第十六話
『アメリカ政府は本日、あらためて声明を発表しました』
『先日入手した瞬間移動技術に、いくつかの技術的な課題があることが判明』
『アメリカ政府としては引き続き技術開発を支援するとともに、特定の国による魔術の独占に不満を表明しました』
『加藤教授。アメリカとしては痛恨の前言撤回ですが、これはどういった背景が――』
ある日の夜。
仕事帰り。
ラーメン屋の店長が暇そうな顔で、テレビのチャンネルを変えた。目当ての番組がほかにあるらしい。
庶民にとっても『瞬間移動技術』とやらはホットな話題だったが、生活に影響が無さそうと分かって急速に大衆の興味は薄れていった。いまは「島根にヤマタノオロチあらわる?!」の方が話題なくらいだ。おいおい平和か。
ずるずると豚骨ラーメンをすすり、スープまで平らげて俺は店を後にした。
「ごちそうさまでーす」
「あーい」
相変わらず抜群に美味い。
安月給には月に一度の贅沢だ。この健康を犠牲にした美味さは止められない。
のれんをくぐって帰路につく。
「はぁー、今日も残業~~……」
一人寂しく残業三昧。
そう、一人。
セシリアたちとはあれ以来会っていない。
なんだか知らんが、俺の入手した『超・瞬間移動』技術でやることが山積みらしい。挨拶もそこそこにスウェーデンに帰ってしまった。
結局は、庶民なんて利用するだけしてポイ捨てってことか。悲しい。
「……ん? あ、あれ。道間違えちゃった……」
若干涙目になったせいか、見覚えのない道に出てしまった。
おや、おかしいな。ラーメン屋から真っすぐ歩いてきて、一本曲がっただけなのに。
こっちからこう来て……うん、何度も歩いた道順だ。
自宅への道であっているはず。
「おん?」
見覚えがないというか。
何か殺風景じゃない?
もっと正確に言うなら、見覚えがある建物が全部無くなっている。まっさらな更地である。
「おんん?!」
ない。
コンビニも、牛丼屋も、公園も、喫茶店も。それどころか街路樹も、バス停も、信号も、ってか道路も。
俺の住むアパート、『ことぶき荘』の周辺の景色がまるっとなくなっている。
「?w??ww?wwwどゆこと」
幻術でも食らったかのような意味不明さだ。
朝出かけたときは確かにあった町並みが、何ブロックも丸ごと無い。
何度振り返っても、後ろは普段の通勤ルート。つまり俺は道を間違ったのではないのだ。町が変だよ?
「あら、扶桑さん。どうしたのこんなところで」
ぐるぐると行き先に迷って頭を抱えていると、『ことぶき荘』の大家さんが声をかけてくれた。
おばちゃん、何ですのその大荷物は。まるで引っ越しじゃありませんか。
「大家さん! こんばんは」
「はい、こんばんは。まぁ、どうしたの」
「え、ど、どうしたもこうしたも。大家さん! なんか、町無いっすよ!」
「ええそうよ。なんでも再開発の提案があって、凄く良い条件なものだからみんな立ち退いたでしょう。扶桑さんのところにも案内あったでしょう」
立ち退き? 再開発? そんな話聞いて――
「ないっすよ!」
「えぇ? 扶桑さんは承諾しているから、アパート取り壊して構わないって、代理人の女性が書類持ってきましたよ」
「……代理人の女性?」
「ええ。あれ、もしかして彼女さん? ずいぶん綺麗な外人さんねぇ。扶桑さん、優しいからいい人が見つかって良かったわぁ」
そう言って、呑気そうに大家さんは去っていく。
立ち退きの条件に破格の金をもらったので、生活の心配はないとのこと。これから孫たちと旅行にでも行くらしい。楽しそうだね。
こちとら宿が無くなる一大事だ。
路頭に迷うどころかその路頭がない。一キロメートルは駆けただろうか。駆け足でアパートあたりに近づけば近づくほど、ただの真っ平な空き地と化していく。
いや、一か所だけ残っている部分があった。
「あった……我が家……」
『ことぶき荘』。
その外階段部分と、俺の部屋だけがポツンと。
他の部屋は全部怪獣にでも踏みつぶされたかのようになくなり、絶妙なバランスで俺の部屋だけ残っている。
怖い怖い怖い怖い。
戻ろうかとも思ったが。
(いや帰るってどこに?)
というそもそもの自問もあり、俺は帰宅(?)をすることにした。外階段を上り、そっと玄関を開ける。
いつもの自宅だ。
なんだか感覚がおかしくなりそうだ。扉を開けたら我が家で、振り返ったら岩石砂漠みたいな景色だ。
俺は現実逃避しながら部屋に入った。鍵かけて布団にくるまっていれば、明日には元通りになってくんねぇかな。
ふらふらと部屋に進んだ俺の足元に、黒いフワフワが転がって来た。
「ナァゴ」
「コ、コタツ……お前は無事だったか」
「ごうぅうる゛る゛る゛る゛」
おお可哀想に、我が友よ。
震えているじゃないか。この辺一帯を一日で更地にする凄まじい造成工事。その騒音と振動は、猫には厳しかっただろう。
「ほいほい。もう大丈夫だ」
「ナァ゛!」
「落ち着け落ち着け」
抱きかかえてやっても、コタツはばたばたと暴れて逃げたそうとする。まるで何かに怯えているように。
「う゛う゛う゛、逃げろ、景一郎よ」
「何があった!?」
「奇妙な連中だった! 君の枕やバスタオルや歯ブラシなどを、根こそぎ持って行った」
「なんそれ」
「異常な迫力と眼光だった。素早いし、銃も杖も持っていた。私は留守を引き受けた身として果敢に戦おうとしたが、一旦戦略的に戸棚の隙間で伏せたところで、睡魔が襲ってきたので英気を養っていたところだ。気付いたら奴らは居なかった」
それ怖くて隠れて昼寝しただけじゃん。
「だが『春眠の権能』で予言を見た。奴らはまた来るぞ!」
「!」
「危険だ。逃げろ、景一郎――ナ゛ァ゛!」
ガチャリ
と玄関扉が開いた。
ぴょいん!
とコタツは見たことない俊敏さで跳びはねた。
おかしいな。鍵をかけたはずだが。
そこに立っていたのは――
「こんばんは。扶桑景一郎」
セシリア・ウクセンシェーナ、俺の想い人だった。
まずさぁ……言わせてもらうけど。
怖い。
どんな登場の仕方してんのよ。彫刻みたいに立体的な顔だから、コントラストバキバキで怖いんだって。
この庶民ワンルームのアパートには似つかわしくない、圧倒的な美貌。
長身のスタイルにとっては手狭そうな玄関をくぐり、セシリアは部屋に入って来た。
「こ、こ、こんばんは。え? えンん?」
「ふぅ。何度見ても小汚い部屋。掃除くらいしたらどうですか」
「あ、あ、あえ? セシリアさんって、国に帰ったんじゃ? あと、鍵かけてませんでしたっけ」
「合い鍵あるに決まっているでしょう」
「そっかぁ」
そうか?
なんか憲法で定められているみたいな感じだったけど。
いうほど決まってたっけ。
あと何度見ても? いや、君ここに来たの初めてでしょ。初めてだよね? ……え違う?
「ぐぉうぉう……景一郎よ、助けてくれ」
「コタツァ! 放してやってくれぇ! 友達なんだぁ!」
「あら、喋るのねこの猫。変わっていますね」
愛猫が首根っこをセシリアに捕まれ、観念している。一瞬で力の差を理解したか。気持ちは分かるぞ。
「で、国に帰ったのではないか、でしたっけ。ええ帰りました。グループの立て直しが必要でしたので」
「そ、それなのにどうしてここに?」
「数日あれば立て直しなんて終わります。私、ぶっちぎりで優秀ですから。そして次の目的のためにまた日本に来たのです」
「目的……って?」
「はぁ……。相変わらず愚鈍で、理解が遅いですね。ここに住むために決まっているでしょう」
「そっかぁ」
そうか?
いうほど決まってたっけ。
パチン
とセシリアが指を鳴らす。
次の瞬間。
轟音を立てて凄まじい質量の『瞬間移動』が始まった。
コタツが恐怖で暴れ、俺があやしている間も音は連続していく。
セシリアの背後、開きっぱなしになっている玄関扉から見える景色はこの世のものとは思えない。
ゴジラが町を壊すのと丁度きっちり反対。次々に建物が建造されていき、しかもそれはセシリア好みの伝統的なスウェーデン建築様式。赤や白亜、黒のレンガ作りの建物があっという間に出来上がっていく。
「地震が多いようなので、その再設計に少々手間取りました」
「わ……わ……あわわのわァ……」
「四方を縦横二キロメートルほど買い取りましたが、まぁ別荘としては小規模でいいでしょう」
こうして俺の住まいはウクセンシェーナ・グループによって完全に接収された。
――
転送建築:ウクセンシェーナ・グループが保有する『瞬間移動』技術を応用した大規模建造物の移動。歴史的建造物の保護や僻地での建造、戦場では野戦築城と応用の幅は広い。