活をしていたある日の事。
突然族長に呼び出された。
「お前、魔の国へ行け」
「何で俺が」
思い切り顔をしかめる。縁は切れた筈だろうに。
「先方がお前をご指名なんだよ」
「はあ?」
ドリィ関係だとしか思えなかった。
しかし彼女は別のヤツと結婚するんだか、したんじゃないのだろうか?
やはり自分の呼びだされる理由が分からない。
「ガイ」
族長が、これ以上ない位真剣な声でガイの名を呼んだ。
ここ最近見なかった真剣な眼差し。自然と背筋が伸びる。
「我等鳥人の里は魔の国と手を結ぶ事になった」
思わず固まる。それはつまり、
「交流を持ち、必要ならば交易をし、非常時にはお互いの戦に加わる事になる」
「同盟、か」
「向こうとしては、少数民族を取り込んでの、勢力拡大の意図があるのだろう。戦で大国を相手にするより、よっぽど利になる」
「アンタはそれで良いのか?」
そうならない為の隠れ里では無かったのか。
「あの子が来て目を付けられたんだろうね、こうなっては引き延ばす意味も無い。ここいらが潮時さ」
族長にしては弱気な発言だった。しかし、無意味に対立する事こそ意味が無いという事をガイも十分承知していたので、それ以上は何も言わ無かった。
「で、だ。同盟を結ぶにあたって一番簡単な方法があるだろう?」
族長がガイを意味ありげに見た。…どうにも嫌な予感がする。
「お前、魔の国の女を娶れ」
「は!?」
今度こそ目を剥いた。
そして、ガイは再び北の魔の国へとやって来た。
目元に独特の化粧を施し、村で祭りや儀式の際に着る装束に身を包んだガイは、族長と共に城の奥に通された。
以前来た時の客間も相当豪華だったが、今回のはそれ以上に華美な部屋だった。
どう見ても辺境の田舎者だと、ガイは自分の姿について考え、居心地が悪くなった。
落ち着かない気分のまましばし待った後、扉の向こうで誰かが訪れた旨を伝えるやりとりがあった。
「女王陛下のおなりです」
この部屋の入り口で待機していたエリュサスがそう告げて、部屋の扉を開けた。
族長と共に移動し、頭を垂れる。
「面を上げよ」
年配の女王の威厳ある言葉に、静かに顔を上げる。
部屋に入って来たのはこの国の女王『バ・アン=ドゥイース・オウラ』と、女王につき従う王侶、『アーベル=オウラ・ギルティ』
「ふむ、そなたが『ガイ=ブレイブ』か」
「はい、わたくしがガイ=ブレイブでございます。この度は、女王様におかれましてはご機嫌麗しく…」
「まあ、そのような挨拶はよい、時にそなたの相手の事じゃが、何処まで聞いておる?」
ここに来るまでに、族長に散々叩き込まれた一応の挨拶を、すっぱりと省略されて少々戸惑ったが、その質問にも戸惑った。
ちらりと族長の様子をうかがってから返答する。
「…お相手の方は『ドーレス=ギルティ・ライトサンド』と仰る方だと伺っております」
族長からは名前しか聞いていない。
大方国の中枢に親族のいるお姫様の誰かなのだろうと当たりを付ける。
王侶と同じ『ギルティ』の姓だったから、もしかしたら彼の親族の誰かなのかもしれない。
辺境のド田舎の、小さな隠れ里に嫁ぐのだ。大国に嫁ぐような大貴族の姫君が降嫁してくるとは思えなかった。ましてやあの娘など。
「ふむ、よろしい。情報は“正確に”伝わっている様じゃの」
「は、陛下のご意向のままに」
族長が再び頭を下げた。
何やら事前にこの件に関しての何かがあったらしい。が、ガイは特に興味を持たなかった。
同盟を執り行うに際し、首脳同士での密約の一つや二つくらい、あるのが当たり前だ。
「時間も惜しい、早速入って貰おうかの」
女王が手を二度叩くと、部屋の扉が開かれた。
最初に入って来たのは漆黒の魔法士の女性。
見覚えのあるその顔と、その衣装の豪華さに、どうにも自分の中の人物像が一致せず、混乱しかけたガイを余所に、彼女は一同に向けて深くお辞儀をすると、向き直り誰かに入るよう促した。
次に入って来たのは妙齢の女性。
頭上で一部を丸く結い、後ろの髪をそのまま背中に流している。
深い緑のドレスは意匠こそ派手では無いものの、随所に金の縫い取りがされ、布の無い胸の上部には見覚えのある紅玉のペンダントが輝いていた。
切り替えのある腹部には、これまた覚えのある緑石のブローチ。
何より印象的なのは、背中から大きく広がる一対の竜の翼―――
「ドーレス=ギルティ・ライトサンドと申します」
伏せていた目を上げると、その目はすぐに大きく見開かれた。
「……え、ガイさん?」
この場にそぐわない、実に普段通りの、きょとんとした声が零れた。
「何時までそうやってぽやっとしているつもりだい?」
目元を厳しくした女王が、いつまでも見合っている2人をを叱りつけた。
「そんなに見つめ合いたいなら、外行ってやって来い」
いつの間にか現れた父ブライが、魔法士服を着た母ドーラに寄り添いながら2人を促す。
「ドリィちゃん、何かあったら叫ぶんだよ?」
「え、は、はい」
父と共に現れた叔父である王太子カインに、にこやかにそう言われ、未だ混乱しながらも何とかドリィが返す。
わざわざ王太子自ら開けて下さった扉をくぐり、エリュサスと、共にいたユーミに案内されるままに、2人は城の庭園へと向かう事になった。
「2度目だよ」
「え?」
些か疲れたような声で、ガイは庭園に着くなりそう言った。
「お前に驚かされたのは。お前は知らなかったのか?」
ドリィがこの件について何も知らなかった事を、ガイは直ぐに見抜いていた。
「あ、はい。吃驚しちゃいました」
ふにゃっと笑う。化粧をした彼女は、衣装も相まって本物の姫君の様だった。
いや、本物の姫なのだと思い直す。
あの部屋に一体何人王族がひしめいていた事だろう。あの豪華なメンツの全てがドリィの親族なのだ。
ガイは豪華な衣装で着飾った人々の事を思い出して、背筋が冷やりとする思いがした。
「お前の結婚相手は、あの異国の王子じゃ無かったのか?」
「異国の?」
「俺がここから帰る前に会っていたとか言う」
「イグル様ですか?イグル様は、あれからすぐに自国にお帰りになられて、それから一度もお会いしていませんが…」
「じゃあ、お前は、今回の相手について何か聞いていなかったのか?」
族長のさっきの話を聞く限り、意図的に相手の情報を隠蔽されていた可能性は高い。
「あ、…あの、聞くの嫌で…」
この話を渋っていたドリィにしてみれば、とても相手の事を尋ねる気にはなれなかっただけなのだが、まさかこんな事になっていようとは。
2人とも、魔の国の女王一家の仕掛けた罠に、まんまと引っ掛かったという事なのだろう。
ドリィはガイに対して申し訳なくなり、顔が赤くなった。
すみませんと小声で呟く。
「それじゃ、本当にアイツは関係無かったのか」
意味が分からんとガイは空を仰いだ。
一体何のために絡んだんだ。それとも本当にドリィを嫁に迎えるつもりだったのか。
「イグル様は、何というか義理の従兄妹みたいな関係なんです。幼い頃から何度かお会いしていますが、炎の国は海向こうなので、中々行き来出来ませんから」
言うほど頻繁に会っているわけでもない。
しかし、それを言ったらドリィとガイだって、2週間しか会っていない事になるのだが。
ふむ、と考え込んだガイに、思いもよらない言葉が投げかけられた。
「そう言えば、ガイさんは鳥人の里にいた頃、綺麗なお姉さんとお付き合いしていたと伺った事があった様な気がします。…もしかして、今もその方とお付き合いされているんでしょうか」
くき、とドリィが首を傾げて言う。
考えている内に、実はとんでもなく失礼な事をしているんじゃ、とその顔を曇らせてゆく。
しかしガイからは、
「……どっから聞いたか知らねえが、とうの昔に嫁に行ったよ」
ものすごく呆れた声で返された。
「……そうなんですか?」
「ああ。元々その婚約者の方と腐れ縁な関係で、護衛兼ねてただけだ。お前を誘拐しようとしていた連中に、彼女がちょっかい出されかけていたからな。…ちょっかいだけで済む雰囲気でもなくなっていたんだよ、あの頃は」
「そうだったんですか」
誰かに自分を悪く言われても、大事な友人の為に大切な物を守ろうとするガイの事を、ドリィは嬉しく思った。
「何だ、俺に決まった相手がいないと知って安心したか?」
ふにゅっ、と鼻をつままれる。
「い、いえ、そうではなく、ただやっぱりガイさんは優しい人だなあって思っただけです」
慌てた後、優しい表情でそんな事をいうものだから、今度はガイの方が戸惑った。
自分の事を、優しいなんてどうして思うのか。そして、コイツは他の男の前でもこんな無防備な表情をするのか、と。
2人の間に微妙な空気が漂う。
ガイは自身の心と向き合った。
成長して大人になった彼女を見た時、着飾って美しくなったドリィの姿を見た時、驚かされるその度に、強く惹かれたのは確かだろう。
今はまだ、この気持ちが恋なのかは分からない、だが、確かに惹かれているのなら、このまま付き合うのもありだと思った。
それに、キレイで可愛い奥さんを貰えると考えれば悪くない。
ドリィに関して、初めて前向きな考えが出た。
「俺と結婚するか?」
それは3ヶ月前に別れた時と同じ問い。
でも、今度のは。
「あの、いいんですか?」
ぱっ、とドリィが顔を上げた。
化粧をしていても、ドレスで着飾っていても、どこか庇護欲をそそられるその姿に、ちょっとした独占欲の様なモノさえ湧いた。
―――こいつを他の男にみすみす渡す位なら。
この機会を逃せば、きっと後悔するだろう、下手をすれば一生。そんな気がした。
「こっちが聞いてるんだぜ?」
「あ、あの、……私、結婚するならガイさんが良いです」
顔を赤く染めたドリィが答える。憧れていたガイと結婚できるなら願ったりだ。
その答えに満足したのか、ガイの顔に薄い笑みが浮かぶ。
「…これからよろしくな、俺の奥さん」
赤く染まったままのドリィを引き寄せ、ガイは軽く口付けをした。
とうとう、襟の下、素肌の出た胸元までうっすら赤く染め上げたドリィを見て、こんなんじゃ、当分手は出せないなと思う。
親や親族の目もあるし、と今後について思考を巡らせる。
ずいぶん本来のガイらしさが戻ってきたようだ。
婚儀を上げるまでどれほどかかるか分からないが、その分大切にしよう、とらしくない事まで思ったのは、ガイ自身、意図しない部分で浮かれていたからかもしれなかった。
女王様の愛称はアン女王です。よろしく。
そして女性陣の年齢はウィキペディア参照ということで(誰に対しての解説だ?)
苗字に関しては響き優先で、ギルティとか言っているけど、特に他意は無いです。
うん、厨二だった当時の自分おつ。
加糖のターンはあと1話続きます。




