第八話
洞窟を這い出したら、すっかり日が落ちていた。
午前十時にダンジョン入りして、出てきたのは午前ゼロ時。
これから社に戻って本日の報告書をまとめることを考えると……。
(睡眠時間、なし!w)
笑える。
しかも報告できる成果も特になし。普段なら魔力結晶の一欠片でも持って帰るんだが、今日はそんな余裕なかった。
朝から直立不動で上司に叱責される自分をイメージし、俺は肩を落とす。
「ハァ~~今日も疲れた。あー、セシリアさん、ご無事で何よりっす」
「ええ。……助かりました。感謝します」
ぞろぞろとヴァルキュリャ隊も一人残らず、ダンジョンの穴から抜け出した。
爆発の煤やもろもろで服は汚れているが、セシリアも他の娘たちも大怪我は無い。いいことだ。
今日もどうにか生きて戻ってこれたか。
「じゃ、解散しましょか。おつかれっした。また明日」
「…………それだけ?」
「アはい」
帰りの車を少し飛ばせば、いったんシャワーを浴びるくらいは出来るかも。
そう思って速やかに解散しようとしたところ、セシリアに呼び止められた。
「ちょっと待ちなさい。本当にそれだけですか?」
「それだけ、って?」
「取引しようとは思いませんか?」
「??」
何言ってんだこの子。取引って、何。今からもう一仕事する気か。正気じゃない。
俺はサービス残業を少しでも減らしたいんだよ。
という俺の本音は上手く伝わらなかった。ハッキリと言わないと伝わらない。異文化コミュニケーションの難しい所だ。
愛想笑いダブルピース。疑問符をボディーランゲージと合わせて示した俺に、セシリアは呆れた様子で眉間を抑えた。
「ああ、もう。日本人、なんて平和ボケした民族……。よく考えなさい」
「はい」
「いいですか、我々は貴方が保有するダンジョンに不法侵入したのです。それを目撃したのは貴方だけです」
「はい」
「つまりウクセンシェーナ・グループのスキャンダルを貴方は握っているのですよ、扶桑景一郎」
「はい」
またしても異文化コミュニケーションの難しい所だね。
偉そうに腕を組んでこちらを睨めつける態度の割に、セシリアの指摘は要領を得ない。部隊の他の面々も、四方を取り囲んでの尋問スタイル。
何が言いたいのかよく分かんないや。眠いから帰っていい?
「で・す・か・ら、何か便宜を引き出そうと駆け引きするつもりは無いのですか?」
「はぁ、便宜」
「例えば金銭とか、転職の斡旋とか、上長への取り成しとか」
「はぁ」
「他にはそうですね。まぁどうしてもと言うなら一日か一年くらい交際――」
「いや、そんなつもりは無いですよ。あー、物欲が強い方じゃないんです」
転職は何回か経験してきたが、上手くいった試しはない。
上長にはこれ以上ないほど嫌われているし、命を救ったからと金銭を要求するまでは落ちぶれていない。
「でももう不法侵入とかしちゃダメですからね!」
ビシッ!
と大人として一言。
言ってやった言ってやった。
こちらとしては最大限の誠意と眠気を示したつもり。
だが、セシリアの表情はどこかプライドを傷つけられたような様子だった。ハイソな外人さんの考えることは分からん。
すこぶる眠い。
早く帰ろう。おやすみ。
……
…………
………………
翌日。
成果が無いことを上司にガツンと叱られた。いつものことだが、これが重なると来期の契約更改がヤバイ……。今週末もサービス休日出勤か……。
朝一でガッツリ凹んだ後はセシリアの教育担当としての仕事をこなす。
って言っても、契約社員のなかでも最窓際。教えることといえば雑務ばかりだ。
「で、これで日報完成です。あー……その、部署によっては電子化しているんですが、俺の部署は手書きです」
「オーゥ、なるほド、分かりやすいデス! 扶桑サン!」
誰だオメーは。
別人か二重人格かな。
可愛く手の平を合わせ、「ちょこん」と首を傾げ、天真爛漫な笑みを浮かべているセシリア。
俺の自席に椅子を引っ張って来て、聞き上手な様子を見せている。天使かな。天使のような悪魔かな。
「職場ではそのキャラ続けるんだ」
「なにか?」
「なんでも」
周りに聞こえないときは、北極海の冷たさを思わせる声色だ。
(皆騙されないで、こいつ産業スパイですよ!)
って突き出してもいいけど。なんか反省しているっぽいし、俺が騒いだところで信用差ありすぎて信じて貰えるわけないし。
占い師CO。セシリアさん狼です。ん!? 僕吊るんですか?! ってなる。
悪いことしねぇなら放っておくか。
事なかれ主義を全開した俺は、セシリアに仕事の説明を続ける。彼女の本性を知っている俺はビビり散らしているが、周りからみたら羨ましいようだ。
時々横やりを入れられる。
「おい派遣、迷惑かけていないか?」
と早速、本社所属の男性社員に声をかけられた。
年は俺より一つか二つ下。にじみ出る自信を隠そうとしない。
貰っている給料が段違いだからスーツの仕立てが良い。見せびらかすのは高級腕時計。
「はい、順調です」
「そうか? まぁアンタの仕事なら五分もあれば全部伝えられるだろ」
「……はは」
「セシリアさん、こいつ派遣なんで。メインの仕事はあっちで教えますから。終わったら来てくださいね」
「ハケン?」
セシリアは「知らない日本語だ」と言いたげにこっちを見た。
本社社員の方には不自然なくらい目線を向けない。
なんでかは知らんがセシリアさん、イラついている。
たった一日とはいえ十時間以上も一緒にダンジョンを彷徨ったのだ。猫被っていてもそれくらいの機微は分かる。
彼と俺の立場の違いを説明してやるか。
だが、
「あ……ああ……。その、何て言うかな」
つい言いよどむ。
セシリアに、自分よりも他の男の方が優れた人物だと明言するのは、なんだか嫌だった。
なんでだ。普段は自分を卑下するのなんて何ともないのに。
この娘の前ではなけなしのプライドを保ちたくなる。
「その、あー……業務の合理化のための、あー……職制上のー……」
「要はこいつが下っ端。俺達が命令する側」
そんなプライドも、端的に表現されれば消し飛んでしまうがね。
「……はい。そんな感じっす」
「ンー、わかりマシタ。では扶桑さんのお話、終わったらそちらニ、うかがいマス」
「いや。やっぱこんな奴の仕事しなくていいっしょ。今からあっちで――」
バキッ!
とセシリアが握るボールペンが砕け散った。怖すぎでしょ。
「わかりマシタ。終わったらそちらニ、うかがいマス」
「あ、ああ」
何か知らんけどめっちゃ怒っている。
剣幕に押されて男性社員も「すごすご」と引き下がらざるを得なかった。
でもそのボールペン、俺の自費なんだよね。
ギシリ、とセシリアは俺の椅子の背もたれに腕をのせた。他の社員に見られていない時は行儀が悪い女だ。
「ふー、ジャップの職場はストレスが溜まりますね。ねぇ貴方、あれだけの実力があってなんでそんな態度とるのです」
「学歴競争で負けたサラリーマンの、辛い所でね」
「フン。なにそれ」
今朝からセシリアの機嫌は悪化する一方だ。
彼女と少しでも仲良くなりたい男性社員が寄って来る。すぐ近くに俺が居るので、男性社員は自分たちの優秀さをアピールするために俺をコキ使う。
するとセシリアによって俺のペンが折られる。さっきので三本目である。
自費だって言ってんでしょ。
「なんか気晴らししたい。扶桑景一郎。貴方、今夜予定ありますか? 空いています?」
「ヒッ、あ、空いていませェん!」
「空けなさい」
「許して……」
「ディナーに付き合いなさい。この辺の店、案内してくださいね」
灰色の瞳が俺を射抜く。
ドキドキと動悸が止まらないのは今夜のロマンスを予感したからか。
それとも猛禽類に睨まれたウサギを疑似体験したからか。
逃げないから。襟首を握るのは勘弁してください。
――
九条ホールディングス:扶桑景一郎やセシリア・ウクセンシェーナが所属している会社。正確には、扶桑景一郎はその子会社の九条採掘株式会社の孫請け。子会社は三重県南部(伊勢志摩周辺)。漁港に恵まれているのでディナーは海鮮系がオススメだぞ。