第三十五話
カタリーナの「かひゅっ、かひゅっ」という呼吸音が響く。
冬のスウェーデン北部は夜が長い。
夜明けまでの勝負、という取り決めは、どうもカタリーナにとって不利なほうに働いているようだ。長期戦はどう考えても選択ミスだろう。
一戦終えて。シーツの上で、第二十三代ウクセンシェーナ家当主、カタリーナ・ウクセンシェーナが過呼吸に苦しんでいる。
大変そうなので口を優しく塞いで、呼吸を整えててあげた。
「はっ……は……♥」
「カタリーナちゃん。これで俺の十戦十勝だけど、まだ続ける?」
「く、う……な、ぜ。ジャップは小さいと聞いていたのに……あの人よりも、ずっと大――」
「ほら、差別用語禁止だぞ」
「ぐぎ!」
仰向けで力尽きているカタリーナの腹を、ぐりぐりと拳で躾ける。
ハートマークの刻印に魔力をパチパチッと流すと、「かひぃ」っと声にならないかすれた息を吐いた。ばたばたと両脚を広げながら一生懸命抵抗している。
十分ほど水揚げされた魚みたいにバタつかせてから、魔力流しをほどいてあげた。化粧が涙と涎でぐちゃぐちゃだ。妻としてだらしない無作法だが、俺は優しいしまだ初日なので見逃してあげよう。
さて。
「カタリーナ? 二人っきりの時の取り決め、忘れちゃったかな?」
「う、う、『当主として外向けに振る舞っている時は偉そうにしていいけどっ」
「はい」
「二人っきりの時は、年増が舐めた口利かないこと』!」
「覚えてるじゃん。なんで守らないの」
「あ゛あ゛ぁぎ――――!」
パチパチパチパチパチパチパチパチッ!
あー、また気絶だ。
北欧の、最上位貴婦人が白目むいていやがる。でも絵になるなあ。
こう、横顔が良いよな。高い鼻のラインと、顎にかけての起伏が芸術的だ。うっかり見とれてしまった。
「おーい。起きろー」
「……………………かひゅ! ひっ、ひっ♥」
昼は態度デカいくせに全然よわよわだな。娘と同じくらい弱い。
まったく、前の夫とはどんな情けない夜をしていたのだ。どうせ弱っちい営みをしていたのだろう。それで娘も母に似てしまったのだ。
これはウクセンシェーナの危機だな、危機。このままでは北欧の要石が緩んでしまう。
俺がしっかり手綱を引き締め、ゆるみ切っただらしない血筋を鍛え、躾け直さなくてはならない。責務に決意をあらたにする。
「じゃ、もいっぱつ」
「もっ、もぉ降参っ、降参! 分かった、分かりました!」
「おォん?」
「セシリアとの結婚は、認める! 認めようじゃないか! こ、これでいいだろう」
「よーし、あっさり一人娘差し出したなー。あれ? でも、それじゃーまだ半分だよね」
「はいっ、わ、わたしも、わたしもお前の女になる――さっ、させてください! 結婚!」
「おっ、だいぶ分かって来たね」
口調は少し矯正の余地あるが。先回りした察しの良さは妻として合格だ。
飲み込みが早いじゃないか。物覚えが良い。セシリアもそうだが、元々賢いしやればできる子達なのだ。
飼い主として鼻が高いぞ。
「じゃあセシリアとカタリーナは俺の妻ということで。さっそくこれも書いちゃおっか」
「こ、れは……」
「そ。ご存知、ウクセンシェーナの家系図ね」
装飾が施された羊皮紙のスクロール。五百年以上前に製作された、非常に古いものだ。
そのスクロールがキングサイズのベッドの上を転がり、カタリーナの前で開いて止まった。
ウクセンシェーナ家系図。
偉大な初代当主から二十三代ほど。脈々と繋がりしは、バルト帝国時代。三十年戦争。ナポレオン戦争。第一次、二次世界大戦も経験した由緒正しい家系。その記録原本。世に出せば国宝級の品だ。
その嫡流。最先端にはセシリアと、その母カタリーナ、前夫の名前が並んでいる。
そこに――
「さ、どうぞ。ご当主自ら、お書きください」
「う、う、うむ」
カタリーナを四つん這いにさせて、ペンを握らせる。『契約の権能』の魔力を帯びた、極めて拘束力の高い羽ペン。
このペン先をセシリアの隣の空白に。
「まずは俺の名前な。気持ち大きめに。セシリアの夫は?」
「扶桑……景一郎様……っ」
「よし。線で結んで。濃くね」
「我が娘セシリアの夫、と認める……!」
「次は?」
「次、次は……。だが、この線を書いたら本当に言い訳出来ない! 後世の歴史家に、わ、笑われてしまう!」
「ふーん。俺よりも自分の見栄のほうが大事なんだ」
さすさす、さすさす
っとカタリーナの頭部を撫でる。銀髪を一撫でするたびに、カタリーナの抵抗力は削ぎ落とされていった。
上気し切った顔で、ギリギリと歯を食いしばり、ドロドロの感情に耐えている。持ち前の精神力の底力を見たぜ。
が、手遅れっぽい。
「う、う、駄目だ! ご、ご先祖様、前夫、ごめんなさい! もう駄目です!♥」
「おおっ? 三秒? 陥ちるの早くね?」
「この男っ! 相性が良すぎる!♥ 髪を撫でられるだけで無理! 遺伝子も、夜も、権能も!♥ 全部、全部勝てないっ……ごめんなさい乗っ取られます! 我が血筋はこの男に弱すぎる! ウクセンシェーナは、本日をもって、私の代で、この男に全部簒奪されます!♥ 認めます!」
「おー、ご当主の宣言。お見事でした」
パチパチ
俺に褒められながら、完全降伏したカタリーナは線を書き足す。
前の夫とは反対方向に。濃く、ずっと濃く。娘婿と自分を線でつなぐ。
「まだまだスペースあるからな。ここには何を書く予定何だっけ?」
「ここはっ、私の孫っ♥ それとこっちは、孫よりも若い実子♥ の名前を、書く予定です! キッチリ誕生日を書くので、バレます! 後世に順番滅茶苦茶なこと、全部バレちゃいます!♥♥」
「そっか。カタリーナの下品な本性が後世に伝わって、よかったなあ」
よかったなあと思いました。
――
ウクセンシェーナ家系図(抜粋):
┌―――――┬ 二十三代・カタリーナ ―┬ (前夫)
扶桑景一郎- │――――┬―― 二十四代・セシリア
? 二十五代・?