旅立ちの日
いよいよです。
大会閉会式後、ドリィは闘技場医務室へ足を運んでいた。
「あの、魔物達は大丈夫ですか!?」
指示したのは自分だし、最後まで諦めないで全力を尽くすと決めたのも自分達だ。
だが、そのせいで負ってしまった怪我を心配するのは、また別の問題だった。
「そんなに心配せんでも、命に別条は無いよ」
闘技場お抱えの専門医が慣れたように言う。
実際、この程度の負傷は慣れっこなのだろうが。
「良かった…」
ホッと胸をなでおろす。
「まあ、竜の方はちょいと危なかったがね。翼の損傷と何より火傷が酷い。完治までには2~3ヶ月かかるだろうね。戦闘もこなすとなれば半年以上は見ておくれ」
「そうですか…」
それでも、無事で良かったのだと思い直す。
闘技場で試合をするモンスターは、重症な場合を除き、基本的に回復魔法を使用されない。
回復魔法を多用すると体が脆くなるのだ。例えば、治った筈の手足などが、再び怪我をしやすくなる等。
戦闘用モンスターに、その耐久力の低下は致命的だ。
だから医務室では、応急的な処置のみをして、後は休養させるか、アイテムに頼るか、はたまた時間優先で魔法に頼るかは、主人の魔物使いに任せる事になっていた。
「ヴァレリー、…ピクシーの子と相手のモンスターはどうですか?」
「ピクシーは魔力の消耗が激しくて、今は動かせないが、意識はあるよ。2~3日は絶対安静さ。この子は多少の火傷とすり傷はあるものの、大きな外傷は無いし、しばらく休養して滋養のあるものを食べさせれば問題ないね」
「よかった」
「ライバードは、翼を打ち抜かれているから、ひと月は飛べないね。まあ、こいつも翼以外は軽い火傷位だし、そんなには心配いらないよ。デュラハンは、あの竜と真っ向勝負なんぞしたせいで大分ガタがきているね。おまけに魔力吸収なんぞされたもんだから、修復にも時間が掛かるだろう。ただ、あいつらは生物とは少し違うから、魂の離散が無ければ、時間をかけてゆっくり直せばいいだけの事。こっちも心配するほどの事じゃないね」
十分大事の様な気がするが、熟練の医師にかかれば、この程度、で済んでしまう物なのだろう。
普段の闘技大会が、いかに凄まじいかを物語る一端を、垣間見た気分だった。
「いやいや、あいつら強くなったなあ。うちの新魔物とはいえ、結構鍛えたつもりだったんだけどなー」
医務室を出た所で、ドリィはボウに捕まった。
そのまま貴賓席へとエスコートされる。
「やっぱり、今の私に合わせてメンバーを選んだんですね」
思わず苦笑する。
「互角の戦いを演出するっていうのも、こういった大会では必要な事さ。それに、実力を確かめたいのに、力が偏っていては正確な判断も下しにくいだろ?」
そういうものだろうか。
「素直に受け取っとけ、相手の出した条件で戦って、その上で認められたんだからな、ドリィ」
「ガイさん」
闘技場内部から、貴賓席に至る階段の上で、ガイが待っていた。
「どうだった?」
「ヴァレリーは2~3日安静です。ヴァルスはちょっと…完治までに2~3ヶ月。まともに動けるまで半年くらい、って言われました」
「まあ、あれだけ派手にやり合えばな」
ガイが顔をしかめて言う。
「こっちも、デュラが抜けるのは痛いなー。ここまで追い込まれるつもりは無かったんだけどな」
次の試合どうしよう、とボウが後頭部を掻きながらぼやいた。
「もう次の試合の事なのか」
「これで食ってるもんでね」
驚いた様な呆れた様なガイの一言に、あっさりとしたボウの言葉が返る。
これが専門の魔物使いの日常なのだろう。
「ま、どうにかなるか」
気を取り直したのか、あっけらかんと、ボウが言った。
「そうか。ではその間に二人の結婚式の準備に入ろう」
魔物達の状態の報告を済ませると、王侶アーベルがそう結論を出した。
「うむ。今すぐどうこう出来る物でもないのなら、出来る事から先に済ませてしまうのが道理というものじゃ」
女王も追従する。
「幸いにも、ここには炎の国の王達も居る。後は西側諸国の連中に招待状を送りつけてやればよいだけじゃ」
「申し訳ないが女王、我々は長く国元を離れる訳にはいきません。イグルを置いて行きますゆえ、何かあれば連絡を頂く、と言う形を取らせて頂きたい」
「わたくしも華の国に赴き、この度の御婚礼の報告をさせて頂きたく存じますわ」
さすがに、一国の主を半年も止め置く事は出来ない為、炎の国の国王夫妻は一時国へ帰ることとなった。
「あ、あの」
本人を置いてけぼりで進む緊急会議に、ドリィは戸惑った様に発言を求めた。
「馬鹿だな、君は。君達が旅に出る前に、式を上げてしまおうって話をしているんだろう?」
イグルが腕を組んで、いつもの様に偉そうに言った。
「え、あ!」
思わずドリィが父と母の方を向くと、2人は優しく頷いた。
「合格だ、行って来い、2人とも」
「気を付けて行きなさい。ちゃんと連絡するのよ?」
「…はいっ!」
実質まだ先の事ではあるのだが、ドリィの瞳は嬉しさのあまり、早くも潤んでいた。
「よかったな」
ガイが、頭を優しく撫でて言う。
この動作もすっかり定着した様だ。ぎこちなさはもう無い。
「はいっ!!」
ドリィはガイの方を振り向いて、満面の笑顔で返す。
その表情は喜びで輝いていた。
半年の間は忙しかった。
一般人として暮らしてきたとはいえ、王族と、同盟を結んだばかりの異種族との婚姻。
盛大にならない訳が無かった。
ドリィのドレスや、ガイの正装、2人を彩る宝飾の数々を整える為、城へ登城する日が続いた。
その一方で、旅の準備も進めて行く。
ドリィは騎士を辞し、王宮から外交特使と言う肩書を与えられた。
あくまで王族が、何の目的も無しにふらふら出歩くな、と言う訳である。
本格的な交渉まで求められたわけではない。
書簡を持って各国へ向かう、あるいは、他国での晩餐や、いわゆる公式行事に出席して、交渉の下地を作るのが主な目的だ。
まずは鳥人の里へ向かい、結婚の報告。
その後南下し、雷の国へ行き、そこから東北へ。
東の炎の国へ行き、中央華の国を巡り、さらに西、水の国へ。
予定としては、このように世界をほぼ一周する旅程だ。
長い旅になるだろう。
それでも、ドリィの胸は期待で膨らんでいた。
半年後、魔物達の怪我の回復を待って、ガイとドリィの結婚式が盛大に執り行われた。
式典会場となった命の神殿の外は、朝から大勢の人であふれかえり、ドリィの同僚であった守都部隊が総出で警備にあたった。
この式を最後に引退し、結婚することが決まった命の巫女が、厳かに宣誓の祝詞を紡ぐ。
ちなみに、彼女は巫女になった時からその成長を止めている為、見た目はまだ幼い少女だったが、実はドリィの叔母に当たる人物で、結婚相手はあのエリュサスだ。
長年口説き口説かれ続けてきたが、姪の結婚に感化されたのか、エリュサスの猛攻についに屈したのか、とうとう折れたらしい。
参列したのは、ドリィの家族、父母弟達に魔物達全員。そして、ガイ側からは、鳥人の長とガイの友人達が数名。ドリィ側の親族として、女王、王侶、王太子。
海外からの賓客として、炎の国の国王夫妻と王太子イグル。王妃はそのまま華の国代表も務める。
雷の国からは首長ボウ、水の国からは神官ダニエルが参列した。
多くの国民が神殿入口で花を投げる。
魔物達が飛ぶ空の下、祝福された2人は、幸せそうに微笑みあった。
旅立ちの前夜、2人はドリィの自宅、ガイに与えられた離れで旅立ちの準備をしていた。
「ガイさん、あの、いつの間にか一緒に行く前提になっちゃってますけど、本当に良いんですか?」
ああだこうだと鞄に荷物を詰めながら、ドリィが声をかけてきた。
何処か遠慮がちなその声音に、ガイは今さらだと思ったが、それは言わずに、別の本音を口にした。
「お前みたいなヤツ、一人で旅に放り出す方が心配だよ」
こつんと額を叩く。
「ご両親だって、俺がいるから許可出したってとこはあるんじゃねえか?」
「そ、そうなのかな…」
叩かれた額を抑えて、ドリィがしゅんとする。
「大体お前ね、結婚したばかりの新妻に、“ハイ行ってらっしゃい”って言う奴が何処にいると思ってる。当然、何処までもつきあうに決まってんだろうが」
引き寄せて、顔も寄せると、ドリィが分かりやすく顔を赤くした。
「え、えっと、わ、」
戸惑うドリィをよそに、ガイは口づけを一つ落とした。
離れたとは言っても、後わずかで再び唇が触れ合ってしまいそうな至近距離で、ふたりは見つめ合う。
「慣れろよ」
「そ、そんな事言っても慣れません!ガイさんは、そんな事したくて結婚するって言ったんですか!?」
とっさに出てしまった一言だろうが、さすがのガイも、この言葉にはカチンと来た。
一体、ドリィは自分の事を、どれだけ女性関係にだらしない人物だと思っているのだろうか。
しかし心の何処かでは、かつてそのだらしない部分があった事は理解しており、非常に複雑な気分ではあったが、とりあえず彼女の言葉自体は本心から否定する。
「馬鹿言うな、そんなわけ無いだろ。お前の方こそ俺の事もっと好きになれよ」
「好きって…」
今度はドリィが戸惑う番だった。
しかし、突然ムッとした表情に変わって、
「ガイさんの方こそ好きって言ってません」
と言うので、ガイは思わず素で返した。
「言ったろ?指輪渡した時」
「言ってません!」
間髪いれずに返されて、ガイは首をひねる。
「そー、だったか?」
しばしお互い黙り込む。
しかし、微妙な空気は長くは続かず、
「好きです」
「愛してる」
笑いあった。
旅立ちの日は、よく晴れた良い天気だった。
ドリィの家族と、友人達。
先日結婚を発表したばかりの叔母も、エリュサスと共にやって来た。
西と南の戦士達は帰国の途に就いたが、炎の国の国王一家は見送りまでは、と残ってくれた。
見送りが終わり次第帰途に就く予定だ。
当然ながらヴァルスとヴァレリーは同行するが、それ以外も魔物達は全員が見送りに出た。
「……連れて行かないで、って言ったのに」
ガイに向かって、恨めしそうにそうこぼしたのはユーミだった。
「ワリィな。けど、こいつは俺が貰って行く」
「……大事にしなさいよね」
「当然だろ」
言葉少なに会話を終えると、ユーミはドリィに抱きついた。
「ちゃんと無事に帰ってくんのよ?後連絡はこまめにしなさい」
「わかってるよ。お母さんにも散々言われたもの」
苦笑するドリィに、分かってないとユーミは続ける。
「わ、た、し、に、も、寄越せっつってんの」
「も、もちろんだよ!」
「どーだか」
やさぐれたユーミをよしよしと慰める。
「気にしなくていいよ?ユーミは大事なドリィを守るって言う大事な使命を、満足に果たせなかった事が不満なだけだから。だから、帰って来たら一番に顔を見せに来てあげて?城にさ」
エリュサスが、小脇に小さな叔母を抱える様にしながら口を挟む。
「わらわの式には必ず出席するのじゃぞ?約束じゃ」
「はい、ドリス様。お土産いっぱい持って帰りますね」
「……わらわは子供では無いと言うに。まあ良い、楽しみにしておるぞ」
小さな手を握ると、つい忘れてしまう。
苦笑して手を離すと、父に寄り添う母が声をかけてきた。
……いよいよだ。
「遠くへ、遠くへ行きなさい」
小さな子供に寝物語を語る様な、慈愛に満ちたとても優しい声だった。
「そして、いつかここに帰って、大輪の花を咲かせられるように、ね」
同じ母同士、抱く思いは似通うのだろう、言い添えられた王妃の一言は、元華の国の姫らしい一言だった。
「はい!」
与えられた想いを受け取り、大きな声で返事をする。
「行って来ます!!」
ガイと視線を合わし、ヴァルスに乗り込む。一足先にヴァレリーが飛び上がった。
「お先!」
「じゃあねー!」
魔物達がそれぞれに挨拶をして飛び立つ。
「気を付けてねー!」
「行ってらー!」
弟達の元気な声が、空の上に届けられる。
竜に乗る2人は、それに大きく手を振って応え、蒼い竜は悠々と南の空に去って行った。




