第四十五話
元気そうで敵意むき出しの、ドラゴンが十匹。
無理だ。
人間には余裕で絶対的に無理。
本能的に後ろを向いた。勝手に足が走り出していた。
理性で踏ん張ってストップ。
「ちょっと失礼! 抱えますよ!」
塚原椿と倉見眞帆が腰を抜かしていた。一人逃げるところだった。俺は今、唯一の男子だ。
二人をそれぞれ両脇に抱えて走る。残り二人は自分で走れそうだ。
「す、すまない、扶桑」
「…………ごめん」
「大丈夫ッス!」
女子おいて走り去るわけにはいかん。
じゃあ逃げるぞ。ほら逃げるぞ。
「どァえー! しゃ、社長ォ! なんとかっ、倒せませんかぁ! さっきみたいにズババッて」
「無理ね。Aランクの竜種が十匹。奥の方にももう十匹。しかも復活能力持ち。斬っていたら魔力が持たない」
「んひぃ……!」
楓が無理なら誰でも無理だ。
必死に走っていたが追いつかれるぞこれ。向こうは一歩で十何メートルも進むんだから。無理無理無理。
追いつかれる。限界だ。泣きながら、両脇に抱えている二人を先に行かせた。
ここで止める。
こい。先頭を転ばせれば、後続も巻き込める。
竜の群れを足止めしようとしたところで、
「そこ、左」
「ぐあえ」
楓に押された。横に。
抱えていた女性陣もろとも、壁に押し出される。彼女たちが地面にぶつからないように、下敷きは俺。
倒れ込んだ先は、岩壁の裂け目だった。後ろから楓や式澤くろえも走り込んでくる。
「こんっ!? こんな所じゃあ、逃げ込んでも自分から追い詰められたようなものでは?!」
「黙って。静かに。『日と月の権能』」
――ギュッ――
と、時間が戻った。
感覚で分かる。三秒ほどか。
とにかく言えるのは、戻ったのが自覚できた。体感を残すほうの時間操作だ。
突進していた竜たちは、追い詰めたことを体感している。
それなのに時間が戻った。入り込んだ岩肌の裂け目は、似通ったものが多数並ぶ。勘違いしてすぐ手前の裂け目に顔を突っ込んだ。
長い首を伸ばして、俺達を探している。実は隣の裂け目に隠れている俺達を。
「おぉ……すげえ。逃げ切った」
「ふぅ。何とかなったようね」
かなり自由度の高い権能だ。
魔力が許す限り、戦闘での選択肢を事実上無数に選べる。
時間が戻ったり停止したりを、高速戦闘中に何度も挟み込まれたら。それを体感させられたら、かえって感覚が崩壊する。歩くことすらままならないだろう。
「防音も施しましょう。塚原さん」
「はい、社長。『静寂の結界』」
続けて社長秘書の塚原椿が、岩壁の裂け目入口に両手をかざした。薄く、うっすらと光る幕が張られる。結界術で、権能の対象を俺達全員にした。
すると、
ズシン、ズシン
と響いていた竜の足音が遠くなり、聞こえなくなった。
「しばらくは会話をしても大丈夫です。人間の声程度なら、無音まで音圧を落とせます」
「ありがとう」
「ただし、この『静寂の』幕からはみ出ないように注意を」
おお……。すごい。多彩だ。
いいなー、俺もああいう魔法! って感じの使いてえのに。出来るのは傷と体力回復だけなんだよなあ。
それにしても、走って逃げ込むのに必死だったから気付かなかったのだが――
「ちょ……っと。扶桑君、もう少しそっちに寄って頂戴」
「あおぉ。ごめんなさい社長」
「あの、こちらも狭いのですが」
「すっ、すみませ……」
せまい。
裂け目の中は五人分のスペースというにはギリギリ足りない。
楓と椿の百八十センチ超え長身美女二人に左右を挟まれている。
遺憾なことに、俺の身長では二人の胸元にしか頭部が届かない。丁度、こちらとしては文句ない高さで挟まれている。いいと思う。
前はくろえに抱き着き、後ろは眞帆の腹を椅子にするような形になってしまった。
せまいからしょうがないよ。だれもわるくない。
「ゲッ、陰キャ臭ぁい」
「ごめんね」
「仕方ない。このまま、ダンジョン脱出の作戦を考えましょう」
「ええー! ホントに言ってますか社長? ちょっと! 息がかかるし。陰! 脱出まで息止めろし!」
「はい、息止めます」
言いすぎでしょ……。
式澤くろえは俺が半径百キロメートル以内に存在することが不快らしい。
普通ならこんな舐めたクソガキぶっ飛ばしているのだが。いかんせん美少女はずるい。顔が良いと、クソガキ分からせパンチがしにくい。生意気だが顔は良い。アイドルグループのセンターよりも、ルックスは良い。愛嬌は最悪だけど。
キモがられたが、スペースが無いんだからしょうがないよね。ほんとしょうがない。こっそり腰に手を回して抱きしめているが、不可抗力だろな。
俺から離れようとしたくろえだが、裂け目からハミ出そうになった。竜がまだそばにいるかも。
命には代えられないからか、必死にしがみついてくる。嫌そうに怒っている顔だ。
現状を思う存分楽しんでいると、楓から指令がでた。
「さて、脱出策を。悠長なものは選べない。既に食料も水も切れていたから、扶桑君の補給があっても体力が持たない」
「社長はあんなにつえーんだから、一匹ずつ釣って倒せませんか」
「そうもいかないの。あの竜どもはあくまで取り巻き。中央部を見て」
「? どのへん?」
「ん、扶桑。もう少しこっちに寄ると見えるぞ」
窮屈で上手く見えなかったが、秘書の塚原椿が俺を抱き寄せて視線を通してくれた。
ふにっ
と、ちょうど頭部が椿の胸元の高さなので、いい具合に柔らかい。
「む。……いえ、私が指揮を執るのでこちらに寄りなさい」
「社長、こちらの方がよく見えますが」
「いえ、こちらで」
続いて楓が、
ふにっ
と俺の頭を抱き寄せる。どっちでもいいから一生やってくれねえかな。
楓と椿の胸元を行ったり来たりで酔いそうになりながら、俺は中央部を見た。
「あれは……。ダンジョンに入る前に見かけた、大蛇か」
中央部にいるのはヤマタノオロチ。
このダンジョンのボス。
なるほど、貫禄がある。例のゾンビ竜たちをも、何百匹も従えるほどか。
「あれを倒さない限り、ダンジョンを抜け出せない。そういうギミックがあるダンジョンのようね」
「ふーむ」
それは困ったね。
と、困ったフリをしておいた。
困ったは困ったけどさ、もうちょっとこのまま過ごすのもありだな。前後左右、ゼロセンチメートル以内に、男性社員憧れの女子四人がピタリとくっついている。
どちらかというと脱出したくないですねぇ!
チームの利益と自分の利益が食い違っている。
この利益相反を振り切り、チームのために行動するのに、強靱な精神力をもつ俺でも半刻ほどかかった。
褒めて欲しいもんだ。
――
『静寂の権能』:社長秘書、塚原椿の権能。音消しの術。歩行音、射撃音の消音、密談、潜伏、詠唱妨害、楓へのリラックス空間の提供と、応用範囲は広い。