第六十六話
ガサガサとジャングルの樹を鳴らして歩くポチを、窘めた。
「ポチ。静かに」
「も、申し訳ございません……」
日がすっかり落ちたベトナムの夜。集落からも離れた場所で。
ほんの微かな月明かりを頼りに進む。目的は敗走する新ソ兵の追撃。
追い首は最も効率的に敵兵を殺せる。
戦場の鉄則だ。絶対に、追撃を怠ってはいけない。習いました。
「枝を払うなよ。音を立てるな」
「はっ、はい」
すっかりペットと化したゴブリン・チャンピオンだが、指示は聞くけど上手くこなせないらしい。
ダンジョンの外を歩いたのはほぼ初めて。経験が浅いのか。
追撃には静音が肝心だ。
ポチは後方を歩かせよう。
俺の方は闇夜の追撃は慣れている。暗い視界での行動力はダンジョン探索で必須。『生還の』五感強化は夜目を効かせてくれるし、それを人間の追跡、夜襲に応用するのも一度や二度ではない。
さて。
ジャングルは道なき道であることは間違いない。が、歩いていると高低差などの兼ね合いで、進路の二択、三択を迫られることがある。
三叉路のような地形に至って、俺はその場にしゃがみこんだ。
「ん~~、やつらは……こっちかな」
「なぜ、分かるので」
「足跡があるじゃん」
「……?」
十二月。
ベトナムの季節で言えば、そろそろ雨季が終わるころ。やや穏やかな、といっても熱帯らしい多量の雨で足跡はほとんど流れている。
が、俺の視力なら捉えられる。
「歩幅が獣じゃない。人間の足跡だ」
「追っているやつらなのですか?」
「行軍の足跡だからほぼ間違いない。それに――」
ポチが足跡を見つけるのすら手こずっている間。俺は近くの葉を指でなぞった。
血だ。
俺から撃ち込まれた銃創か。それとも暗い密林で、思わず同士討ちでもしてしまったか。
スン、スン
と鼻を鳴らすと、微かに硝煙の匂い。この近くで撃ち合ったか。後者だな。
決め手は、
ぺろり
と血を舐めて、舌の上で溶かす。すぐに吐き出して断じた。
「ペッ……――ウォッカをよく飲む男の血の味。ソ人だ」
わずかに残ったアルコール分。アル中で、従軍中でも飲むほどモラルが無いのか。追撃されるストレスを誤魔化すためか。
どちらにしろ狙っている獲物はこの先にいる。
「だいぶ距離を詰めているはずだ。静かにしろよ、ポチ」
「あ、あぁ……」
なんとも言えない、何か恐ろしいものを見る目で、ポチはこちらを見ながら頷いた。
……
…………
………………
夜営地――……というには、あまりにみすぼらしい集合地点にて。
逃走につぐ逃走で、くたびれ切っている新ソ兵の集団に、俺は音を抑えて近づいた。
手始めに後ろから。気づかれる前に二人の首元へナイフを突き立てる。
「わ、ァアアアアアアア! 猟犬! 猟犬が出た!」
「それ何? なんか最近めっちゃ犬呼ばわりされるンだけど……」
さらにようやく反応したもう一人が、狂乱しながらライフルを振り回す。弾切れらしい。
横薙ぎにされたライフルをかがんで躱し。
踏み込んで喉、胸、腹を三度刺して殺す。
「叫ばれちゃった。ポチ、突撃。サボんなよ~」
「アッ、ああ! はい!」
昼の間に潰し損ねた百人。上手いこと集まってくれたのでここで殲滅する。
鹵獲したカラシニコフを贅沢にフルオート発射。投降されても面倒なので、両手を上げそうなやつから撃つのがコツだ。
弾薬をばら撒いていると、土塁や即席の遮蔽物を盾にやりすごそうとしている者もいる。
そういう敵兵にはポチをけしかけて挟み撃ちだぜ。
「よーし。オッケー。作戦完了」
特に山もオチもなく。百人の敵兵の屍ができあがる。
残ったのは俺とゴブリン・チャンピオンだけ。
念のため。まだ少しだけ生命活動が続いている敵兵の、頭部に一発ずつ弾を撃ち込む。後片付けは大事。
そうしていると、ポチが震えながら聞いた。
「……同種を、こんなに、こ、殺す……のか」
「? うん」
「たッ、食べないのに……?」
「うん」
「な、ぜ……」
「うーん。分からんけど。一万年前からやってることだ」
コヒュ
とポチの乾いた喉が鳴った。ツバをうまく呑み込めなかったらしい。
「わ、わかっ……タ。人間は食べない、さ、逆らわない! 誓う……」
「そう? 分かってくれてうれしい」
先ほどまではしぶしぶといった様子でついてきたポチは、初めて心底服従した様子。膝をつき、頭を垂れた。
ちょっと露悪的すぎたか。ビビらせて従順にしようと思ったが効きすぎてしまった。
――
密林の誓い:ゴブリン王グレーゴオールあらためポチが、子孫に伝えた故事と教訓。ゴブリン語のため正確な翻訳・詳細な内容確認は難しいが、人間、特に扶桑景一郎への応対の心構えを記している。厳に守るよう、子孫に伝えられた。