第六話
「……――なんて忌々しいダンジョンなの」
吐き捨てるようにセシリアが言った。
猫かぶっていたときはニッコリと微笑みを絶やさなかったのに。先程からずっとしかめっ面。眉間が寄りっぱなしだ。
美人の怒り顔はこわい。迫力がある。
あたりを照らす魔法杖の光が、欧州の人特有の彫りの深さを強調している。
「座標がどうズレるか、ランダムなんて……」
「脱出失敗ですか、セシリアさん」
「チッ」
こわいって。睨まないでください。思わず目を逸らす。
俺はとりあえず正座しておいた。
だが空前絶後の革命的コロンブス的コペルニクス的なアイデアを閃いたので提案した。
「ま、まぁまぁ。これはとっておきのアイデアなんですが……もう一回飛べばいいのでは? 瞬間移動」
「出来ない。日に何回も使える技ではないのです」
「マジかよ」
今日も残業確定だ。
セシリアの瞬間移動魔法で脱出した、はずだったのだが。俺たちはまだダンジョンの中にいた。
いや、むしろ出口からさらに遠ざかってしまったかもしれない。近づいたかもしれない。それすら分からない。
魔法熟達者のセシリアのことだ。完璧に地表出口にドンピシャ転送を狙ったはず。狙いに狂いはない。
(狂っているのは、このダンジョンそのものか……)
出口がわからないのでお先真っ暗。そして、もっとマズい点が一つ。
「セシリアさん、ヴァルキュリャ隊は全員連れて来れました?」
「ええ、どうにか。だが……」
イラだちを強く見せていたセシリアが、初めて泣きそうな表情を見せた。
膝を抱え、無力感で座り込んでしまった。
「みな死んでしまう」
暗い洞窟に隊員たちが横たわっている。
「こひゅーつ、こひゅーっ」
という呼吸器官が傷んだ息つぎ。
「げぼっ……!」
という吐血音。
体の至るところから血が溢れてくる。上体すら起こせるものは一人もいない。
大半は大鬼との戦闘で重体。
さらに悪いことに、瞬間移動した先がまずかった。数メートル、地面よりも高く転送してしまった。
さらにさらに悪いことに、着地先は鋭い岩肌だった。一人残らず行動不能。重傷者は三十分ともつまい。
「みな、忠義深い者ばかりです。どうにかして……助けなければ……っ。危険はあるが、急いで治療薬になるモンスターを捕らえ――……」
「これはとっておきのアイデアなんですが」
「チッ。うるさい。何です? また馬鹿馬鹿しいことを言ったら即死させますよ、日本人」
「ピャエ」
こ、こやつ……。
一分前に命を救ったのは誰か忘れたんですかねェ……。
という文句が口からでかけたがやめておく。俺は大人なので我慢できるからが一パーセント。セシリアのイラついた顔が恐ろしすぎたのが九十九パーセント。
ピャエとか言ってしまったではないかァ。
「俺の血液を使います」
「?」
本当に意外なフレーズだったのか、セシリアが眉を寄せたままこちらを見た。
「血?」
「さっきも見たと思いますが、俺ってすーぐ回復する権能なんです」
「ええ。あれほどの回復術は、総本山の大司教でも難しいでしょう」
「これを他人の傷口にふりかけると、同じようによく治ります。回復力を一時的に分け与えられるんです」
「!」
「ただ、許可をいただきたい。宗派によっては嫌がる人もいるでしょう」
文化によることだ。軽視は出来ない。輸血そのものを嫌う者。牛や豚由来の薬を避ける者。
猿と見下す相手の血液など、彼女たちは死んでも嫌かもしれないのだ。
「どうしましょ」
「部隊を代表して頼みます。た、助けてください」
「了解しました」
意外だった。こういう高貴なお嬢様たちって、下賤な血がちょっとでも触れるの嫌がりそうなのに。
命の危険には代えられないからか。それとも、少しくらいは俺のことを信頼してくれているのか。
「痛ッ、てて……」
刃物を当て、手首を自分で切る。そして一番怪我がひどい娘の傷口へ血を流す。
「……どうして、助けてくれるの?」
「へ」
「……ひどいことをしたのに」
「え、あ、ああ。んー、なんででしょうね」
なんでかね。男ってのは美女に弱いのだ。
それに、みたところヴァルキュリャ隊の面々は若い。多分ガキもいる。
ガキどもがちょっと跳ねっ返ったからって、一々目くじらは立てないさ。
大人が全員こうってわけじゃないぞ。毎回甘えないように。
俺は特別優しいのだ。もしくは特別女性に免疫がなくて、つい甘くしてしまうのだ。正解は後者。
重傷の者から一人ずつ、丁寧に介抱する。
「さあ、もう少し頑張って。とにかく血を止めます」
と声をかけて励ますと、隊員の一人が震えながら手を握り返してきた。虚ろな瞳。だが意識はある、大丈夫そうだ。
少し安静にさせていると、彼女らの傷口はみるみるうちに回復した。
これなら死にはしないだろう。ついでにセシリアの傷も回復しておいた。
「よし、ひとまずは安心です!」
「……」
「……あのー、ん安心でぇす!」
「……」
うーん、静寂が居心地悪い。
俺が内心期待した感謝の声は聞こえてきませんでした。
一言くらい礼を言ったらどうかとも思ったが、高慢ちきな女たちめ。目線すら合わせないじゃないか。
ただ全員、初対面の時の嘲り笑いはしなくなった。
なぜだか代わりに、どの娘もしきりに前髪をいじり始めた。服を整えたり、手鏡を取り出す者までいる。ファッションが急速に流行したのか?
ほっ、とため息をついたセシリアが、再び険しい顔に戻る。
「感謝はします。でも油断しないでくださいね、扶桑景一郎」
「ええ分かっていますよ」
どうしたもんかね。
飛ばされた先はこのダンジョンのなかでも大きめの空間が広がっている。
いくつか道はあるが、どれが出口に繋がっているのか。選択をミスればむしろ出口は遠のく。
「補給がない。座標も不明となれば、次は餓死や衰弱死の危険がある」
「大鬼以外にもモンスターはウロウロしてますからね」
「急ぎ脱出をしなければ」
「んー……」
俺は選択肢の道をキョロキョロと見比べ、
ぱちょん
と指を鳴らす。
イマイチ決まらなかったフィンガースナップを誤魔化しつつ、直感で一つを指した。
「こっちっすね、出口」
「なぜ分かるの? 扶桑景一郎」
「ああ、言っていませんでしたっけ。そういう権能なんス」
「ただの高速回復だけ、じゃないと? あれだけでも凄まじい術なのに」
「そ、『生還の権能』。生還するのが得意なので、出ロとかなんか分かるんですよね~。勘だけど」
はっ、とセシリアの表情がこわばった。
あれ、俺なんか変なこと言ったかな。
「生還……。あなた、権能の神格モデルは?」
「え?」
「普通考えるでしょう。自分が獲得した権能、どんな神か」
「……よくわかんない。歴史とかそういうの」
「教養なし」
ひでえ。中学・高校時代、古文は苦手だった。難しい言葉で理解できないんだよね、神話とか。
「……まさか。ダンジョンから生還することに長けた、神格……」
「なんか思い当たるのいますかね」
「日本の神話体系で、黄泉の国から帰ってきた逸話の……。国造りの……」
「ヘー! 国造り? 卑弥呼? 卑弥呼でしょ、それ」
「違う。なんで私のほうが詳しいのよ。大学で何学んだの」
高卒っす。
卑弥呼じゃねえのかよ。高校の教科書にはそう書いてあったぞ。
「まあまあ、取りあえず先に進みましょうよ」
顎に手をあてて何か思案するセシリアや、部隊の面々を率いて俺は出口へと進んだ。
――
イザナギ:日本神話で国産みの神格とされる。生命を司る。黄泉比良坂から生還を果たした、日本最古のダンジョン探索者。