第三十四話
崩落したウクセンシェーナ城の天守。
大穴ダンジョンのかなり深くまで落ちてしまったらしい。
その瓦礫に巻き込まれながら、俺はカタリーナを必死に庇って抱きしめていた。
落ちて。落ちて。
落ちまくった先。
「ご無事ですか、カタリーナ様」
「う、うむ。傷はない。よくやったぞ、下郎」
「はい」
俺達はなんとか着地に成功していた。
ぶっちゃけ成功はしていないんだけど……。何度も壁に叩きつけられながらの減速、そして最後にはカタリーナを目いっぱい掲げながらの着地。うまいこと俺の肉と骨の犠牲で衝撃を緩和できた。腰まで骨が全部粉々になったわ。
褒めて遣わす。
と、カタリーナに功績を認められたのはいいが。
「挟まっちゃいましたね」
「ああ、脱出しようにもな」
「んー、物理的には無理です。魔法でなんとかなりませんかね」
「このダンジョン壁面の魔法石が崩れていて、難しそうだ」
「そうなんスか?」
「我がウクセンシェーナの転送魔法は、このダンジョン由来のものだ。同質の魔法石がランダムに降っていると、転送も不安定になる。最悪、もっと地下まで飛ばされる」
パラパラと砂や小石が跳ねる音が響いている。たしかに周囲の壁は危険なほどに魔力を帯びて輝いている。
なるほど。
それは困ったな。
さっきからカタリーナの吐息が俺の口にかかる。
甘く、果物のような瑞々しい吐息。彼女の顔を覆っていたヴェールも、落下の衝撃で外れてしまった。最愛の女性とよく似た、美しい義母の顔が目の前にある。
鼻先は触れ合うほど。
俺達は落下の勢いで、向かい合ったまま抱き合った状態で倒れ、その上には大量の岩や瓦礫。挟まってしまった。
俺の全身が上から、カタリーナの全身に押し当たる形で。二人とも身動きが出来ない。
幸い潰れない程度に空間はあるが。
「んっ。そっちに、ぬ、抜け出せそうか」
「ええっと。よいしょ」
「……」
「足の方には無理です。頭の方になら――」
「きゃっ」
軽く前後に動いてみた。
つま先側はさらに狭くなるので進めない。諦めて元に戻ったところで、かすかにカタリーナの鳴き声が聞こえた。
ちょうど俺の腰がカタリーナの腰に重なる。驚いて声を上げてしまったのだろう。
少女のように可愛かったのは、カタリーナの尊厳の為に気付かなかったことにした。
あと、すり合ったことでローブが大きくめくれてしまったことも、気付かなかったことにした。
「まぁ。その、なんだ。もうしばらくこのままでいれば、いずれ崩落の余波も収まる」
「はぁ、もうしばらく」
「そうすれば、転送魔法も解禁だ。脱出できるであろう」
「なるほど。了解ス」
体を絡めたまま、このまましばらく。
腰と腰、腹と腹、胸と胸板を、ぴったりと張り合わせ。口と口の間を一センチだけ離したまま。
このまま、しばらく。
絶世の未亡人と。
耐えられるだろうか。
女は完熟するとこんなに柔らかくなるのか。カタリーナのふにふにとした腹の感触や、鼓動が直に伝わってくる。かなり速いテンポだ。俺の鼓動だけではない。
もぞもぞ
と脱出のために動くたびに。互いの体が軽くこすれ合う。口も何度か触れているのは、気のせいじゃなさそうだ。
カタリーナの深海色の目がうっとりと湿っている。
「あ、すみません。こっちに抜けられるかもなんで、ちょっと動きます」
「ん」
「あれ、駄目だな。ご当主、ちょっと脚広げられます? 隙間作れるかな」
「ん」
「うーん。ちょっと厳しいか。もう少し色々動いてみます」
「ん」
まずい。これはぜんぜん脱出できません。
まいったな~~~~。
脱出したくない。この女、娘に負けず劣らずな身体のボリュームだ。もう二十四時間ほどこのままでいいじゃん。
そう思っていたところに、突如――
ポン!
と注意を引く音が鳴った。着信音。魔法を使ったコミュニケーション技術だ。ディスプレイの代わりに空間に投影できる、より便利なビデオ通話みたいなものだ。
俺と口を触れ合わせていたカタリーナは、慌ててそれに応答した。
「む。セ、セシリアか」
『母様! ご無事でしたか……!』
「うん。敵襲で天守が崩落した。が、なんとか着地できた。敵も全て倒したし、問題ない。そちらは無事か」
『ええ。既に敵の転送経路は塞ぎました。ウクセンシェーナ城、城下町全域、安全を確保。……あら、母様。映像が映らないようで……?』
「あ、ああ。これは、だな」
カタリーナが慌てた様子で言い訳をしていた。
ダンジョン壁面が崩落して通信状態が悪いとか、転送魔法がジャミング状態にあるとか。
本当のこと。つまり娘婿と抱き合っているとは言えないし、映せないだろう。
『ところで母様。私の夫、景一郎はいますか?』
「む。むう。いっしょに落ちたようだが、わからん。どこか行った」
『そうですか。よかった』
「良いのか? 行方不明で」
『まぁ、どうせペチャンコになっても還ってくる男なので』
事実だけどさ。妻に嫌な信頼のされ方してる。
回復するとはいえ、ペチャンコになるのはOKなんですかね……。
『それよりも! よかったというのは、母様の身が危ないからです』
「なに?」
『会見の際は注意していましたが、あの男の一メートル以内に近づくのは非常に、非常に危険です!』
「えっ」
『あの男の先天的なフェロモンや、後天的な権能には女性をたぶらかす効果があります』
「……一メートル以内?」
一メートル以内かぁ。
それは気を付けないとな、カタリーナ。いまは概算でゼロミリメートルだから、あと一メートルは離れないとまずいと思うぞ。
とりあえずローブがめくれて大変だ。俺は紳士なので、全部めくっておこう。
『これが、アリーシャに出させた解析結果です。データ、見えていますか?』
「あ、ああ。アリーシャ。分家の娘か。たしか遺伝子工学の」
『そうです。このデータが示している通り。あ奴の側に長時間いると、取り込まれてしまいます。女性にとっての天敵です。しかも根が女好き』
「む」
『我々ヴァルキュリャ隊もやられました。全滅しました』
そういってセシリアが渡してきたデータ。
伴侶の血筋の百パーセント強化とか、そういうのだっけ。あんまり自覚はないんだけど。女性にとっては結構好ましい特徴らしい。
そのデータを見ていたカタリーナの喉が、
こくん
と音を立てたのを、喉に口づけを添えていた俺は気付いた。
「う、うむ。わかった。気を付ける」
『それと、母様。あの男の体液を一滴でも取り込むのも危険です。伝説上の最上位吸血鬼のような術です。権能によって全身を一気に乗っ取られてしまうので、汗などに十分気を付けてください』
「わ、わ、かっ、た」
『まぁ、母様の実力ならあの雑魚に後れを取るとは思えませんが。不意は突かれないように』
「うむ」
すでに手遅れ。
俺の意思で動かせるようになっているので、舌が回らず発音が大変そうだ。
カタリーナの呼吸や脈拍が荒くなる。さきほど「こくん」と呑み込んだのが、速い脈拍で全身に循環していくのが把握できた。
血管。リンパ管。神経系。そして脳幹。
カタリーナの全身を掌握していくのを感じる。もぞもぞと腹のあたりに熱がたまっている。
「とっ、ところでセシリア」
『はい』
「救助はいつ頃になりそうか。どうもダンジョンの崩落で、ひっ♥ う、うまく転送魔法が効かなくてな」
『そうですか……。旧式の採掘路を通ります。恐らく、早くても五時間はかかるかと』
「五時間!? そんな。ま、マズイ……長すぎ――あ♥ 通信、が、途切れそうだ! また、後でっ♥」
『? 母さ――』
ピッ
とカタリーナは空中に浮かんだ画面を払って、通信魔法を遮断した。
崩落の余波ということで誤魔化すことにしたらしい。娘にキス以上は聞かせられないからな。
「ぶ、無礼者! 勝手に何を、そ、そう簡単に許すつもりは――っ♥」
「はいはい、観念してくださいね、ご当主。さっきの聞いていたでしょ」
「う!♥ こっ、これが……セシリアやヴァルキュリャ隊を堕とした魅了……! なるほど、強力なようだっ」
「A+ランクの権能者でも逆らえないっぽいんですよね。全部乗っ取っちゃうの確定なんで、もうどうしようもないですよ」
「確かにっ。新ソから助けてくれたのは、カッコ良くて惚れそうになったけどっ♥」
「はーい、楽にして岩のシミでも数えていてください」
「だっ、だが!」
キッ
とカタリーナはこちらに眼光を飛ばしてきた。
「私は北欧の要石たるウクセンシェーナの二十三代当主! 平民出の男なんぞに、決して屈したりはせぬ!」
「そーなんだ」
いいだろう。どっちが上でどっちが下に居るべきか、救助が来るまでじっくりと決めるとしよう。
……
…………
………………
五時間後。
一人娘の懸命な救助作業によって、カタリーナ・ウクセンシェーナは無事地上に戻った。
心配して集まってきた腹心、家臣たち。それを前にして品位を保ち、
「新ソ連の襲撃は失敗した」
と宣言。強硬な反撃をすることも命じた。
まさに威風堂々。
当主の無事に安心し、早速の反撃方針を議論しはじめる腹心たち。雰囲気が張り詰めている。
しかし当主本人といえば。
ローブの下。
厚手のローブを貫通しそうなくらい強く輝く愛の刻印を、どうにかバレないようにするのに必死だった。
――
【 購入済 】
●カタリーナ・ウクセンシェーナ(35)
182cm 65kg
101-62-97
IQ:180
権能:『契約の』 A+ランク
専攻:ルーン魔術(博士号)
備考:
グループ総資産三百兆クローナ(≒四千兆円)。保有株式は五十パーセント。
運営ダンジョン総数は一万を超え、五百年以上の歴史を誇るウクセンシェーナ・グループの第二十三代当主。
前夫とは十五年ほど前に死別。死因は非公開だが、新ソ連との暗闘の末。以来一人でグループの屋台骨を支える女傑。