第五十話
「おおむね、ギリギリ、及第点と言っていいでしょう」
夜景の眺めながら。
ホテル最上階のレストランで、楓がそう評価を下した。
飯の味の話?
では、なさそうだ。
俺がはしゃぎ上がってムシャムシャ食べていたサーロインステーキを、楓はつまらなそうに食べていた。
俺のテーブルマナーのことかも、とも思ったが。それも違うようだ。(――最近、妻に徹底的に叩き込まれて北欧式のマナーは自信がある)
じゃ、何が及第点?
「えー……っと?」
「六十点。いえ、五十九点をおまけして補欠合格ね」
「何がです?」
「伴侶としての貴方」
「はんりょ?」
いきなり予想していなかった単語だ。
「ルックス0点。知力0点。才能0点。ただ、土壇場での振る舞いは悪くはなかった」
「は、はぁ」
え。
これ本当に褒められてんのか? 計算上は今のとこ俺0点なんだけど。
「そこで、本来あり得ないことに、九条の歴史上で類をみないことに、庶民にとっては泣いて狂乱すべきことに」
「はぁ」
「伴侶にしてあげましょう」
伏して神託として受け取れ、と楓は横柄な態度で示し、デザートの柚子シャーベットを口に運んだ。
俺はにぶい頭で。楓いわく知力0点の脳みそで一生懸命考えてみたが、もしやこれはプロポーズなんじゃないだろうか。
と、五分ほど唸ってようやくたどり着いた。
上流階級のボキャブラリーヤバスギだろ。
「フ、まぬけ顔。それはそうね。こんな超幸運、確実に思慮の外。夢のまた夢でも考え付かなかったでしょう」
「えー……?えーっと、つまり。本当にプロポーズ?」
「でも私は慈悲の精神で、貴方を特別に夫にしてあげようというのです。さ。スイートルームは押さえているから、今から――」
「でも俺、既婚スよ」
全身全霊のプロポーズだったのだろう。
仕事ができるところを見せ。武道にも長けることを見せ。ディナーでは財力を見せつけた。
万全の態勢を整えたつもりで、ホテルのルームキーを取り出した楓。
その緊張で紅くなっている顔が、一気に青白に変わる。
「――え? きこん?」
「あ、あのー、えーっと。嫁さんいます」
「は? そんな、まさか」
こんな雑魚男に、妻なんて居るわけない。その先入観が、楓の完璧な一日のプランを崩した。
「嘘。嘘ッ嘘嘘嘘! 社のデータベースでは独身のはず……」
「あー……」
そっか。
セシリアたちとの関係は一応公的には伏せているからな。楓が慌てて取り出して、必死に操作しているタブレットには、記録されていない。
そう伝えるとタブレットの表面を指先一つで割ったので怖い。タブレットを設計するエンジニアの皆さんは、次回作はゴリラに持たせて耐久試験しましょう。
このままでは済まさない、と楓がこちらを睨みつけた。猛禽類がウサギを狩るときの目、そのものであった。
「……来なさい」
「え?」
「来なさい! この!」
「げおお!?」
三つ言いたい。
ネクタイは犬の散歩用のリードのように使うものではない。そして犬は引きずって散歩するものでもないぞ。あと俺は犬じゃない。
という異論は、首が絞められたので声にならなかった。
「いったい、いつの間に……! まったく、報告をしなさいそういう重要なことは! 何度言ったら分かるの、重要なことは速やかに上長に報告!」
「げぇ、げぇ」
「くっ、九条の嫡流が……! 庶民に振られるなんて、許されない。あってはならない」
「げぼ」
引きずられて、レストランの外へ。楓は俺のネクタイを握りしめたまま、エレベーターホールを凄い剣幕で通り、そのまま階を移動。
予約済のホテルの一室へ俺を放り込む。
俺の自由意思を完全に無視して、ベッドの支柱へと縛り付けた。これ半分犯罪だろ。
怒りと緊張で真っ赤になっていた楓が、「覚悟しなさい」と言いながらドレスを脱ぐ。
覚悟て。そんな誘い文句聞いたことないぞ。
……
…………
………………
「フン、何が既婚だ。どうせこんな雑魚男っ。一瞬で篭絡できる。絶対別れさせて、私の夫に……!」
「ぐ、ぐるじい。息、息でぎない」
「朝までかけて、じっくりと逃げられなく……ん。これ……。これどうすればいいのかしら。大きすぎる。……?」
「ネクタイ、外して……!」
「ちょっと。扶桑君、これもっと小さくして頂戴」
……
…………
………………
「うお゛♥! ま、まって、景一郎君、まってっ 休憩!♥」
「ええ……社長、弱ぁ~~~~……。まだ始まったばっかッスよ?」
「ま、参りました♥ 負けました! だから休憩♥」
「はいはい。そういうのいいから。朝までかけて俺を落とすんだろ。はいどしたー、その意気込みはー」
「ごめんなさい!♥ 嘘です! 完全に貴方様専用だと、理解らせられました! イキがってたけど自覚しました!♥」
だからいったん休憩させてくれ、と懇願。
そうやって楓は停戦と前言撤回を申し出たが、サックリ却下だ。上下の格付けが外れなくなるまでやるぞ。
ぐちゃぐちゃに情緒を壊されて、顔は涙と鼻水まみれになって、腹には愛の刻印がクッキリ刻まれた楓。その小刻みに震えている腹を優しく撫でる。
撫でるというか握りしめる。『俺の所有物』だ、という合図だ。
もう逃げられないからな。近畿で応仁の乱より前から続く、由緒正しい名家だかなんだか知らんが。
内側からハラワタ押さえられたらどうしようもあるまい。覚悟しろ。
「無理♥ ムリ♥ むりっ♥! 権能ぅぅう……ッ」
「お」
ヒュ
と風切り音が鳴った。
捕らえたと思ったが、例の時間操作が発動。まばたきする間もなく、俺の掌のなかから逃げ出している。
『日と月の権能』か。
十秒ほど時間を停止させて、逃げ出そうと画策したらしい。が……
「はい残念逃げられなーい♥」
「えぅうぅぅぅ!♥ も、許してぇ! ちゃんと人生全部捧げたから一旦許して!」
一度ハラワタを押収された楓は、十秒程度だと寝具の上から転げ落ちるくらいしかできなかった。
はしたなく泣く後ろ姿を捕まえて、引き戻す。
生まれてから今まで、出会ったことのない感触に楓は降参し切っていた。うん、可愛い。だいぶ性根から叩き直しが進んできたな。
そろそろお嫁さん宣言も経験しておくか。
「よーし。だいぶ根性整って来たね。じゃ、取りあえず不倫相手ってことでいい?」
「不倫はいや!♥ 不倫はいや! 結婚が良い!」
「それなら楓は何番目の妻か、ハッキリ宣言よろ」
「いちばん――」
「おォ? 最初からやるか?」
「ひ! ウソです! また楓はウソつきました! ごめんなさいっ、ウソ♥ 一番じゃなくっ……。一夫多妻制で二十三番目の、お手軽なお妾にしてください!♥」
「いいよ」
よくできました。
もうちょっと時間かけてモノにするつもりだったが。
かなり早かったな。最短記録更新だ。
――
【 購入済 】
●九条楓(18)
181cm 59kg
93-56-94
IQ:185
権能:『日と月の』 A+ランク
専攻:経済学(博士号)
備考:九条家・次期当主。剣道の達人。ただ、強すぎたのと高校は飛び級のため、インターハイ等の公式大会は出場無し。