第六十七話
ホクモンの町に戻ったら、今度は歓迎された。
グエン・バン・タインは仏頂面をほころばせて俺の肩をたたき、案内してくれた先には饗応の用意。新ソ兵二百人を撃退した功績を称えてくれている。
(ぶっちゃけそんな難しいことはしてねンだけどね……)
だって陸戦でしょ。殴り合っていれば何度も回復できる俺が勝つに決まってるじゃん。種も仕掛けもない、根性だけの話だ。
とはいえ、現地の人たちが喜んでくれてよかった。
「どんどん食べてください、扶桑殿」
「はい、いただいています。ベトナム料理うまっ」
次々に運ばれてくる。
バジルをほど良くきかせた、旨味の多いフォー。新鮮な海老の春巻き、魚醤のソースで。よくわからんけど美味い豚の炭焼き。よくわからんけど美味い魚のムニエル。
料理の大半は名前をよく知らない。が、口に合う。
魚介と米がメインで、醤油系の味付けだからか。日本人の俺にのなじみやすいのだろう。
ベトナムの宴会はかなり気さくなものだ。大皿を大勢で囲んで、酒を飲みかわす。距離感が近い。日本の二次会並だ。
特に、出陣前に話した現地の女の子、スアンちゃんはちょっと度が過ぎるくらいに近い。
「ケイイチロ、これ食べて」
「うん、美味しいよ」
「ケイイチロ、これも」
「んぐ、ぐ」
「これも」
「おごごォ?」
自分が作った料理ばかり食べさせたいのか。スアンは俺のひざの上に座って料理を取り分けてくれる。
スアンの家はこのホクモンのさらに北。新ソのやつらが駐屯していたあたりだ。あいつらを追い払ってスアンの実家を取り戻したら、すっかり仲良くしてくれるようになった。
また、他の女の人もジリジリと近づいてくるけれど、
「私の夫だ」
とスアンが威嚇するので仲良くなれない。
残念。あっちの子も、おお、そっちの子も美人だ。美人とアオザイの相性は最高だな。目の保養になる。助かる。
スアンの独占欲は収まらず。俺が他の女の子と目を合わせるたびに、薄い布地のアオザイ越しに、すりすり♥ すりすり♥ と尻をすりつけてくる。かわいい。
「ケイイチロ、私の料理はどう?」
「うまーい。これはお嫁さんにしたいですねえ」
「やっ、やっぱり?」
褒められたことへの照れが半分。
初対面のときの悪印象をどうにか払拭できたか、不安が半分。そんな面持ちで次の料理を取り分けている。
スアンは一度、俺を夫にすることを拒否している。だから心配なのだろう。
うーん、大丈夫大丈夫。そういう女の子ばっかりだから、ウチ。
とんとん♥ と寵愛を媚びるように。スアンが尻を俺の股座に乗せて来たので、撫でて安心させてやった。
現地妻というのもなかなか乙なものだな。
しっかり守ってあげなきゃ。うむ、ベトナムはもはや第二の故郷ということで。
そうやってスアンと仲直りしていると、
「扶桑殿、少しよろしいか。スアン、外してくれ」
「ム、私の夫だ!」
「分かった分かった。すぐに返すから、少し二人で話させてくれ」
グエン・バン・タインが話しかけてきた。
スアンは初老の男性に嫉妬心・独占心をむき出しにしていたが、外交の話だと理解してしぶしぶと離れた。
「扶桑殿、お注ぎしましょう」
「ありがとうございます」
「皆、酔いが回ってきたようだ。真面目な話をしても聞かれません」
にこやかな表情だが、タインの口ぶりは真剣なものだった。
重要な話題と察した俺は、部屋の奥の向かい合う椅子に目線を向けてうながした。宴会の明かりから、ちょうど柱が陰になって口元も読まれにくい。
座って、一息つき。
タインが切り出す。
「扶桑殿、調印書のことですが」
「あ、ああ。あれッスか」
ベトナムが新ソから独立を果たした後、
・ダンジョン採掘権
・経済特区での投資参入権
・港の租借権
このあたりをウクセンシェーナ家や九条家に認める、参戦の見返り。
その大事な書類なんだけど、なんか勢いとカッコをつけるために燃やしちゃった……。あとでまた上司に叱られる。
「予備は無いのですかな?」
「無いッス……マジ怒られる……」
「そうですか……」
「あとから文官がくるんで、そっちと話して決めてください」
「私はあなたと調印を結びたいのです。信用が出来る」
そういってタインは予備、というか代わりに自作した書類を渡してきた。作成者はタインだが、内容・効力は同じだ。
あの一瞬で暗記していたのか。やっぱこいつただ物じゃないな。
「ただ、調印書を精査して気付いたのですが」
「うい」
「ずいぶんと採掘権を取りたいダンジョンが具体的なようで」
じっ……とタインがこちらの表情筋をみつめる。『生還の』五感強化がなければ、図星に震えていただろう表情筋を。
確かに具体的だ。ウクセンシェーナ家なりに戦略があるのだろう。
でもどのダンジョンが欲しいとか知らねぇ……。上司や上司が命令してるのを承っているだけなンだわ。
「なぜなのでしょうか」
「それは、新ソとの紛争相手をこちらに引き込むためです。経済的につながりを強めて」
「ほう。では聞き方を変えましょう。なぜ、特にベトナムなのですか?」
新ソが狙って紛争状態になっている地域は多い。東欧、北極圏、朝鮮半島、中東の特にシリア。
なぜ、一紛争に過ぎないベトナムを優先するか。
あぁ。
それなら本心で言えるぞ。下っ端は下っ端なりに考えがある。
「それはベトナムのメコン川文明を尊敬しているからです」
基本的には、ダンジョンの強度はその地の文化・文明の質と長さに依存する。
古代文明が有利なのだ。
中国の長江・黄河文明を筆頭に、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明、マヤ文明。
「そしてメコン川文明。代表的な古代文明です」
「ふむ」
「うち、中国(長江・黄河)とインド(インダス)は独自路線の気質が強い。新ソに従属はしまい。中東はイスラムの相手が厄介でしょう。エジプト文明は先日の戦役で押さえました。マヤ文明はアメリカのお膝元」
「……なるほど」
「新ソが狙いやすいのはここ。ベトナムのメコン川文明に注目しているのです。我々も注目している」
「フム」
ふっ。
と、タインの真剣な顔がほころんだ。
「なるほど。なるほど、そういうことですか」
「ぶっちゃけさぁ。偉い人の考えとか知らんのよ。尊敬する相手を助けるだけだ。アンタらが取られると困る。新ソのほうに行かないでよね」
こちらの考えを理解したのか。タインは妙に納得しながら笑った。
「く、くく。これがウクセンシェーナの先鋒か。新ソなどよりよっぽど手強い」
「おん?」
「アメリカ人も、スウェーデン人も、新ソ人もしなかった攻め方です」
「そうなん?」
普通に本意を伝えただけなんだけど。
「彼らはこちらにとっての利点のような何かを挙げるだけで。自分たちの考えは一つも明かさなかった。私としたことが……外交の場で絆されそうになりました。お見事です」
「仲良くなれて嬉しいね」
「なかなか。人の心をつかむのが上手いですな、扶桑殿」
「んー、どもっす」
生来の悩みなのだが……。初対面でめっちゃ舐められる。
ただ、逆にうまいこと功績を上げると仲良くなりやすい。エジプトとかでもよく使っていた手だ。
ひとしきり納得し、そして調印書にサインをして。
「我が息子たちよ、今後はこれと外交をやりあうのか。中々骨が折れるだろう」
酒をあおり、タインは締めくくった。
――
メコン川:東南アジア諸国を流れる大河。ベトナム、およびカンボジアでは下流にメコン・三角州を形成する。紀元前二十世紀の遺跡が確認されている。