第五十二話
リモートワークというのは初めてやる。
社長秘書の塚原椿に呼ばれて。三重県志摩市、英虞湾を一望できる別荘へ。
俺の活躍をねぎらうため、とか。業務をフレキシブルに、とか。リモートで裁量労働をこなせるように、とか。
色々と椿は理由を説明していたが。
「さ、扶桑。入って」
「おじゃましまーす……」
結局、彼女の別荘に連れてこられた理由は謎だ。リモートワークって合流してやるもんじゃなくね?
「うわ、すげえ眺め」
「ああ。気に入っている別荘の一つでな」
「こんなところで塚原さんはいつも仕事してんの?」
「役員ともなれば、能率向上のために別荘の一つや二つ、保有している」
「そーなんだ!」
上流階級すげえ。
風光明媚。
湾と木々が複雑に絡む合うリアス式海岸を、一望できる。独り占めしている気分だ。
狭い事務机や、硬い椅子の職場環境とはえらい違いだな。
「では、扶桑。業務を」
「あ、ハイ。お仕事始めます」
昇進したといっても、下から二番目のはず。
椿のような才媛が秘書としてついているのも。その椿のタイトなビジネススカートが、股下ゼロセンチメートルと攻めているのも。
というかリモートワークなら二人っきりになる意味ないじゃん、それぞれの自宅で働けるのが利点なんだから、という疑問も。
回答は無し。謎だ。謎のリモートワークである。
そもそもダンジョン採掘は現場に行かないと割と話にならない。でもまあ、事務仕事は溜まっているし、今日がんばって全部片付けてしまおう。やる気が出る環境なのは間違いないぞ。
「えっと、VPN? 接続? ンン?」
「ん、こうだ。次からは今と同じように接続作業を」
「あ。ありがとうございます。ええっと……じゃあ、エー……ウクセンシェーナとの取引……量……っと。エー、んー」
「大丈夫か?」
「ア。アイエ。アーその。……ちょっと、EXCELやマイクロソフトは宿敵でして……」
「ふむ」
IT化の波にのまれっぱなしである。頭いい奴はすぐに適応するんだろうか。
しかし今日は救いの手が。ちょくちょくお手伝いしてくれる椿が、「貸してみろ」と一言。ノートPCの操作を引き取ると、一瞬でデータがパパっと広がってグラフになった。
個人的には、
(魔法よりすげえ)
という感想。
「ワーァ」
「ん。これでどうだ」
「ありがとうございます、椿さん」
「困ったらいつでも呼ぶように」
そういって椿は自分のPC作業に戻る。
かっこいい……。出来る女だ。
仕事姿がカッコイイ女って、なんかいいよな。賢いキャリアウーマンって感じ。
それに、秘書って良い。脚が長くて、腰が高ーいのが良い。艶やかな脚を強調するタイツも、その脚を惜しみなく組んでくれるのも最高だな。
何故か椿はあっちの方にある机を使わず、ベッドの上に座りこちらに向かって作業している。時折、というか五分に一回。ベッドに倒れ込んで休んでいるが、疲れているのかな。
そのたびにスカートの中身が見えそうで嬉しい。じゃなくて心配だ。
そんな視線に気づかれた。
「手が止まっているが」
「あわ」
「何か迷っているのか?」
「えーっ……と。ちょっとこの資料で悩んでいまして」
「どれ」
とすん
と椅子のひじ掛けに座って、マウスの上の俺の手に、重ねて手を置いてくれる。
え。
全国の社長さんってこんなことして貰っているのか? エッチすぎない?
それとも今日の椿が特別距離近いのだろうか。
「こ、このSWOT分析って言うのが……。分類? の意味は分かるんですけど、上手く埋められなくて」
「ふーむ」
「すみません」
「いや、いい。ただ、この分析は基礎中の基礎で、使い勝手は良くない」
「あ、そうなんスか」
「扶桑は何も知らんな。いいだろう。今後、私がしっかりと教え導いてやろう」
ふふん、と椿は軽く微笑んだ。
椿は俺に物を教えるのが楽しいようだ。何か質問するたびにスパっと導いてくれる。
「この分析は定量的ではない。それに、注目してほしい箇所がどこかメッセージ性があいまいだ」
「アッ、ソッカ」
「フレームワークは自作した方が良い。既存のテンプレートに当てはめるだけだと、ボヤけた資料になる」
「うう、申し訳ないです」
「基本的な知識を顧客に説明するのには有効だがな」
時と場合で使い分けろ、と言った。
俺が従順に教えを聞くので、かなりノッてきた。今まで気づかなかったけど、椿は実は相当の教え魔のようだ。
いろんな分析パターンを並べて教えてくれる。これらを基本にして、オリジナルな分析方法を作り上げるのが椿たちがやっている業務か。そう考えると、俺との差をヒシヒシと感じるなぁ。一生かけても追いつけるだろうか。
「一からしっかり教えるので、頼るように」
「ありがとうございます!」
「ん。いずれ扶桑を完璧なビジネスパーソンに育ててやろう。私の言う通りにしなさい。……ところで、これ社長に言われて載せるのか?」
「あ、エト、ちゃんと分析したプレゼンにしろって言われてて」
「ふむ」
「参考書読んだら、こういうのが載ってて……」
そういって本を取り出したら、
ぎくり
と椿の動きが固まった。軽快な教え魔が、急に無言になった。
島根への出張中。
何もすることがなくて、棚に置いてあって「読んでいろ」と言われた本。それを指示してきたのは、目の前にいる塚原椿だ。主に辞書。
あとはビジネス本。なかなか身に着けるのは難しいが、この本も全部読んだ。
上長の言うことには犬のように従うのが平社員のルールだ。椿に指示された本は読んだし持ち歩いている。
そう伝えたら。
意気揚々と教えてくれていた椿の、表情が曇った。というか涙目だ。なんで?
「それも、読んだのか」
「あハイ。ええっと、指示されたのは全部読みましたッス! 広辞苑も!」
「……そうか……」
「あ、アレ。マズイッス?」
「……それは。その本は、あまり参考にならない。……こっちを読むように」
「ウッス」
口が重たい。何度も髪をかきむしり、俺向けの研修資料を慌てて整理している。
業務予定にないトラブルが発生したらしい。かなり焦っている。どしたん。
「こ、こっちも、これも、読んだのか」
「読んだッス!」
「う……うう。これもかなり古い本だ。こっちを、その、読み直すように」
「ウッス!」
「これも、これも、本当は……読まなくていい……わ、私の指示した本だけど……」
何で泣くのん? 椿のいう通りにしたと伝えたのに。ますます涙が溜まってきた。
あー、もしかしてあれか。
気にしているのか、乱雑な待機命令出してたこと。気にすんな。あんなの慣れっこだぞ。
俺の入社初日は似たようなもんだし、待機命令の詳細を指示したのなんて椿が初めてだ。優しい良い女だぞ。
「失敗した。失敗……」
「ドンマイドンマイ!」
「くっ、なんであんな雑な指示を……わ、私は、役に立つ女だと思う! しっかりと扶桑を支えられるのだ」
「おぉ。たぶんそうだね」
「絶対に、扶桑を一流に出来る。だっ、だからもう一度チャンスをくれ!」
「いいぞ」
後ろめたさで泣いてしまった椿を抱きよせる。可愛いぞ。
うーむ。椿は読まなくていいって言っていたけどさぁ。ぶっちゃけ全部初見の情報ばっかりで、普通に役に立ったんだよなあ。
と、いうのは内緒にしておこう。
取りあえずは秘書のサポートを受ける者として、しっかり椿の不安を解消してあげねば。
……
…………
………………
一日の業務を終えて。
ちょいちょい椿との仲直り休憩&シエスタも挟んで。
しっかりじっくり仲良くなれたので、今は疲れをとるために一緒に風呂に入っている。椿の別荘の風呂は二つ。一つは一般的なユニットバスタイプのもの。
二つ目は、贅沢なことに英虞湾を見渡せるガラス張りの一角に、ヒノキ風呂。
「椿さぁん、おかわり」
「はいはい」
「うまぁい」
「飲み過ぎたらダメだぞ」
「んー」
そこに専属秘書として椿を侍らせ。
具体的には椿を先に風呂につからせ。そのふとももの上に座り、長身を背もたれにして風呂につかると、一日の疲れが吹っ飛ぶ。
しかも風呂には桶を浮かべ。その上に日本酒と、冷やしたキュウリの浅漬け。最高。
「おっとっと」とお猪口を乗せた桶が揺れるのも。俺の体が酔いで揺れるのも。椅子代わりの椿にしっかりと支えて貰うので安心だ。時々気分を変えて、背もたれではなく抱き枕にしてもいい。
秘書ってすごーい。
「景一郎?」
「んー」
「こ、これだけ、役に立つのだが。私を妾にするメリット、伝わっただろうか」
「うん。俺の嫁で専属秘書だ。俺だけの女な」
「あ……♥ い、いや、楓社長がいるから専属というわけには――」
「いーから。社長よりも平社員の俺を優先な!」
「わ、わかっ♥ 分かりました♥」
「よろしー」
ふにふに♥ と抱き心地を楽しみながら任命すると、椿は素直に従った。
その後。
一合ほど空けて。ふらふらに酔ったので体を椿に洗わせて。そのまま抱えられて就寝した。
うーん、リモートワーク最高!
俺この仕事向いてるかも。たぶん一生できそう。
――
【 購入済 】
●塚原椿(18)
189cm 62kg
95-58-97
IQ:170
権能:『静寂の』 Aランク
専攻:応用魔術金融工学(博士号)
備考:十四歳の時にバレーU18日本代表で活躍。楓やくろえと同じく、高校飛び級組。魔法・権能・ダンジョンの影響で実力主義の傾向が強く、(我々の世界よりもずっと)飛び級は一般的。九条楓の幼馴染。本人も九条家同様、有力魔術家系の出身。結婚するなら楓しかいないと小さい頃から想っていたが、最近気になる異性ができた。