第三十七話
小惑星帯は想像よりも、ずっと広々としていた。
岩石がビッシリと隙間なく漂っており、一瞬でも油断したら衝突する……。そんな、小さい頃に図鑑で見たイメージとは裏腹だ。どちらを見回しても、広がるのは宇宙の黒だけ。
ずっと寂しく、空っぽの空間を俺――扶桑景一郎は漂っていた。
『M型小惑星プシュケー、ランデブー』
無機質な自動音声ガイドだけが宇宙用パワード・アーマーのヘルメットに響く。
『距離二百キロメートル、百九十、百八十……』
「秒速十キロだってさ」
淡々と進む相対距離の音声に、身震いがした。宇宙空間では風がないので、速度を実感しにくい。
実際にきてみて初めて知ったのだが、空気もほこりも無いので障害物との遠近感もつきにくい。全部近くに見える。
相対速度。秒速十キロメートル、と計器だけが伝えてくれる。
なんて致命的な速度だ。労基法はどうなってんだ?
文句の一つでも言いたくなって、俺はご主人様であるウクセンシェーナ家上層部の面々を思い出した。
鬼の次期当主、セシリア・ウクセンシェーナ。
冷酷の現当主、カタリーナ・ウクセンシェーナ。
アカンね。
出勤前にはこんな会話を交わしたっけ。
「流石に一人宇宙に放り出すって、どうなん……。俺一応、君たちの夫なんだけど」
「は? 稼ぎが少ない男を入り婿と認められません。ねぇ、母様」
「その通り。さっさと稼いで来なさい。あと肩揉んで」
「へいっ」
だめだ。
業務内容に関して、俺の意見は一つも通ったことがない。
毎日毎日、辺境や戦場最前線に放り出しやがって。あの悪魔ども。俺のことを無限に残機がある便利な駒だと思っている。
ついに過重労働は火星軌道の外側まで届くようになった。
『着陸準備、噴射開始。距離三百メートル、二百、百……』
ずぅううん
と衝撃だけ足から伝わってきた。ヘルメットの震え以外、音としては響いてこない。
相変わらず聞こえるのは、音声ガイドと自分の呼吸音だけ。
『小惑星プシュケー、着陸』
『扶桑機、コンディションチェックどうぞ』
「んー、安全ヨシ! 今日も一日、ご安全に!」
『オールグリーン。ミッション第二フェイズへ』
『Sランク転送魔法、起動まで三、二、一……起動』
「ぽちっとな」
ビムッ――――――
という重力振が全身を打った。
超長距離・超大質量の瞬間移動魔法が発動した。
飛んだ先は月・地球ラグランジュ点。月と地球の重力がちょうど、吊り合う点だ。ここなら推進剤やエネルギーを使うことなく、安定的に構造物を配置することが出来る。
そこの新ソビエト連邦宇宙基地に、17000000000000000トンの小惑星プシュケーが激突した。
俺と一緒に瞬間移動した小惑星(岩石というには桁違いのサイズのそれ)は、無音のまま、あっという間に敵基地を粉砕していく。
今度は視界いっぱいに障害物が広がった。デブリが一面に飛び散る。
『ミッション第三フェイズ』
『質量攻撃の奇襲戦術効果、予測の百パーセントを達成。敵の各砲台沈黙』
「よしよし」
『『隕石の権能』者を確認』
「おっ?」
粉々に砕けていく敵基地周辺。次々に放り出される新ソ連の駐在兵の窒息死体を躱し、宙域を旋回していると、
ぱすっ、ぱすっ
と視界の端に噴射光が輝いた。
慌てた様子で宇宙用PAのエンジンを立ち上げながら、崩壊する基地から離脱。前後左右上下を一生懸命に見回して索敵している。新ソ連の宇宙覇権を確定させつつある原動力。宇宙戦に適した強力な権能者だ。軌道が安定するラグランジュ点。そんな厄介なところに居座ったこいつを正面から倒そうとしたら、兵士が何百、何千人も必要になる。
悪いがこっちも仕事でね。
その狼狽して無防備な背中に無音で近づき、
ジュウッ……
と、軍用の魔力バーナーの刃先を突き立てた。
データではBランクでも上位の権能者。俺よりも戦闘力は上。
そんな強力な権能者は、突如現れた隕石にあっさりと押しつぶされた。
「作戦名、トールハンマーねぇ……」
まったく上層部もエグイ作戦考えやがる。
……
…………
………………
『ミッション終了』
「はーい。お疲れ様」
これで新ソ連の宇宙拠点は全て叩き潰した。今後はこの小惑星プシュケーをベースに工廠を建造していく。
位置エネルギーに大きく優れるこの宙域を抑えたら、宇宙覇権は我らウクセンシェーナのものだ。
スウェーデン国旗とウクセンシェーナの家紋、それと通信アンテナを立てて電波状態を確認。
相手はすぐに出た。
「通信チェック、通信チェック。こちら扶桑。今日のお仕事終わりです」
「うむ、ご苦労。帰ってきてよろしい」
「お、ご当主」
通話に出たのは意外にも、カタリーナ・ウクセンシェーナだった。
珍しい。
高貴ぶって、気難しい女だ。こういう現場仕事にはめったに顔を出さないのに。
「褒めてくださいよご当主。今日は作戦行動完璧っす」
「ん。よろしい。では帰還を。もたもたするな。次の業務に移れ」
「了解。次の業務はなんだったかなあ」
「……」
俺がぼんやりとスケジュールを思い出している間、通信画面の向こうのカタリーナは「イライライライラ」と組んだ腕を指ではたき、こちらを睨んでいる。
面白いのでたっぷりじらしてあげた。
昨日も一昨日も別の娘と過ごしたからな。随分欲求不満が溜まっているらしい。三十路過ぎの女は大変だな。
「あー、思い出した。カタリーナご当主・三十五歳の全身リンパマッサージデラックス朝までコースね(笑) はは、待ちきれないから自分で通信に出たの?」
「う、む。いいから、さっさと帰ってこい」
「Aランクの転送魔法だと、転送の繰り返しで半日くらいかかるかな。じゃ、待っていてください。通信終わりー」
「まて。………………Sランクの方を使え」
「んー?」
「お前のSランクの転送魔法なら、寝室にすぐ来られよう。そっちを使え」
苛立ちと発情で顔が真っ赤になっているカタリーナが命令した。
眉間に深い深い皺を作り、威厳は保っているつもりだろうが頬が上気しきっている。
「カタリーナちゃんさぁ。Sランクの転送魔法は国家安全保障の根幹よ?」
「……」
「一日あたりの回数制限もあるし。そんなホイホイ使ったら、いざという時に国を守れないよ? ダメダメ」
「……」
「じゃ。そゆことで。オーバー☆」
「わっ、私、カタリーナ・ウクセンシェーナはっ」
「はい」
「こ、国家安全保障よりもっ、若い男との逢瀬を優先してっ、Sランク転送魔法をこっそり使います! 国民のみなさんっ、ごめんなさい!」
「よろしい」
命令ではなく懇願に変わったので、カタリーナの言うことを聞いてあげることにした。
宇宙戦の後は、カタリーナの相手。次はダンジョン維持のために会社に出勤か。
体がいくつあっても足りん。
――
超光速通信:ウクセンシェーナ家が保有する瞬間移動魔法の通信への応用技術。通信データ媒体を瞬間移動させることで、月・地球の通信ラグを2.5秒→0.1秒まで短縮できる。
この世界の航空宇宙技術:魔法の応用で宇宙空間や小惑星、月面、火星に基地を建造する程に進んでいる。特に新ソビエト連邦は他国よりも優位な技術レベルにある。