第九話
財閥令嬢とのディナー。
それも国で有数の財閥どころの騒ぎじゃない。
ウクセンシェーナグループと言えば、欧州で最大の財閥だ。世界でも一、二を争う。そんなところのお嬢さんのエスコート。迂闊なものは食べさせられない。
(ラーメン屋ならそこそこ詳しいんだけど)
セシリアに「とんこつラーメンでいいか」と聞いたら、目線で射殺してきたので止めた。
会社で渉外とかやっている知り合いにこっそり頼み込んで、VIPの接待に使うには妥当で、俺の給料が秒速でぶっ飛ぶくらいの寿司屋を教えてもらった。
繁華街から少しは離れたところに店はあった。
「はぁ、もう十月か。冷えるな」
月明かりがよく見える。
それくらいに控えめな明るさの看板、『鮨 吉野』の隣に俺は立っている。待ち合わせである。
「ぐぅ、震えてきた」
寒いからだけではない。
財布の事情が恐ろしいからだ。俺は社会人になってから、一食に何千円も使ったことが無い。でも今夜は多分、桁が一つ足りないんだろう。
ガチガチと緊張で震えが止まらなくて縮こまっていると、目の前に長ーーーーーーいリムジンが滑り込んできた。
うーむ。この内輪差でどうやって裏路地に入った? こんな馬鹿げた乗り物で移動する馬鹿げた金持ちは一人しか知らない。
「あら、早いですね。扶桑景一郎」
「あ……お疲れ様です。セシリアさ――……?」
セシリアが後部座席から降りて来た。
昼も、それに昨日も一晩中顔を合わせていたが―― 俺は金縛りにかからずには居られなかった。
ビジネス用で堅苦しいスーツとは全く違う。
星空を凝縮したような、輝く濃紺のイブニングドレス。肩や胸元がざっくりと開いている。セシリアから視線をピクリとも動かせない。
露わになっている肩というか、鎖骨というか。
もっと正直に言うと胸元から目が離せない。
デカすぎでしょ。えっっっっちだ……。
「…………………………」
「ふっ」
視線をガッツリ掴んだことを確認したのか。セシリアは勝ち誇って鼻を鳴らし、プラチナ色の長髪をかき上げて店に入っていく。
その後ろ姿も、背中が大きくあらわになっており目線を奪われる。
「ぐ」
「何をしているんですか、早く入りましょう。ふふ、勝った(笑)」
「か、勝ったって何に」
「ふふん」
んだこのメスガキ。調子乗んなよ。
どうもセシリアには軽く見られている。
ここらでガツンと決めて見せよう。落ち着け、高級店という懸念はあるが寿司屋は寿司屋。和風というホームアドバンテージはこっちにある。ちなみにセシリアは「店構えはまぁまぁですね」とか、スゲー高い店なのに余裕そうだ。セレブめ。
迎えてくれた店員さんに、慣れている風を装って予約名を伝える。
「んよ、よ、よ、やくしてた扶桑です」
舐められないように堂々と入店。セシリアと二人でカウンター席に通してもらう。
五十代ごろに見える板前さんの貫禄が重すぎてビビったが、落ち着け。
事前にシミュレートしているぜ。
「扶桑景一郎、すごく震えてますが大丈夫ですか」
「フン、問題ない」
「そうは見えませんが」
ネルフ司令のように「問題ない」を繰り返し、俺は手に顎をのせて注文した。
「ん、大将。このお嬢さんに、今日のいいところをお任せで」
「はいよ」
お任せ。完璧なオーダーだ。
こうしておけば、何一つ寿司ネタに詳しくなくてもいい品を出してくれるだろう。
この選択肢は正解だった。マジで緊張して無理。どう注文するかまで悩んでいたら、値段が気になり過ぎてパンクしていたわ。
ただ、回っていない寿司屋って、意外と入ってみると居心地良いというか。
板前さんも気位が高くないし、(隣に座っている性悪・産業スパイ・差別主義者の方がよっぽど取り扱い厳重注意だし)、俺が慣れていないのを見越してか気さくにネタの説明をしてくれる。いい人だ。一見さんお断りされるかと心配していた。
カウンターの向こう側の手捌きに驚いていると、
「真鯛です」
とか
「海老の昆布締めです」
と次々に逸品が出てくる。
ウッマ、なんじゃこりゃ。俺はスシローの甘海老二貫に勝る海老料理はないと思っていた。が、世界は広い。旨味がトロットロと舌で踊る。
唯一難点があるとすれば、なんで一貫しかくれないんだろ。スシローは二貫くれる。
そんな感じで楽しんでいる俺に大将も気を良くしたのか。よく見ると少しだけ微笑みながら次のネタを――
「ふん、スウェーデンの海老のほうが美味しいですね」
隣の女がまーた失礼なことを言い出した。平和に過ごせねえのか、日々を。
ピクリ
と板前さんの片眉が跳ねる。ほらぁ。怒ってんだろ。
セシリアほうは涼しい顔で軍艦巻きをほおばっている。
「ん、イクラですか。でも私の国のキャビアとかロイロムのほうがもっと美味しいですね」
ピクリ
「海鮮と言えばサーモンスープでしょう。我が家のシェフもいい腕ですよ、扶桑景一郎」
ピクピク
と板前さんの眉間に皺が止まらなくなってきた。
やめて。出禁になっちゃう。頑張ってお金貯めたら、このお店また来たい。
そんな俺の願いとは裏腹にセシリアのマウントは絶好調。つい俺も反論したくなる。
大将、ちょっとお待ちを。俺がこの女にビシッと言ってやりますから。
「ォ、お、俺はこういう料理、美味しいと思うけどォ?」
「日本風が好みと?」
「ん、ああ。そうだね」
「フン」
鼻を鳴らす音も上品だが、どうもお姫様は不機嫌らしい。
ぶっちゃけこの娘の機嫌が悪くなるポイントがイマイチ分からん。ただ、ちょっと不機嫌なのは分かった。
スウェーデン料理の自慢を一通り、二通り、三通りくらい。
それだけでなく、話題は徐々にお国柄自慢にまでエスカレートしていく。
「日本。フン、そんなに良い国でしょうか。疑問ね。何が自慢ですか?」
「に、に、日本には四季があるんだよなぁ」
「そんなの自慢になりません。大体どの国でもあるから。北欧にだってあります」
そーなの?
と、普通に不意を突かれた俺に向けて、セシリアはスマホの写真を突きつけ、熱心に出身国のアピールをしてくる。
スマホで彼女が見せてくれたスカンジナビアの景色は、確かに風光明媚と認めざるを得ない。
ていうか、なんでこいつこんな熱心なんだよ。マウント大好きか?
「深い針葉樹林も、ストックホルムの宮殿も、群島でのカヌーも、雪景色も、バルト海の魚介も、ワッフルにベリーも、アンティークも、白夜も、星空もなんでもありますね。ついでに魔術関連は野蛮なアメリカや非主流の日本よりもずっとずっと進んでいます。我がグループで保有する魔力結晶鉱脈をご存知? 世界最大規模で、現在の技術でも掘り尽すまで五万年はかかります」
「……おぉ……」
「ほら、オーロラだって見られますね」
「オーロラ……! 俺、一生に一回は見たいんですよね……」
「ふっ、もちろん見られます。私の別荘、北部にもあるので毎年見られます。これ私が撮った写真」
「いいなぁ」
満足そうに顎を上げ、セシリアはウニの握りを口に放り込んだ。
やっぱりマウント好きだった! 羨ましがったら機嫌よくなりすぎだろ。
「コホン。ちなみにですね、扶桑景一郎」
「?」
「我が国は基本的に移民に寛容でしたが、昨今の国際情勢から見ても、移住は徐々に狭き門になっていると言えます」
「はぁ」
「コホン」
なんか咳払いが多いね。
早口で喋り過ぎかな。今日すげえ喋るね、君。
「分かりますか」
「はぁ。オーロラは見たいっすけど。えーっと、でも旅行するにも貯金が――」
「オーロラ? 旅行? ッ、チッ。いま移住の話しているでしょう」
「ん? 移住?」
そんな話してない。
話題の転換が急すぎやしましませんかね。
だのにセシリアの方は「話題は最初から変わっていない」と言いたげな様子だ。
例の射抜くような目線で、俺の眉間を捕らえて離さない。
「ここで問題。永住権を得るに一番の早道は?」
「え、えーっと、えーっと……」
「そう、スウェーデンで伴侶を見つけるのがいいですね。ここまで言えばお分かりね」
「伴侶って……。そもそも俺、恋人見つけるところから始めないと……」
そういうとセシリアの形のいい眉が「ひくひく」と怒りに震えた。
なぜかカウンターの向こうの大将も眉を震わせた。セシリアが寿司ネタを侮ったから、ではないようだ。
「ああもう、人の話を聞きなさい! 扶桑景一郎!」
「そうだ! お兄さん。真剣に聞かないとダメだぞ」
「ダメですよ」
セシリアが感情的にカウンターをはたいた。
大将が呆れながら玉子焼きを出し、給仕のお姉さんが少し強めに椀を置く。
どうした。いつの間にかアウェーだぞ。
「あ、あ、でもぉ、恋人は探してますよ。ほら、マッチングアプリって言うのがあってぇ……。でもこれ多分壊れてて、一回もマッチングしな――」
「あ”ァ?」
次の瞬間、俺のスマホはセシリアに握りつぶされた。素手。凄まじい筋力強化魔術だ!
「死にたくなかったらアプリをアンインストールしなさい」
アンインストールはされたんじゃないだろうか。だって端末がもうないじゃん。
――
鮨 吉野:三重県南部の知る人ぞ知る名店。一昔前、サミットで各国の要人が集まった際は、非公式にその家族らの会食に使われたこともある。会計は時価。
扶桑景一郎のスマホ:格安で入手した数世代前の型だが、不慮の事故(笑)で破損。後日代わりの機種をセシリアから渡された。バックグラウンドでGPS追跡アプリが常に起動しており、電池の減りが早い。解除不可。GPS情報の送信先不明。
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