第六十四話
調子に乗って敵兵を殲滅していたら、横から咆哮と一撃を貰った。
受け止めたプレートメイスがひび割れ、俺は十メートルほど吹っ飛ばされた。
「おごご。ん? あれ? もしかしてダンジョンモンスター?」
衝撃で気を失いかけた。首を振って意識を戻す。
攻撃の元に目線をやると、そこには大きめのモンスターが一匹。
灰色というよりも鈍色の肌。ニタニタと、左右不揃いでむき出しの牙。
醜悪な顔面に、俺より知性の低そうな表情。手には大ぶりの戦斧が握られている。
「でっかいゴブリン、かな」
ゴブリン。小鬼とも呼ばれる人型のモンスター。
IMC(=国際魔法標準化機構)が定めるところでは、人間よりも小さいのがゴブリン。人間よりも大きくなると、群れを率いる存在とされる。
ゴブリン・チャンピオンとかに分類されるモンスターだ。
目の前にいるこいつはそれだな。身長も肩幅も俺の二倍くらいある。
厄介なサイズ。だが、それよりも気になる点がある。
「変だな。なんでダンジョンの外にいるんだろ」
「ゴォるルルルル……」
「新ソ連のやつら、なんか弄ってんのかな?」
通常、ダンジョンモンスターは外の薄い魔力では衰弱死する。人間や動物にとって、水・食料がないのと同じだ。
成長や傷の回復、繁殖もできない。そういうのが出来るのは体内に強大な臓器を持ち、自ら魔力を生成できる竜とかだけ。竜くらいになると地表に出て暴れることもある。ダンジョンからしみ出した竜は、大地震やハリケーン並の災害と同一視され、警戒される。
目の前にいるゴブリン・チャンピオン。こいつはそこまで強大じゃない。
ということは歩兵戦力の増強を狙って、新ソの連中が飼っていたのだろう。魔力切れによる衰弱の様子は見られない。
何らかの方法で、魔力を補充・供給されている。
(何らか? 何らかだと? チクショウ)
視力強化の権能が、いまは恨めしい。見てしまった。吐きそうだ。
ゴブリン・チャンピオンの口元に広がる血の色。鮮血。まだ新しい。そうやって魔力不足を補っている。
頼む。
家畜か何かであってくれとも思ったが――
「プッ」
とゴブリンが吐き出した肉片には……。クソ。また見えてしまった、明確に。
獣や家畜のものではない。
戦時でも、親が気を使って、よく手入れされた。
まだ幼い毛髪。
「ははは、おいコラ」
すぐそばにへたり込んでいる、新ソ兵を叩き潰した。両手を上げていたような気がしたが、気付かなかったことにした。
背を向けて逃げ出している連中には、後ろから弾丸を撃ち込んだ。
感情を処理し切れない。
理由は分からないが、脳が理解を拒むと笑ってしまうのか。
「はは、おいおい。なんなんだ、お前ら? え、どういうつもり?」
食わせやがったのか。地上で、ゴブリンを戦力として使うために。ただそれだけの為に現地人の子を捕まえて。
食わせやがった。
本能的に、頭に血がのぼる。一人も逃がしたくない。
遠くまで走って離れる奴から順に狙って撃ち殺す。つい、視野が狭窄して引き金に夢中になっていると。
「待て」
「あん? げ――ぼっ」
「あんまり殺すな。新ソ兵は、美味い人間の場所を教えてくれる。代わりに私が護衛する。そういう契約をしたんだ」
ゴブリンの斧が俺の腹にめり込んだ。
その威力に胃や肺が破裂し、大量に吐血したことでかえって冷静になった。やば。コイツ、強いな。
ざっくり実力を読むなら、Bランクボスモンスターくらいか。素の俺だとかなり苦戦する。
それと意外なことは、強さの他にももう一つ。
「君、喋れるんか」
「ああ」
「バカな猿のくせに」
「その辺のゴブリンと一緒にするな。私の名前はグレーゴオール。ゴブリンの王である」
それも流暢だ。
バカみたいな顔をしているが。平均的なゴブリンに比べ、かなり知性は高い。
ならば交渉の余地はある。
「なぁ、これは相談だが。人間を食うのやめてくれないか。大人しく巣に帰ってくれ」
そしたら追跡して、巣を全部焼き払うだけで勘弁してやる。
その提案を、ゴブリン・チャンピオンはニタニタとした笑いを浮かべて拒否した。
「断る。人間は美味い。もっと食べたいんだ」
「じゃあもう一つの提案だ。あっちに新ソ兵どもが逃げていくだろう。それを一緒に追いかけて狩ろう。全部食っていいぞ」
「それも嫌だ」
「なんで」
「人間でも成長した男は肉が硬い」
「んー、いっぱい食うところあるぞ」
「アァ駄目だ。出来るだけ若い、小さなガキがいい。女の方がより良い」
「……」
「昨日、妊婦を捌いたが。あれの中身が一番良かった」
うーん。
はは。わがままだね。笑わせる。殺さなきゃ。
「んー、なるほどなるほど。わかるよ。良い趣味ウォラァ!」
「遅い」
友好的に話しかけながら、距離を詰めてメイスを突き出す。眼球を狙った一撃は、片手で止められた。
カウンターで薙ぎ払われた斧で、吹っ飛ばされる。
「ぐぇえぇえー!」
「お前。他の人間よりは速いけど、全然遅い」
「ッ、ち。ま、待て……コラ……」
転がって戦闘態勢を整え直すが、ゴブリン・チャンピオンは俺に興味を失った。
俺と戦う必要は、こいつにはない。飼い主の新ソ兵どもは逃げ出したし。腹を満たすことを優先するのか。
「お前は不味そうだ。見ればわかる。それよりも、あっち。人間の群れの匂いだ」
スンスン、と豚鼻を鳴らしている。
いかんな。ゴブリン・チャンピオンは俺を打ち捨て、ホクモンの町に向かうつもりだ。こいつの実力なら町一つ食われる。
行かせるわけにはいかん。
だがどうする。こいつ、相当なグルメのようだ。
俺だけでなく、転がっている敵兵の死体にも目もくれない。俺本人=無限に回復する肉をエサにできるかも、とも思ったが。成人男性は好みではないようだ。
ん。
いや。待てよ。閃いたぞ。
ならばこのゴブリンの舌の好みを、満たしてやるか――
「『仮面の権能』」
「あ? お前、どっから出た?」
ゴブリン・チャンピオンは一瞬驚いたが、すぐに舌なめずりしながらこちらを値踏みした。
興味を失っていた、成人男性・扶桑景一郎ではなく。それが変装して姿を変えた、一人の幼い少女を捉えた。
『仮面の権能』。
先ほど、ホクモンの町でゲットした他人に変装するスキル。仲間のフリをして奇襲したり、体格を大きくして格闘戦を有利にしたり。当初、思い付いたのはそういう使い方だったが。
こういう使い方もあったか。
幼女に変装した俺は、怯えているフリをした。が、逃げ出しはしなかった。
「おい。どっから出た? お前みたいなやつが、この近くに沢山いるのか?」
「……」
「まぁいいか。町に食いに行く前にこっちを食おう。いただきます、っていうんだろ? 人間は」
そう言ってゴブリン・チャンピオンは、俺の右肩から先を引っ張ってちぎった。
断面から血が滴り落ちる。
その鮮血、そしてゴブリンにとっては極上の骨付き肉にヤツはかぶりついた。
「はい勝ち」
「……アァ?」
「ようやく食ったか。自分を食わせるのってムズ~」
その瞬間。
『生還の権能』の副次スキルが発動。
血液に含まれる俺の細胞は、他者に取り込まれても死滅することはない。俺本人の回復力と同様に、『生還の』スキルによる復活対象だ。
そしてそれは念じるがままに、手や指と同じように操作が可能。
取り込んでしまったゴブリン・チャンピオンの血管、そして脳に流れ込み、一気に支配していく。
『仮面の』ほうは権能解除。成人男性に戻った俺に、ゴブリンは気付いて驚愕した。
「グッ、ぐ、ガ……! お、お前、俺ニ何をシた、た、タタタタタ?」
「脳の運動を司る部分を、血の針で刺した」
「……?! グッ……! う、マグ、喋レな……」
「あとゴブリンが人の言葉喋るとかキメェ~~から言語野も刺し潰した」
「グッ……! ぐぎっ……!」
「オオカミは飼いならされて犬に、イノシシは家畜として豚に。お前も同じように、支配してやるぞ」
このままだと害獣だからな。
――
『仮面の権能』:Cランク。発動することで顔だけでなく、体格、指紋、体臭、声色やそのほか生体的な特徴・反応を他人のものにできる。ただし、魔力の向上や権能のコピーは不可。(例えばセシリア・ウクセンシェーナの見た目をコピーしても、彼女のように強力な魔法使いにはなれない)戦闘力の向上は、より体格・筋肉を増やせる程度のもので、ほぼ無し。