第五十三話
「おっす」
「おっす」
駅前の待ち合わせで、倉見眞帆と挨拶を交わした。
いつもの『役員室』でのカッチリ決めた、ビジネスな装いとは違う。黒髪を無造作におろしている。
それに、レンズが分厚い丸メガネ。油断し切った、悪く言えば野暮ったい見た目だ。
俺はこういう芋っぽい感じ、好みだけど。
落差が大きくて少し面食らった。
「ちょっと時間空いてたから。景くんのアパートのあたり、久しぶりに行ったんだけどさ。なんか道変わってたね」
「え、来てたの? あー。あのへん、再開発されたからさ」
「引っ越したんだ」
「いや、住所は変わってないんだけど。アパートは半壊した」
「なにそれ」
「色々あったんだな、これが。簡単に言うと、外資の悪魔が押し寄せてきて屈した」
「ふーん? ……いこっか」
「おう」
職場の無愛想っぷりとは全然違う。
気さくで、慣れた相手には実は話好き。口数多し。一年以上経つけど変わっていないな。
倉見眞帆。
俺と彼女は昔、恋人同士だった。
……
…………
………………
給料は随分上がっているはずなのに、眞帆の住まいは変わっていなかった。
1DKの比較的簡素なオートロックマンション。
出不精で、人付き合いが嫌い。宅配ボックス付きで、配達業者との会話すらインターホンカメラ越し希望。そんな住まいだ。
こいつの給料や株式報酬なら十倍の家賃の所でも住めるはずだが。
「まぁなんだ。引っ越すのも面倒でね」
「だろうなあ。本が多すぎだよ」
「なんか勝手に増えるんだ」
また本棚が増えている。いい加減にしないと床が抜けるぞ。
眞帆は会社のソフトウェアや諸々のツールを開発するエンジニア。その一方、プライベートの読書は紙媒体派だ。しかもハードカバーをより好む。
「ん。紅茶でいい?」
「うん。サンキュー」
俺を招き入れた眞帆は、砂糖なし、ミルク多めで紅茶を淹れた。俺好みの味を覚えていたのか。
二人用のソファに並んで腰かけ、他愛ない話を少し。それから不自然な間と、不自然な切り出し方で眞帆は話し始めた。
「……社長に聞いたんだけどさ」
「ん」
「景くんって既婚者?」
「ああ。そうだ。すまん、言うのが遅れた」
「奥さん何人もいるって本当?」
「うん」
「ふーん。一夫多妻ってやつかね」
興味なさそうに。眞帆はティーカップを皿に置いた。
カタカタカタ
とカップとソーサーが小刻みに鳴った。
ずり落ちたメガネを、かけ直す手が震えている。
一呼吸おいて。俺が贈ったペアリングをわざとらしく弄る。結局手放していなかったのか。俺も手放していないし、今も枕元に大切に仕舞ってある。
「あ、そういえば新刊がさー。出たんだよねー、最終巻。えっとー」
そういって、眞帆は漫画の新刊を探し始めた。持ち前の頭脳で本棚の間取りは全部把握しているはずなのに。
相変わらず。
とにかく場を繋ぎたいとき。特に俺に帰って欲しくないときは、本や漫画の話をするのが眞帆の癖だ。
こういうちょっと不慣れで不器用なところも好きだった。というか、眞帆のことは大体全部好ましく思っている。
別れ話をしたときも。俺は内心反対だった。別れたくはなかった。
「あー、あったあった。景くんはもうマーレ編まで見た?」
「あぁ、全部見た。原作も完結まで読んだぜ」
「おっ、そうなのかい? じゃー、ネタバレ気にしなくていいや。で」
「ん」
「感想は?」
「んー、なんか。最後はよく分かんなかったわ。最初から巨人化能力消しちゃえばよくね?」
「はァ゛~~~~? 分かってないなぁ、君ぃ」
ちゃんと読んだのかよォ。
と、眞帆はお互いが好きな漫画の解説を始める。こうやって俺に、べらべらと講釈を垂れるのときが一番楽しそうだ。これが見たくて。この嬉しそうな顔を見たくて、漫画の趣味を寄せたし。眞帆が勧めたのは全部読んだ。
変わっていない。
いや、そういうわけにもいかないか。俺達は元恋人同士だから、完全に元通りというわけにはいかない。
先ほどから手が微かに震えている。眞帆のチャームポイントである柔らかな頬は、半笑いでぎこちない。
『別れよう』
そう、眞帆に言われた瞬間は今でもよく覚えている。
暗い、絶望の瞬間。正直何度も夢に見る。
入社当時から、楓社長と元々親しい近侍だった塚原椿や式澤くろえと違い。眞帆は一般枠での入社だった。
今よりももっと髪はぼさぼさで伸び放題だったし、分厚い丸メガネの向こうはコミュニケーションを拒絶する半開きの目。
猫背で、不愛想で、「使えない社員」の烙印を押された眞帆は、消去法で。同じく使えない社員、つまり俺の相棒になった。
最初の挨拶は、
『………………ども』
だ。今年の新人はヤバいぞと、(――のちにもっとヤバイ、オラオラ系ハードネゴシエーション産業スパイ財閥令嬢が入社してくるのだが)とにかくヤバいぞとその時は思った。
ただ、生来の根暗同士ウマは合った。軽く話しているだけで、どんどん仲良くなるほどに。
いまやすっかり世間話好きだ。
「つまりだねぇ。巨人化能力消すだけだとエルディアへの恨みは解消できないから、エレンは先に地ならしたわけだ」
「じゃあエルディア人の記憶弄って失くして、マーレとかに紛れ込ませればいいよね^^; ユミ民弄るのは、なんでもありなんだから^^;」
「だからァ~。違うんだって、そういう生活をしたいんじゃなくてぇ。もう本編のルートしか策は無かったの」
「進撃信者の本筋全肯定キモ^^; 虐殺よりマシでは?^^;」
「あァ~~?」
あの地味根暗娘が。
こんなに饒舌になったのは、ハッキリ言おう。俺の功績だ。数少ない自慢でね。
当時、なんやかんや仲良くなって交際を始めてから。
とにかくオシャレを褒めた。そうすると眞帆が、いつもと違う感じで恥ずかしそうに喜ぶからだ。
眞帆がぼさぼさの髪をストレートに整えたら艶やかさを褒めた。思い切ってコンタクトレンズにしたら女優顔負けだと言った。
初めての口紅にも、ネイルにも、ビジネスカジュアルの服選びにも付き添い。
社交的になり、そのたびに眞帆はメキメキと自信をつけて――
そして俺を必要としなくなった。
『別れよう』
と言われたときに、
『ああ、そうだろうな』
と思った。嫌ではあったが、当然だろうとは思った。
その時の眞帆は技術部門のトップにまで登りつめていた。
鮮烈に、魔術エンジニアとして才覚を示していく眞帆。社長に見いだされ、役員室に加入。
椿やくろえと高度な会話を交え、周りには俺よりずっとずっと高給で魅力的な男性社員たち。俺は平社員のさらに下請け。
当然の別れ話、だが。あれ以来少し、女性は怖い。
「つまり、つまりだね……あー、景くん?」
「ん」
おっと。ぼんやりと、当時を思い出していた。
現実に引き戻されて、眞帆の顔を見る。やはり俺の元カノはとびっきり可愛いな。これを育てたというだけで、人類史に貢献した自負はあるね。
欠点を挙げるとすれば、一つだけ。そんな泣きそうな顔はしないでほしい。
「つ、つまんない? よね。私の話。なんかっ、わた、私ばっかり話しているし」
「いや。俺の方も、かなりハイレベルな考察に集中してた。面白いよ。眞帆の話、つまんなくない」
「そっ、そっ、そっか」
何と伝えたものか。
そんなに不安そうな顔をしなくていいのに。
君と付き合ってから、別れてからも一度も。つらい思いをしてほしいと考えたことは無い。別れても愛している。幸せになってほしい。
「なッ……なんていうか。そうだね。ちょっと話変わるけど」
「おう」
「本題だけど」
不器用すぎるところも変わっていない。
いちいち本題だ、とか宣言する。もっとシームレスに、こちらが身構えていないところを不意打ちで言ってもいいのに。
男女の駆け引きが本当に不得意なのだ。
「今日は、今日。私は、よりを戻したいっ……て思ったんだよね。景くんと」
「ん。そっか。嬉しい。光栄だ」
じん、と目頭が熱くなる。嬉しさと、もう既婚という後ろめたさ。もっと早く言って欲しかった。
「ホントはっ……! 島根でまた一緒に仕事することになって、チャンスだと思った。仕事できるところを見せてだね?」
「ほうほう」
「それで少しずつ仲直りしようと思ったのに!」
「うん。いい作戦やね」
「それなのになんかっ、お嫁さん何人もいるしっ、『役員室』の他の子も君に惚れているらしいじゃないか! クソ、泥棒猫どもめっ」
「そうね」
ぼすん!
と眞帆は抱えたソファクッションを叩いた。
ジョークっぽく怒って見せていたが、本心らしい。こらえ切れずに涙を流している。
「そんなの、そんなの困るんだ。また付き合ってほしい。景くんが居ないと困る。は、吐くんだ……毎朝、別れた時を思い出して……」
「んー……そうさなあ、んー……」
「待った! わっ、分かった。分かった。そうだ、言うのを忘れてた。一週間!」
「一週間?」
「一週間、お試しで。正式に付き合うのはその後にしようじゃないか。それに、分かった。無責任に抱ける女という手も――」
ダメだな。
もう我慢ならん。
眞帆の顔が好み過ぎるのも。実は着やせするタイプで、かなりのボリュームを持っているのも。それを薄いセーター越しにすりすりと寄せてくるのも。
別れた後悔で泣き始めてしまったのも。自分をドンドン安売りするのも。
もう我慢できない。
ので、さっそく仲直りして嫁にすることにした。
……
…………
………………
結局、なんで俺をフッたのか。
一緒の布団をかぶりながら、眞帆は教えてくれた。
まだ後悔で泣きだしそうになるので、赤子をあやすみたいに腹を撫でる。ついでにパチパチっ♥ と魔力を流したら、ようやく眞帆は落ち着いてきた。
「浮かれてたのさ。なんか、いっぱい景くんが褒めてくれて」
「うん」
「まわりも、社長も。凄い人が多くて、それで……」
口ごもってしまったが、続きを継ぐならこんな感じか。
『もっと上の男も狙えると思った』
元々、恋愛経験が皆無だった眞帆が、そう考えたのも無理はない。俺、顔やその他ルックスはメチャメチャ下の部類だからなあ。悲しい事に。
「か、勘違いしちゃったんだ。景くんと、せっかく付き合えてたのに!」
「ほほー?」
「優しいし、かっこいいし、一番私のこと全部わかってくれてるって、知ってたのに! なんでだろ……」
「そうねー。なんでだろうなぁ、あんなに尽くしたのになぁ」
「う!」
「悲しいぞ」
「あ゛! でっ、でも! 結局付き合ったのは、景くんだけだ! 景くん以外とは、何もなかった。本当、本当だ。別れた次の日から後悔してて」
やべ、やりすぎた。また泣く。フラれた仕返しはこのくらいでいいか。
それにしても可愛らしい。さっきからずっと必死に言い訳している。そんなことしなくても、もう一生俺の女で離れられないって言うのに。
「ねえ、景くん」
「んー?」
「もし、今の奥さんに会う前にさ。私がプロポーズしていたら、受け入れてた? 私が景くんを独占できていたかな?」
「んー……」
絶対。
受け入れていた。
ただ、そういうとまた眞帆は泣きだすだろう。
「分からんね。あの時は俺も、身を固める気がなかったし。多分断ってたかな」
「そうか。そう、か」
君は優しいな、と眞帆は流石に俺の嘘を見破った。また涙を貯めている。
よろしい。
泣くということはまだまだ幸せが足りないということだな。後悔する暇もない、泣く暇もない人生を送らせてやろう。
取りあえず結婚して、式を挙げて、子供作って子育てして。人生振り返るならその後にでも、一緒にするか。
――
【 購入済 】
●倉見眞帆(20)
158cm 52kg
87-55-84
IQ:185
権能:『停滞の』 Aランク
専攻:量子力学(博士号)
備考:原子の移動や魔力の励起を停滞させることができる。戦闘にも応用できるが、特にナノ~量子レベルの基礎研究で有用。