第五話
遠くに聞こえていた喧騒が、少しずつ近づいてくる。
たぶんスウェーデン語だ。何言っているのかはわからん。
電子辞書も落としてしまった。社の備品なのに。はい始末書一枚追加。今日だけで何枚書くことになるんだ。
「――セシリア、――!」
「――――!……――」
「……!?」
ちぎれ飛んだ首が近くに転がってくれて幸いだった。
生やすよりも繋げるほうが、短時間で済む。
俺は手探りで自分自身の生首を掴み、あるべき場所に戻した。一撃目で割られた頭蓋骨は、すでに修復しきっていた。
「力を貸してくれ、『生還の権能』」
血管と神経が繋がり、五感が戻ってくる。骨も肉も、貧血状態もすぐに治る。
いつものことだ。
こんな超高難易度のダンジョンから、ド凡人の俺がなんとか逃げ切る毎日。そんな実力アンマッチを埋めるのはこの『生還の権能』の力が大きい。
戻った視界でみた景色。
それは壊滅したヴァルキュリャ隊の面々だった。
「チィッ、長く気絶しすぎたか」
半数は大怪我をして倒れ、四半数はかろうじて戦っている。
もう四半数は大鬼の群れに連れ去られようとしていた。
その中にセシリアも含まれていた。大鬼どもは凶暴な種族で、このままだと全員今日の晩飯だ。
「いつもなら逃げるんだけどなァ~~……くそぉ~~……やるしかねえかァ~~、デェイデイ! デイデイデイデイ!」
俺は護身用のナイフを取り出し、渾身の力で大鬼の太ももあたりを刺した。
決まったッ。会心の一撃。
仕留めたはずの俺が、起き上がってくるとは思わなかったのだろう。無防備なところに決まった。
しかし……
「ゴ?」
ピンピンしてやがる。皮膚に刃が通っていない。
「き、効かね~~……デェリャ!」
「?」
「アチョッ! アチョッ! ホワタ!」
「ゴ?」
「くそ、必殺のォ~~……ジャンピング、とりゃああ~~!」
「フー……ゴゥゥ」
「――ごへあ」
両腕の全力どころか、全体重をかけても刃先が通らない。最後はジャンプからの落下攻撃(俺の必殺技)を決めたのだが、これも効かなかった。
わずらわしく思った大鬼に、逆に右半身を弾き飛ばれてしまった。
デコピン一発で肩まで消し飛んだ。めっちゃ強いじゃねえか。
「ぐひー……痛えよぉー……泣けてきた……」
右半身と一緒にナイフも砕け散った。右腕を修復しながら起き上がる。が、武器がない。武器があっても効かない。
「どーすんべ、これマジで……」
やっぱ逃げておけばよかった。そう、後悔し始めたところで―― 彼女と目が合った。
合ってしまった。
後になって思えば、この瞬間さえなければ俺の人生は平穏だっただろう。
それは人生を変えるほどに。強烈で印象的な光景だった。
セシリア・ウクセンシェーナ。
才能も、実力も、知力も、美貌も、血筋も、魔法も、カリスマも、財産も。すべてを持っている。
現代の貴族。西洋のお姫様。
そんな彼女が、媚びるような目線をよこしていた。苦痛で脂汗がにじんでいる。
「そ、そこの……日本人……、この剣を、つ、使いなさい……」
「セシリアさん」
「『死と戦争の権能』。即席ですが、死の魔法を付与しています……っ」
懇願だった。
肺かどこか痛めているのか。凛、としたセシリアの声色とはかけ離れていた。差し出された柄を思わず握る。
最上位の女性が、俺のような最下層の男に。あんな頼み込むような目線を。
そんなのあってはならない。
逃げ腰が無くなったのは、渡された剣が頼もしかったから――ではない。
「待たんかい、この鬼ぃ!」
本能が否定している。
そりゃ性悪女なことは間違いない。
が、この女性はきっと人類史上もっとも優れた存在だ。確信がある。
そんなセシリアが俺みたいな庶民に媚びる? 懇願する? それだけでイライラするぜェ~~。
しかもだ。大鬼なんていう、言葉も未熟な、人間様の亜種なんぞに食料にされる?
(あってはならない)
あってはならんのだ、そんなこと。不思議なモチベーションだった。
鬼め、これは私戦ではない。種としての戦いである。
セシリアの銀色の前髪が、一本でもほつれるのが我慢ならなかった。庶民ってのはお姫様とかに弱いのだ。さっきよりも何倍も握力がこもる。
「ったぁあ!」
左半身をくれてやる代わりに、大鬼の指を切り落とした。
なるほど、相当切れ味が良い剣だ。やつの指ごと落っこちてきたセシリアを受け止める。
ヒロインキャッチ! 決まったぜ。
「ッシャア! どうです?! セシリアさァん!」
「……っチ。魔力操作が死ぬほど下手ね、日本人」
「ワッザ!?」
「キチンと剣先まで魔力をめぐらせれば、指どころじゃない。傷口を壊死させて心臓を砕いていました。そういう即死の権能なの。あとツバ飛ばさないで」
「マジかよォ~~?! すいません!」
指数本を落としただけでは、大鬼の脅威が完全にはなくならない。才能がなさすぎてヤバい。
だが戦い方は分かったぞ。
「さぁ。もっかい痛み分けだ」
『生還の権能』。
即座に修復した左手と合わせ、剣を握り直す。
殴られたタイミングでガッと気合を入れて斬る。そうすれば最後には勝つのだ。超合理的。天才過ぎてすまん。
「アチョ! ――げへっ……ウリャ! ――ごほぁ……メェェエン! コテェ! ――げぼ」
何度も何度も踏み潰される。
骨を斬らせて肉を断つ。正確には骨を数十本砕かせて指の肉をちょっと切る。
視界が繰り返し血に染まり、激痛で感覚がおかしくなった頃。
『流石に指を切られ続けるのは割に合わない』
と判断したのか。大鬼どもは女の子たちを手放した。大怪我で動けない子もいるので、どうにか引きずって一角に集める。
いいぞ。
あとはこの鬼の群れを追い払うだけなんだが……鬼はどんどん増えてきた。
囲まれて逃げ道がない。
「ちくしょー……全然減らないっす。どないしよ」
「ゴホッ……いいえ、よくやりました、日本人」
「へ?」
「隊員はすべて取り返した。奥の手を使える」
「ほほ?」
「我がウクセンシェーナ家に伝わる奥義、『瞬間移動』」
セシリアが呼吸を整えて唱えた。
彼女が掲げた右手から青白い光の球が広がる。それは自分も周囲の同行者も丸ごと、別の座標へと転送する魔法だった。
「すっげえ、瞬間移動? 初めての体験だぜ~~」
素晴らしい解決策だすばらしい。
ただ、その脱出メソッドにほんの一つ、小さな穴があるとすれば――。
――
瞬間移動:ウクセンシェーナ家はこの魔法を使い、世界のほぼ全ての流通に影響力を持つ。転移って書くと色々ややこしいので、本作品では転送と書く。