第一話
序章から大分間が空きましたが、第一話です。
青年は森の中を彷徨っていた。
肌寒い冷気が吐く息を瞬く間に白く染める。
――こんなことだったら、ちゃんとした装備を整えるべきだったか。
青年――ボルス・ヴァージナルは自分の浅はかさを呪った。
現在ボルスがいる森は、普通なら誰も通ることがない。ほとんどの人間は、この森を迂回するように整備された街道を通る。この〝グラン大陸〟の北部地方は陸地の大半を凍土で覆われており、冬にもなれば完全に雪に閉ざされてしまう。そんな土地柄ゆえ滅多なことでは街道を外れるなどという愚を冒す人間はいない。さらにいえば、人の手の入っていない森は所謂獣の巣窟……命がいくつあっても足りない。
だが、ボルスはその愚を冒した。
今の季節は夏だ。いくら寒冷な地方といったって雪は降らまい。だったら、わざわざ回り道する必要もない。獣などに出くわす前に、はるかに短い行程で済む森を通ってしまえばいい――
しかし現実は、そうは甘くなかった。
人の手が入っていない森は、予想だにしないほどに歩き辛かった。地面に生い茂った草が、森中を覆わんばかりに枝を伸ばす木々が、地表に網目を廻らす太い根が、視界を狂わせ、森全体を暗くし、足の自由を奪い、動きを制限する。嫌でも歩みが鈍る。
さらに誤算があった。気温である。
夏なのでさすがに雪は降っていないのだが、森に吹く風は冷たく、自身の肌に針で突付くような微かな痛みを与えてくる。
ボルスの装備はお世辞にも寒冷地に適した装備とは言えない。直前にいた街で買ったマントを羽織ってはいるが、中に着ているものは数年前から着たきりとなっている青を基調とした革鎧である。これは、以前いたとある街で自警団員として雇われた際に――もっとも、ある事情からすぐに辞めさせられたが――支給されたもので、傷や解れが目立ち始めていた。
そしてマントの上から、右肩と左腰を繋いでソードベルトを斜めがけにし、背中で鞘を斜めに固定している。その中にはボルスの身の丈ほどの長さの大剣が収まっていた。
利き手である右手がすぐに背負った剣の柄に届くよう自由にさせ、左手で荷を担いで森の中を歩く。着ているものが薄いために体温がどんどん奪われてはいるが、とにかく前に進むことだけを考えた。
日が傾いてきてはいたが、幸いにして視界が開けてきた。これ以上進めなくて野宿する羽目に陥ったとしても、なんとか周囲が見渡せるような場所なら、夜の警戒もそれほど苦にはならないだろう。
そんなことを考えながらボルスは歩き続けるが、その目にある光景が飛び込んできた途端、ハッとして足を止めた。
「なんてこった……」
ボルスは荷物を下ろすと急いで倒れている男に駆け寄った。
「しっかりしろ! おいっ!」
ボルスはその男の身体を揺さぶるが、まったく反応がない。見れば、その男は大きな包みを両腕で抱えていた。その包みは男の背丈ほどの大きさであったため、一瞬何が入っているんだと思ってしまったが、一先ず男の首筋に手を当てる。脈はすでになく、体は大分冷たくなっていた。そして、視点を変えたことでようやく気付く。
男の背中には、斜めに走った刃傷が深々と刻まれていた。左肩の近くには短剣が突き立っている。このどちらかが致命傷を与えたに違いない。
このことから、獣に襲われたのではなく、人間の手によって殺されたというのは間違いない。
ボルスは男の抱える荷に視線を戻した。数瞬の躊躇の末、包みを開く。この大事そうに抱え込まれた荷物こそ、この男が殺された理由が隠されているのではないか――直感的に思った。
包みの布を解いた瞬間目に映ったのは、握りに幾重も古い布が巻かれた柄、全体が十字型に見せるために前後に伸びた鍔――そして、柄と鍔がちょうど交わった部分に埋め込まれた、青白い輝きを放つ小さな宝石。まだ布に包まれた部分には、鞘に納まった刃が存在することは容易に想像できる。そう、これは――
――背後から草を踏む音が聞こえた。
振り向くとそいつは口からうなり声を漏らす。余計な肉を削ぎ落とし、灰色の体毛に覆われ、鋭い牙と爪を生やした獣――森林狼が、次の瞬間には大地を力強く踏み出し、こちらに飛び掛ってきた。
そのとき、あまりに突然の事態に自身にまともな思考が働いていなかったのか、咄嗟の判断だったのかは分からない。
ボルスは遺体の抱えていた剣を抜き放ち、振り向き様に片手で一閃させた。
ボルスはその剣を持った瞬間、見た目からは想像できないほどの軽さに驚いた。
さらには、片手で振るったのにも関わらず、その剣は易々と狼の下顎を斬り落とし、そのままの勢いで首を斬り分け、骨ごと前足の腱を断つ。顎から前足まで斬り裂かれたそいつは着地することも出来ずに樹に激突――鮮血を撒き散らした。
ボルスはその斬れ味に目を見張る。
剣というものは、大きく分けて二種類に分類される。
一つは「斬る」ことを主目的とした剣。この手の剣は刀身が長く、厚く、そして大型なものが多い。というのも、治金か金属加工の技術が未熟なために刃の硬さと軽さを両立出来ないからだ。悪戯に軽く薄くした剣で、相手の防具や骨を斬ろうとしたら折れた、などということになれば剣の意味を成さない。
今でこそ鍛冶技術の向上で、ある程度細くても切れ味のよい剣が作られ始めているが、大抵は斬る剣と聞けば刃がやたらと大きな剣を連想するのである。ただ、それらは刃が分厚いために用法は「斬る」よりも「叩く」といった方が正しい。
今、ボルスが持っている剣も、どっちかと言えば「叩く」方に分類されてもおかしくはない形状に見える……よく見れば、刃が普通より薄いのだが。
そして、もう一つは――
あまりの凄まじさに呆然としたボルスではあったが、それも僅か数秒のこと。
今度は右手に持った剣の切っ先を虚空に向け、柄頭に左の掌を添える。左手で押すようにして突きを放った。
それと同時に、襲いかかろうと宙に跳んでいた森林狼の口内から刃は突き刺さり、頭蓋骨を貫通し、そいつの脳を破壊する。赤い体液に濡れた切っ先が、後頭部を突き破った。
――もう一つは、「突く」ことを主目的とした剣である。これは先程とは逆に細くて軽いものが多い。これらの剣は針のように鋭い切っ先でもって狙った場所を的確に刺し貫く。中にはわざと刃を潰して円錐とか三角錐状の刀身を持つものもある。これらは極端な例ではあるが、「突く」ことを考えると「斬る」方はどうしても御座なりになってしまう。
いわば、二つの特性は反発してしまうのだ。
ボルスは、もはや困惑を通り越していた。身体が、震える。
もう一体狼がいたことに気付いたときには、そいつは高く跳躍していた。接近を防ぐために切っ先を突き出したが、まさかあそこまで深く刺さるとは思っていなかった。
その剣は自分の常識など超越していた。ここまでの斬れ味を持ちながら、刺突にも優れている。こんな業物、自身の十七年の人生において一度も見たことなかった。
そして、その剣に対して、畏怖とは別のある感情が心の奥底にあることにも気付く。
この剣に、自分は魅了されているのだということに!
この数年間傭兵紛いのことをして糊口を凌いできた。時には危ない橋も渡った。
いずれの場合も自分は剣一本で危機を脱してきたのだ。自分にとって剣とは、もはや捨て去ることの出来ない存在であった。
だからこそ? 自分はこの剣の威力に恐れながらも、こんなに惹かれているのだろうか?
ボルスは狼の顔を踏みつけ、刃を抜く。そのとき、剣腹の表面に文字が彫ってあることに気付いた。そこへ流れた血が赤く文字を浮かばせる。
そこには、こう記してあった。
――〝Destiny〟と。
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