閉塞感
地方の高校を卒業し、いまはFランと呼ばれる大学の二年生だ。
特別な夢があったわけじゃない。流れに乗って進学し、流れに流されて今を生きている。
講義にはほとんど顔を出さず、出席カードの記入欄を埋めることで、なんとか進級してきた。
止まった時計の針の上を歩いているような、静かで鈍い日々。
そんな私にも、ひとつだけ胸を張って「好きだ」と言えるものがあった。
それが、剣道だった。
六歳の頃から竹刀を握り続けて、気づけば十四年。
小学生の頃は、勝つために懸命に努力したけれど、めぼしい結果は出なかった。
中学では少し勝てるようになった。だけど、三年最後の大会はコロナで消えた。
張りつめていた糸が切れたように、不完全燃焼の痛みだけが胸に残った。
だからこそ、高校では“やりきる”と決めた。
県でベスト4に入る強豪の剣道部に入部し、自分を試そうと思った。
けれど、いつしか剣道に向ける熱は「勝つこと」ではなく「楽しむこと」に変わっていた。
厳しい練習の中で、次第に手を抜くようになり、監督からはやる気のない奴だと思われた。
結局、三年間一度も選手には選ばれなかった。
それでも剣道を嫌いにはなれなかった。
大学では、純粋に楽しむために剣道を続けようと思った。
家の近くの大学に、部員が四人しかいない小さな剣道部があった。
「これなら自分のペースでやれる」――そう思って進学を決めた。
けれど、また運命は静かに裏切った。
同級生の中に、隣県で国体選手に選ばれた奴がいた。
その存在をきっかけに部員は増え、監督に再び火が灯った。
逃げ場は、もうなくなった。
剣道をしたい。けれど、したくない。
この矛盾を抱えたまま、半年ほど踏ん張ってきた。
しかし、一ヶ月前。プツリと糸が切れた。
気づけば、部活の連絡をすべて無視していた。
罪悪感はあった。けれど、不思議と後悔はなかった。
胸の奥で、長く張りつめていた糸が、ようやく切れてくれたような気がした。
自分で選んだ環境なのに、思い通りにならない。
思い返せば、高校の頃からそうだった。
休日の練習に「行かなきゃ」と思いながらも、「行きたくない」「苦しい」という気持ちが勝った。
高校の近くの公園で、スマホの電源を切って、練習が終わるまで泣きながら時間を潰した。
どうして自分はこうなんだろう――そう思うたび、涙が止まらなかった。
「好き」だったはずの剣道が、「逃げたいもの」に変わっていく。
その変化をどうすることもできなかった。
自分がどうしようもないクズだということは、痛いほどわかっている。
これまで、苦しいことから逃げて、逃げて、逃げ続けて今に至る。
剣道が好きという気持ちすら、自分への言い訳なのかもしれないと思うようになった。
自分の気持ちも、これまでの原点も、もうどこに行ってしまったのか分からない。
竹刀を握る手も、もう何を掴もうとしているのかさえ、わからなかった。
剣道から目を逸らしても、何も変わらなかった。
大学では喋る相手もおらず、講義にも身が入らない。
イヤホンをつけてスマホを眺め、時間が溶けていく。
家でも大学でも、やることは同じ。
ボーッとしているうちに一日が終わる。
そんな日が、いつから続いているのか、もう思い出せなかった。




