第五十四話
今日は式澤くろえの家に呼ばれた。
駅前一等地にあるマンション。
建物のエントランスはオートロック。謎の高そうな絵とか花とか飾ってある。上層階専用のエレベーターがあり、これもカードキーが必要。部屋もオートロック。
(俺なら鍵忘れて締め出されて泣きそう)
女子だからこそ、気になるセキュリティということか。
あとさ。なんでコイツら、自分のテリトリーに呼びつけるのが好きなんだ。楓、椿、眞帆。他のメンバーもそうだった。こっちとしてはアウェーなことしかない。
ただまあ。四回目なので、どういう意図で呼び出されたかは分かっている。
「ボタン、押して。一番上」
「へい」
言われるがままに。エレベーターの最上階のボタンを押す。
狭い密室で二人。緊張しているのか、くろえの耳が真っ赤に染まっている。
ふーん。まあ、いいけど。やっぱりそういう用事か。
「ここ、私の部屋」
「おう、お邪魔しまーす。へー、綺麗にしてんだ」
「……」
「ん? なに? 入っちゃまずかった?」
「……別にぃ。なんか。女子の部屋に入るの、手慣れているなって思っただけ」
「そう?」
気楽にズカズカと入り、リビングへ。お土産に買ったショートケーキも渡す。
部屋主のはずのくろえの方が落ち着きがない。俺の隣に座るかしばらく迷って、結局隣に座った。取り急ぎ腰に手を回して、軽く撫でたら驚いていた。
用件は分かっている。
まあいいけどね。
ただなあ。性格がねぇ。合わないんだよなあ、こいつとは。そりゃあ美人よ。美人も美人。
トップアイドル顔負けのルックスなのは間違いない。ただなあ、性格の不一致って不幸にしかならないからなあ。
ま、ワンナイトくらいなら付き合ってやってもいいか。
そう内心を決めたところで、くろえの方から切り出してきた。
「あ、あのさ……」
「ん」
「楓社長に聞いたんだけど、お嫁さん何人もいるってホント?」
「うん」
「ふ、ふーん。……じゃ、別に追加で……あー、つまり……んん」
間があまり持たない。普段は頼みもしないのに軽快に小馬鹿にしてくる饒舌さは、鳴りをひそめている。
さっさと本題済ませよう。
「で」
「っ、はいっ」
「今日は何の用?」
「あっ、はいっ……あー、その。なんと言ったらいいのかな。その……ダンジョンで、景一郎くんが、あー、助けて? んー、くれて」
「で」
「いちおー? 嬉しかったというか、えー」
告白ヘッタクソだなあ。
今まで男に声を掛けられることは、数えきれないくらいあったのだろう。でも、自分からアプローチしたことないのが丸わかりだ。
「だから、付き合っ……て、ほしいかなって。……思っているんだけど」
「うーん。そうねえ」
「……」
「いいよ」
「!」
今晩お試しね。
と、続けようとした俺の視界の端。何の気なしに向けた棚の方に、衝撃的なものが入ってきた。
「やった――」
「?! こッ……! くろえさん、これは!?」
「ん。ああそれ。何、欲しいの?」
「愛本ココアちゃんの新作水着【プライベートビーチ版】フィギュア?! な、なぜここに? まだ発売は先のはずッ!」
VTuber、愛本ココア。
俺の女神にして人生の指針。愛くるしい声と、それとギャップにちょっとだけ意地悪な発言も。リスナーの心を射抜いて離さない、新進気鋭のV。
楓たちにしこたま叱られたあと、俺のメンタルを支えてくれたのは彼女だ。彼女のアーカイブヘビロテがなければ、俺は今回の出張で折れていたかもしれない。
それにしても。
バカな、ありえない。
このフィギュアの発売日は来月。受注生産のくせに人気過ぎて、予約受付から第一版は倍率百倍。そう噂される抽選必須の品。余裕で増産決定済み。
それがなぜここに。
「彩色済みだッ! 日焼け跡も完璧ッ!」
このむっちり太もものサイズと、肌の露出の多さ。ココアちゃんのイメージには似合わずけしからん! と思っていたが。やはり良い!
天才だ! この造形師は天才!
「約束された勝利の逸品ッ! ココア党リスナーのマリア像ッ! 現代によみがえったミケランジェロがッッ! なぜここに??!」
「あ。それサンプル。知ってるの? 愛本ココア」
「知ってるも何も! 全配信見て全アーカイブは何周もしている! あと、ココア『さん』だ。『さん』を付けろ小娘畏れ多いぞ!」
「ふーん……」
「え? え? ていうかなに? 関係者? スタッフ? いやでもココアちゃんは独立系の個人Tuberのハズ……」
この部屋に入って、今まで。
俺とくろえの関係性にははっきりとした上下があった。愛の告白・アプローチをする者と、それにOK/NGで断ずる者。
その上下差はヒマラヤ山脈とマリアナ海溝よりも大きい。
しかし。
しかし、式澤くろえは生来から、男の風下に立つことをよしとはしない。そんな勝気な少女だ。
逆転勝ちを確信したくろえが、衝撃のセリフを。いや、正確には。
衝撃の声色を放つ。
「Vtuberのぉ、愛本ココアでーす」
「――――――……? えっ?」
「子豚さんたちー? 今日もぉ、ココアの配信に来てくれてありがとーっ♥」
「?!?!? コっ、こ、こっ、ここ、ココッ?」
いつもの導入の挨拶。何百回と聞いたのと、寸分たがわない。
ニワトリと化した俺に、くろえは追撃を加える。
「アンタ、あのキモイ配信のリスナー? ぷっ。マジ?」
「ココアちゃんの、声ッ?!」
嘘だ。
全然気づかなかった。毎日聞いているはずなのに。
キャラが違い過ぎて。天使のココアちゃんとは、性格が違い過ぎて。
いや、待てよ。よく考えたら、たまーに毒舌を吐くココアちゃんと、目の前の性悪女の口ぶりが。重なる。頭の中で、一致していく。
嘘だ。嘘だ。認めたくないのに、俺の鼓膜は認めていた。
にやにやと、くろえのマウントは続く。
「金になるけどぉ。流石にキモくてぇ、引退しよっか迷ってたんだよね。ふーん、そーなんだ。リスナー? へー?」
「あっ、あっ、あっ」
「累計スパ額はー?」
「い、一万四千二百円でしゅう……! 貧乏でぇ」
「ちっ、なに? 無課金かよー」
俺のなけなしのお小遣いは(観測でき)無 (いレベルの)課金。
ってか本物じゃああん! 生声がわ゛い゛い゛! でもセリフ辛い!
「ココアちゃんの声でっ! 解釈不一致! 解釈不一致! 解釈不一致ッ! 頼む、ココアちゃんの声でそんなセリフやめてくれえええ!」
「キモーイ! ブロックしちゃおっかなー?」
「ひいっ! ひぃ……! ブロ? ブロック?! 俺の、生きがいが、ブロック?」
「嫌?」
「嫌でしゅぅ! 許して、許して」
「嫌ならぁ、一生私の夫として仕えることー♥」
「仕えましゅぅ!」
……
…………
………………
「はーい、それじゃあ配信終わりまーす。チャンネル登録、よろしくねー♥」
ふう。
と一息ついたくろえがマイクを切った。
最高のひと時だった。推しの配信を生で視聴。全身が洗われていく。
生というのはリアルタイムという意味ではない。生の肉声である。
配信中ずっと、くろえの太ももの上に頭を乗せて。福音が天から降ってくるのを仰向けで聞き続けた。
俺、たぶん地球上で今一番、『人生』を『謳歌』しているよな。
「はぁ。どうだった?」
「天国」
「ふーん。そ。え、アンタ泣いてんの?」
「死んでもいい」
「………………きも……♥」
膝枕配信視聴、最高。これ特許取れそう。
今日の愛本ココアの配信は、リスナーたちも少し困惑していた。腰の痛みにしばしば無言になったり、俺がさするのに驚いて変な声を出したり。
『ココア様大丈夫?』
『無理しないで』
『あ、そこアイテムあったのに』
『今日なんかエロくね?w』
『風邪かな、調子悪そうだね』
『ごそごそ音する』
『男いたりして笑』
『そんなわけないだろ』
『ココア様の配信で下品なこと書かないで』
『ココアちゃん、配信お疲れ様!(*´ε`*) またまた来ちゃいマシタ……もう三十回連続。引かないで(;・∀・)(ヲイ 今日はお昼、久しぶりにケンタッキー行ってきたヨ!! ココアちゃんはお昼何食べたかな~~?( *´艸`) 贅沢言うなら、ココアちゃんの手作りハンバーグ、食べてみたいかも侍です!(/ω\)』
同志たちよ、みんなスマン。来ちまったわ、画面のこちら側に。
真っ赤なスーパーチャットがたくさん流れているのを見返しつつ、くろえを抱きしめる。無課金で俺だけの女だ。優越感がたまらない。
抱きしめていると、くろえが呆れ顔で応じた。
「はいはい。またココアちゃんの声でやって欲しいんでしょ」
「いや、それがさぁ。聞いてて思ったんだけど、くろえちゃんの声のほうがいいわ」
「……は?」
こちらを向いて目を見開いている。
俺自身も驚いた。この結論は正直意外だ。
「ヘッドホンとは桁違いだわ、生の声。マジで惚れて頭おかしくなりそう。あと普段外出るときマスク二重でつけてくんね? ほかの男に声聞かれるの、嫉妬で狂うわ」
「……あっそ。……そーする」
「性格もなあ。熟考したけど、結婚するならくろえちゃんかな。ココアちゃんは奥さんって感じじゃないし」
「……あっそ。じゃあ、婚約のときに交わした契約。夜はココア:くろえ=9:1の割合、どうする?」
「0:10に変更でよろ」
「………………ふーん。ま、いいけど」
照れ隠しにそっぽを向いたせいで、真っ赤になっている耳が隠しきれていない。
普段は、次回の配信予定をSNSに投稿するのだが。
すっかり忘れたくろえは、うつむいたまま俺を寝室に引っ張り込んだ。
――
【 購入済 】
●式澤くろえ(18)
167cm 49kg
83-52-88
IQ:160
権能:『暗示の』 Aランク
専攻:経済学部(博士号)
備考:『暗示の権能』は油断した相手を緩やかな催眠状態にできる。素でトップクラスの配信者スキルに加え、これを重ねがけした配信は赤スパが乱れ飛ぶ。
ぜんぜんダンジョン潜らないので次の次くらいには真面目に働かせます。本当です。