第六十話
ニコライ・コルネーエフ兵長は震える手でAK-74Mを点検した。
「ハッ、ハッ、クソッ!」
何度も弾倉を確認する。
行軍中にすることではないが、不安なメンタルがそうさせた。
ニコライは新兵ではない。いくつかの戦場を経験し、生きて帰っている。
生まれのシベリアに比べれば、ひどく暑いこのベトナムのジャングルも。耐え抜けるだけの訓練は経ている。
なのに落ち着かない。ニコライ以外も、小隊全体が恐慌している。
(なんなんだ、あいつは……!)
確かに殺した。
確かに全身に弾丸を食らわせてやったはずなのに。
ベトナム現地兵か? いや、少し顔立ちが違う。もっと東。極東の中国や日本の特徴だ。
ニコライは新ソビエト連邦のなかでも比較的東の出身なので、アジア人の顔の違いが分かった。同僚の、モスクワ出身のダニールは『どうせアジア人だから同じに見えたんだ』と笑っていたが。
そのダニールも察していた。そしてニコライ自身も察していた。
同じやつだ。
三日前のも。昨晩のやつも。今日の朝のやつも。
今、追いかけてくるやつも。
同じ人間なんじゃあ、ないか?
「噂だが」
「……なに?」
「北アフリカ帰りの知り合いが言っていた」
ジャングルの枝を払いながら。
すぐ隣を行軍しているダニールが言った。
「どんな噂だ」
「……クソッ、与太話だと思ってたんだ……『ウクセンシェーナの猟犬』、『不死人』、『底なしの火薬庫』……全部、ただの噂かと」
その知人の部隊で、脅かし半分、笑い半分で話されていたことだ。
死なない敵兵がいる。
それも火薬満載で。決して止まらないシンプルな重火器の、ダメージディーラー。戦場ではなんと恐ろしいことか。殺し合いにならないのだ。殺されるしかないのだ。
その会話が小隊全体に伝わり、動揺が広がったことを察して。隊長が怒鳴った。
「おい、クズどもが! 私語をするな! コルネーエフ兵長、貴様は後方を警戒を――……! ッ敵襲!」
隊長の叱責が中断した。
自動小銃を構える音。ニコライも恐ろしい気配を感じて、すでに振り返っていた。
(あいつだ……!)
さっきのあいつだ。間違いない。
何発も7.62mmを撃ち込んだ。崖下に突き落としたのはニコライ本人だ。
目が合った。
険しく細められた目。こちらを捕らえて微動だにしない、黒褐色の瞳。他の部隊の返り血か、それとも自身の血なのか、深紅に染まった全身。
半壊した陸戦用PAを、自立して運べるほどの膂力。
左手には、引きちぎられた我が方の戦車装甲。これを盾として持つ。右手には大ぶりなプレートメイスが握られている。鉄塊の化け物。
バフ! バフ!
とせき込むようなPAのジェットエンジン音が響く。ジャングルの木々の葉が吹き飛ばされ、より敵兵が露わになった。
突撃してくる。
迎撃が追いつかない。なんで、なんであんなに訓練したのに、照準が遅いんだ。手が震える。
敵兵の雄たけびが迫る。
「オォォォォォォオオオ――――――ッ!」
ぐちゃっ
隣で慌てて戦闘態勢に入った、同僚のダニール。その彼の頭部が一瞬で潰れた。
さっきまで話していた戦友に。敵兵の棍棒が叩き込まれた。
一瞬だった。
一瞬。
トマトみたいに潰れた。鮮血が散る。ニコライは故郷のボルシチ作りを。母の手製の、あの赤いスープを思い出した。なんでこんなときに、母親の顔が浮かぶんだ。
続けて。
最も早く応射した小隊長の頭が潰された。側面から薙ぎ払われて一撃。首から上は「スポン」と、どこかに飛んで行ってしまった。即死だ。
悪夢。
どちゃっ! どちゃっ!
とメイスが鳴るたびに、部隊員の頭が潰される。
もう小隊の応戦は始まっている。ありえない、確実に十発は食らわせたのに。
また。また立ち上がってくる。
「チョ――――ルトッ!」
思わず悪態が出た。
そもそもニコライは祖国の正義の為にここにいるのに。
祖国の為に、堂々と戦っているのに。何も恥ずべきことはない。
ちょっと現地人を襲撃してダンジョンを奪ったり、子供を人質にしたあと殺したり、巻き上げた金品が足りないから村を焼いたり。それは現地調達の一環で、これは祖国の為の戦いなのに。そう教わったのに。
なぜ。こんな、勤勉な自分がこんな散々な目に遭う?
「うわぁああああああッ! 化け物め!」
間に合った。悪態をつきながらも間に合った。
小隊員を次々に挽肉に変えた『ウクセンシェーナの猟犬』が、こちらに振り返った瞬間。
ありったけの弾丸を。弾倉全部を。フルオートで発射。
半壊したPAの補助防壁を破壊した。よし、この距離なら。貫通できる。
(いける。勝った!)
人間どころか、熊でも象でも死ぬ。流石に起き上がってこれまい。
思わず笑みがこぼれる。半笑いになったニコライの表情筋が――
再び引きつる。
敵兵の全身にあいた銃創が、塞がっていく。
またしても起き上がってきた化物のプレートメイスが、ニコライの顔面にもめり込んだ。
……
…………
………………
「ヴェ゛ェ゛エ゛……道に迷ったよぉ……」
ベトナムのジャングルの奥地で。
俺――扶桑景一郎は途方に暮れていた。
熱帯の気候のせいではなく、焦りで汗が止まらない。
道に迷ったというかさ。
道、ないじゃん。ジャングルつらぽよ。。。
一人くらい新ソ兵を残して道聞けばよかっただろうか。取りあえずコンパスを鹵獲したが、そもそもここはどこで目的地は東西南北どっち?
という問いに、答えてくれる者は居ない。
「ヴィンセントぉ……助けてくれ」
同僚のヴィンセント・ミルド中佐に無線は通じねえし。こりゃ相当見当違いのほうに来ちまったな。
迷子になることも一回や二回ではない俺は、嫌な方面で慣れてしまった。行き先は分からないけれど、間違った方向に来ているのは分かる……。
迷子慣れだ。
「んー、たぶん、そう、こうこうこう来たから、たぶん南に向かう。南……南だから……下かな」
地図を何度か回転させながら、そう結論付ける。
下ってどっちだ? 難しいな。東なら右とか、西なら左とか分かりやすいんだけど。
南、か。
たぶんこっちかな、と俺は割と下り坂っぽい方向に向かって歩き始めた。
――
プレートメイス:戦地ベトナムでの装備の一つ。魔力バーナーは高温多湿下にて、しばしば魔力回路がショートを起こすことが確認されている。現地改修的な、近接武器の代替策。板状の鉄塊を放射状に配置したシンプルな鈍器。刃の鋭さはないが耐久力が高い。魔力も不要で、腕力だけで運用できるため肉体強化系と好相性。
四章です。今度こそ真面目なエピソードを書きたいですね。よろしくお願いします。