第三十話
セシリアと一緒に彼女の実家へ。
最後の関所を越えてさらに三十分ほど進むと、ようやく家? が見えてきた。
いや、巨城が見えてきた。
「家……? じゃないでしょこれは」
「? 私の実家ですが」
「これは城って言うでしょ」
不思議そうにセシリアは小首をかしげているが、不思議なのは君の実家だよ。
左右を見ると、城壁が視界の消失点まで続いている。デカすぎる。
鐘楼、尖塔群が数えきれないくらい並び、その建築様式を見てみると世代はバラバラだ。中央から増築を繰り返しているのが分かる。
次々と砦や門を追加しているのだ。美術品じゃない。中世から近世にかけて、実際に戦火にも耐えた伝統ある城なのだ。
その中央構造物、いわゆる天守に近づくと、さらに異質なことに気付いた。
「これは、城の内堀……?」
「いいえ。ダンジョンです」
「ダンジョン? これ全部が?」
「ええ。入り口です」
セシリアは慣れているようだが、俺はビビって後ずさった。
この巨大な穴が、ゆうに直径三百メートルはあろうかという穴が。中を覗くと、底が全く見えないこの穴が。
「ダンジョンの入り口だって?」
「奥底に居たAランクダンジョンボスの邪竜は、何世代も前に調伏しているの。なので掘り放題です」
「ははあ。すげえ」
ウクセンシェーナ家が保有する最大のダンジョンは、一万年掘り続けても資源が尽きないという。
文字通り無尽蔵なダンジョン。底の方が魔力を帯びてぼんやり紫色に輝いている。
入り口だけでこうも巨大なのか……。
(ご先祖、デカさで負けているぞ!)
脳裏に能天気なイザナギ女神が浮かんだ。酒飲んどる場合か。
俺が保有しているあのSランクダンジョンは、バカみたいに高難易度な割に入り口が寂れているからな。今度掃除に行ってやるか。
そしてその巨大な穴を塞ぐように。侵入者の出入りを封じるように、城の中央構造物が浮いている。
これ一つでも城と言えるサイズの建物が、四本の鎖で吊るされているのだ。
「え、君の家、浮いてるの?」
「ええ、それが何か?」
「……あんまり普通ではないよね……」
浮遊魔法でも支えているので絶対落ちないらしいが。若干高所恐怖症な俺は、こんなところ一刻も早く逃げ出したかった。
逃げよう。
あ駄目だ。素早く首輪を掛けられてしまった。
「ほら、呆けていないで行きますよ」
「セシリアさァん……、俺さ、あんまり高い所が得意じゃなくてェ……」
「いいから。さっさと進みなさい」
「げぇ」
犬のように。首を引きずられながらの、妻の実家訪問。
そんな間抜けな男が人類史上存在しただろうか。
……
…………
………………
カタリーナ・ウクセンシェーナ。
北ヨーロッパの支配者。ウクセンシェーナ家の現当主にして、セシリアの実母。亡き夫の代わりに、北欧の軍事・経済・魔法開発の一切を取り仕切る傑物。
最強の魔女の系譜。
そんな御方に一睨みされると、思わず跪かずにはいられなかった。
土下座が慣れている俺は気付いた。良い絨毯使っていやがる。膝の沈みがググッとね。深い。
間抜けな土下座状態の俺を脇に置いて、ウクセンシェーナ親子が話し合っている。
ピリピリとした雰囲気だ。どちらも機嫌がよくない。
家族の話ということで、衛兵などは排されている。石造りの大広間で三人。
内訳は斬首を待つ罪人のように跪く俺と、指先ひとつで俺の首を落とせる天上人が二人だ。
「それで。今日は婚約者を紹介してくれるのだな? セシリア」
「ええ、母様」
「まだ来ていないようだが、いつになるのだ?」
「もう来ています。こちらに」
そう言って紹介されたところで、跪きながら顔を上げた。
目が合った。
玉座に座るのは一瞬セシリアかと錯覚した。
確かに親子、よく似ている。プラチナブロンドは娘よりもさらに色素が薄く、完全な銀色。
瞳の色は違うな。灰色ではない。深い深い、深海のように昏い碧眼。
顔立ちはかなり若いように見える。
(マジ? これで三十五歳?)
大まかなプロフィールは前もって聞いていた。が、二十代前半でも違和感はない。
装いはまさに魔法使い然とした漆黒のローブ。目元を覆い、表情を悟らせない半透明のヴェール。
濃いヴェールに覆われても、美貌やカリスマ性は伝わってくる。
とんでもない美人だ。
個人的な採点だが、微かに紺色がかった口紅が、めっちゃエッチでいいと思いますよ。
「フ……。冗談であろう。セシリア。私はお前を、猿を恋人に選ぶよう育てた覚えはない」
「母様! 私の夫に失礼でしょう」
「セシリア、お前にはもっと優れた許嫁候補がたくさん居る。それから選びなさい」
第一印象、最悪!w
完全に問題外の扱いをされてしまった。
なのにあまり苛立たないのは……このおばさんが、最愛の女性に似ているからだろうか。
ルックスはド好みである。熟しているこっちも、これはこれでアリ――
「そこのお猿さん」
「へいっ」
しまった。
うっかりセシリアと接するように対応してしまった。へいって。
土下座しながらへいって。丁稚根性ここにあり。
だってこの二人、本当によく似ている。女王様が二人に増えたと錯覚しそうだ。
ちなみにお気づきだろうか。ここでようやく俺の初発言だ。発言権の無さがヤバイ。
「幾ら欲しい? 金なら払おう。ただしセシリアと別れ、以後近づかないように。これにサインを」
「は、はぁ」
「三億クローナ(≒三~四十億円)程度でよかろう。庶民には一生遊べる金額だ」
そう言ってカタリーナは、
すいっ
と杖を操作して、紙切れを一枚出現させた。
速い。
それになんて静かで、完成された瞬間移動だ。セシリア並み。いやそれ以上の熟達した魔法使い。
一所作でその実力は把握できる。
そして出現した紙切れは、妙に存在感のある魔力を放っている。どす黒いオーラ。これ敵役が放つヤツだろ……。
本能が告げている。考え無しに触ってはいけない。
「景一郎?」
「へいっ、セシリアさん」
「気軽にサインしないように。母様の権能は、『契約の権能』」
「ほほう」
「義務、拘束力を発生させる魔法で最上位のもの。過去・未来にわたって絶対に覆せない、極めて強力な契約書です」
「なるほど」
北欧の魔術体系で、契約か。恐らくケルトの契約がベースになっているな。
その中でも最上位。という事は、破ったら命を落とすくらい強烈なものだろう。
(娘と別れたら四十億円、か)
確かにそのように契約書には記されている。たった一枚の紙切れが発するのは、一生を確定させるほどの魔力。恐ろしい。
「気軽に、サイン、しないように」
「しないっての。大丈夫だよ、セシリアさん」
「……」
「そんなに睨むなよぉ……」
「わ、わ、私はっ。たしかに初対面では、あまり、いい印象が無い女でしたが、これから! これからどんどん、捧げます! 三億クローナは安すぎる!」
「額の問題じゃないよ。大丈夫」
チラチラと横目で監視しなくても大丈夫だって。
変なとこで自己評価低いよね、君。
セシリアが涙を浮かべ、心底不安そうにペンを没収して睨んでくるので、安心させるために契約書を燃やしてあげた。
――
『契約の権能』:カタリーナ・ウクセンシェーナの権能。拘束力は極めて高く、この権能を駆使して他の有力家系を制圧。ウクセンシェーナ家は全盛期を迎えている。