第二話
セシリア・ウクセンシェーナ。
十九歳。ウクセンシェーナ・グループ本家の次期当主。
基礎物理、金融、魔術の博士号を修了。
スウェーデンの射撃五輪選手にも選ばれたことあり。ついでに金メダリスト。
そんな化け物プロフィールを後で知ったが、そんなこと知らずとも自分との格の違いははっきりと分かった。
大きく、美しく、そして鋭い双眸が俺に向けられる。それだけで全身が金縛りにあった。かわいい。体温が一気に高まるのがわかる。
「あなたが扶桑サン、ですカ?」
「は、はい。そでしゅ」
舌が回らない。かろうじてつばを飲み込んだが、喉は自分のものとは思えないほど乾燥していた。
「私、あなたが担当しているダンジョンいきたいデスネ」
「うぇあい! やったー! 喜んでー!」
「ちょ……! ちょっとまって下さいよ、セシリアさーん」
俺は言われるまでもなく起立、直立不動。
幸運にこらえきれずバンザイ。
そんな俺にセシリアは微笑んでくれた。セシリアが首をかしげると、同じ方向についこちらもかしげざるを得ない。思わず頬がゆるむ。かわいい。
が、本社所属の男性社員は、煙たそうに俺の肩を押しのけた。
「はぁ、派遣はあっち行ってろ」
「ぐぇぁ」
「セシリアさん。彼が担当しているダンジョンはまったくの望みなし。クズダンジョンです」
「ク、ズ?」
「掘っても意味がない。掘るコストのほうが成果物より大きい。彼の役割はただの保全です。一般人が踏み入って怪我するのを防ぐのが仕事」
派遣ではないぞ。正確には。
派遣会社を通して雇われていたが、数年前に直接契約へ切り替わった。契約社員である。
給料は雀の涙ほどしか増えないが、交通費は出るし福利厚生はちょっとだけマシに――……やめよう。むなしい。本社連中とはずいぶんな待遇差がある。
「事前調査でまったく望みがないことが判明しています。ダンジョンとは名ばかりで、ただの洞穴ですよ」
「でも私、日本で初めてなので。できるだけ簡単なのが良いのデス」
「とは言ってもねぇ。派遣には任せられないし……。じゃ、じゃあ。僕が同行しましょう」
「いや俺が!」
「俺のほうが!」
男性社員たちが寄ってたかって立候補する。次々に手が挙がり、聞かれてもいないのに自分の実績をまくしたてる。
しかしセシリアはあくまで俺を選んでくれた。
「デモ、デモ、このダンジョンに慣れてる人がいいデス……ね?」
セシリアは可愛らしく首をかしげた。上目遣いで見つめてくる。
え。この子俺のこと好きじゃね?
どうしよう。一応ハネムーンと新居までシミュレートしたが、貯金足りない。安月給なもので。でも式はハワイがいいならそうするよ。
男性社員たちの嫉妬の目線が突き刺さる。『なんでこいつが』全員の顔に書いてある。
けれどそんなのまったく気にならなかった。
セシリアに選ばれた!
セシリアに選ばれたッ!
教育担当として、いまから俺がダンジョン攻略ノウハウを教えることになる。俺の人生における最高潮という確信がある。
だからこの後の本社からの警告も、あまり大それたこととは受け止めなかった。
「彼女の髪の毛一本傷つけてみろ、派遣」
「あの、派遣社員ではなく契約――」
「クビじゃ済まないぞ。億単位の賠償。国際問題。あっという間にブタ箱行きだ。覚悟しておけ」
「は、はあ……」
……
…………
…………………
そんな一悶着を終えて、俺は社有車のハンドルを握っている。
後部座席にはセシリア一人。
ついバックミラーで覗いてしまう。凄い。ボロい社用車なのに、後部座席だけ貴族のソファみたいな佇まいだ。美術館で見る肖像画を連想させる。
そんなセシリアは道中、珍しそうに郊外の風景を眺めていた。
「あと三十分くらいで到着です」
「ハイ。アリガト、扶桑さん」
ミラーごしに微笑みを返される。好き。かわいい。安全運転にとって天敵すぎる。
だって後方車に集中できないもの。……ん? 俺はミラーでその後方車の不審な動きに気づいた。
とっさにハンドルを左に切る。
「考えすぎかもしれないが……。別ルートにしておくか」
「扶桑サン?」
「はい」
「ここをまた左デスか? 戻ってしまいますよ」
「ええ」
さっきも左折を一回した。二回目の左折。
「ちょっと後ろの車が気になりましてね。フロントスモークだし、このあたりのナンバーじゃない。一つ前の左折も動きがおかしかった。急にこちらの左折に合わせた感じがしました」
「…………へえ……?」
尾行されているかもしれない。
ダンジョンとは採掘物の宝庫だ。狙っている同業他社は多い。権益確保のために、暴力じみた脅しも珍しくない。
Eランクダンジョンでお生憎様だが、一応まいておこう。俺たちが二回目の左折をすると流石に付いてくることはなかった。
「ふう。気にし過ぎかな。さて、後少しです」
「ハイ。扶桑サン、頼もしいデス。カッコいい!」
両手のひらを合わせて微笑むセシリア。お姫様のナイト役に抜擢されたみたいで、俺はとても気分が良かった。
……
…………
………………
三十分後。所定の手順を終えてダンジョンの入口を開放する。
「これは我が社の最新鋭セキュリティでして」
「ふム、ふム」
一見すると本当に小さい、風化しかけの洞窟。目印らしい目印もない。森の中にある小さな自然の横穴だ。
ま、Eランクダンジョンなんてこんなモンだけど。
そこに魔術的なセキュリティが備わって、部外者をシャットアウトしている。
感心してダンジョンの入口を見て回るセシリア。
そんな彼女に、俺は自慢げに説明した。じっと聞き入ってくれるので、説明に熱が入る。セシリアはとても聞き上手だ。
「よくわからんのですが、魔術的にカッチリと遮断しているのです。中からモンスターが湧き出てくることも、部外者が入ることも不可能。入口も隠しています」
「なるホド」
「で、生体認証で解除……っと。責任の明確化のため、ルール上俺しか入れません」
「オォ、開きマシタ」
ガチャン
と重厚な解錠音が響く。
踏み入れる先は日常から隔絶された異界。ダンジョン。
内部には凶悪なモンスターが蠢く。その一方、採掘物には世界レベルでも貴重なものがある。
だから出入りも油断できない。誰が狙っているかわからないのだ。俺は社のダンジョン攻略マニュアルに従い、周囲を警戒する。
異常なし。
「さ、どうぞ。あとから付いてきてくださいね」
「はい、怖いデス。扶桑サン、先に行ってくだサい」
「任せて!」
流石に危地でレディファーストとはいかない。セシリアに先立ってダンジョンに足を踏み入れる。
暗い。光量が確保されていない。か弱いセシリアなら、怖がって当然かも知れない。
こい、モンスターども。
ナイト役として、セシリア様には指一本――
ポカリ!
「あんぐぁ!? ぎゃふうん!」
殴られた。何か硬いものが後頭部に。
衝撃。
立っていられず、腹ばいに地面に倒れ込む。
顎も打った。視界に星と火花が散る。チカチカする視界は――……
石をそのへんに「ポイ」と放り捨てるセシリアをかろうじて映した。痛みとにじむ視界で、混乱に拍車がかかる。
「ご苦労さま。セキュリティを解除したら帰っていいわよ、ジャップ」
流暢な日本語だった。
先程までの舌足らずなイントネーションとはまったく違う。油断させるためにわざと下手に発音していたのだと、遅ればせながら俺は気づいた。
灰色の瞳と再び目があった。
とても冷たい視線だった。
――
ダンジョン・セキュリティ:ダンジョンから危険なモンスターが漏れだしたり、逆に産業スパイ・盗掘者が入り込むのを防ぐ仕組み。システムは絶対だがヒューマンハッキングの余地は残る。
紆余曲折ありますが、バッチリハッピーエンドです。本当です。