1 悪役令嬢、悪役令嬢になる。
私、ことマルグリット・ルブローデは、家に帰るところだった。
窓の外は牧歌的な風景が流れ、馬車に並走している護衛騎士のフォルッツも馬上であくびを噛み殺している。
目と鼻の先に国境があるとは言え、ここ数年は平和だ。
隣国が仕掛けてくることもないし、賊が入り込むこともない。
野犬も野クマも出没しない。
なによりこの国は〝勇者が降臨し土地〟。向かうところ敵なしとばかりに暴れまわっていた隣国との諍いを鎮めた勇者が存命している間は、何処も我が国を攻撃しては来ないだろう、と言われている。
「……退屈ね」
小さくあくびをひとつ。
このあくびがフォルッツから伝染ったものではないにせよ、世界は平和で退屈だ。
けれど私も勇者のように華々しく活躍したい、などとは思わない。
人々の気が緩んでいる今この時にも悪は暗躍しているのだ、と陰謀論を展開する気もない。
平和、大いに結構。
物語にもなりそうなイベントは私が描いてきた人生設計にも支障をきたす。
大抵の場合いい思いをするのは主人公だけで、その他大勢は戦争特需の陰で発生した物価高だの物資不足だの世界情勢の変化だのに巻き込まれ、人生設計のランクダウンを余儀なくされるだけなのだ。
今がどれだけ退屈でも、長い目で見れば平穏が一番。それに尽きる。
そうそう。退屈と言えば、今日呼ばれたバルトガー侯爵令嬢コーネリア主催のお茶会もあくびが出るほど退屈だった。
彼女は領地が隣同士(とは言え、ルブローデの隣にあるのは数あるバルトガー侯爵領の中のひとつでしかないのだが)、しかも同い年と言うことで幼い頃から懇意にさせて頂いている。
そう。させて頂いている。
彼女との交流はあくまで家同士の繋がりの一環。乙女趣味で陽キャな侯爵令嬢と陰キャ引き籠り辺境伯令嬢の間に友情は湧かない……はずなのに、何故か腐れ縁が続いているのはこれ如何に!? と考えるのは脳の無駄。
家としても私個人としても筆頭侯爵家&侯爵令嬢と繋がりがあるのは利点のほうが多いし、何より向こうが縁を切らないのにこちらから切る必要があるはずもなく。
なのでこうしてお呼ばれを受けるたびに遥々赴いている、と言うわけだ。
で、話を戻すとして。
今日のお茶会の話題はコーネリアが王都に最近できたばかりのドールの専門店に行った、と言う話に終始した。
ドール、とは着せ替え人形の高級版と言ったところだろうか。
オーダーメイドで好みの造形を作ることもできるらしく、娘の誕生日に娘の顔をした人形を、とか、亡くなった息子に似せて、など思わぬ需要があるらしい。
が、自分に似せた人形を名も知らぬ誰かが持っているかもしれない、なんて思うとぞっとする。
かわいがっているのならまだしも(とは言え、お風呂だ着替えだとやっているとしたら鳥肌モノなのだが)、釘を打たれている可能性もないわけではない。
他の令嬢たちも、そんなコーネリアの話に『素敵ね』だのと当たり障りのない賛辞を並べ立てていたが、本気で思っているかどうか。
私のように高級な藁人形扱いを想像した者だっているに違いない。
そんな内心を見透かされたのか、『退屈そうですこと。やはりマルグリット様は殿方にお生まれになったほうがよろしかったのではなくて?』と、コーネリアにはこの数年の間でも十回以上は耳にしている定番の煽り文句を言われてしまった。
しかしだ。
我が幼馴染なら、私が人形などに興味を持つかどうかくらいわかっているだろうに。
いや、わかっているからこその煽りなのか。貴族令嬢らしからぬ、と嘲笑うための。
だから、つい、『あら、昨今の殿方は人形を愛でる趣味がおありになりますの? さすがはコーネリア様、博学ですわ』と返してしまった。
あまりいい返し方とは言えない。我ながら及第点には程遠い。
女だから人形が好き、男だから違う、なんて何十年前の考えだろう。
まさに売り言葉に買い言葉。時代劇でも小説でも、悪役が自滅するのはおおかた脊髄反射の反論で墓穴を掘ったことに起因すると言うのに!
実際、男が人形を手にデレデレしている様など見たくはないが、それは個人の嗜好であって、『世の殿方は~』と主語を大にして言うものではない。
それでもいつもならそこから毒舌の応酬が繰り広げられるのに……今日はそれ以上の反撃が来なくて拍子抜けしてしまった。
もしかしたら体調が悪かったのかもしれない。思えば今日のコーネリアはおとなしいと言うか物静かと言うか、どうにも覇気がなかった。いつもなら時代劇の悪役よろしく派手に自滅してくれるものを!
食べすぎか飲みすぎか胃のもたれか、はたまた、何処かの誰かが彼女に見立てた人形に釘を打ち込んでいるのかは知らないが、もし今後私の体調が悪くなることがあったのなら、後者も検討材料に入れたほうが良いかもしれない。
姿かたちの酷似で効果が左右されるか否か。実に興味をそそる分野であることは確か。実際に入手して実験する価値はある。
形はフォルッツに似せればいいだろうか。
鍛えていることだし、釘程度で命がどうこうなることはないだろう──。
「憂鬱になるほどつまらないのなら出席されなければよろしかったのに」
考え込んでしまった私をどう捉えたのか、フォルッツはそんなことを言ってくる。
まさか自分に似せた人形で呪いの実験をしようと考えられているとは思うまい。
「あらフォルッツ。私の友情にひびを入れるつもり?」
「友情……があるんですか? あれに」
「あるわよ」
フォルッツの目には、私はコーネリアに罵倒されるために出向いているように見えるのだろう。
何故毎回、毎回、悪口を言われるとわかっていて招待を受けるのか?
家同士の付き合いが大事とは言え、空気の読めない陰キャ引き籠り令嬢には荷が重すぎやしないか?
逆鱗に触れてお家断絶にでもなったらどうしてくれる、と思っているであろうことは確かだ。
まぁ迎え撃つこちらは辺境伯家。最低でも相打ちにはできる。
言うでしょう? 毒食らわば皿まで、いや、一蓮托生だったかな? まぁとにかくこちら側だけが負け犬のレッテルを貼られる事態は避けてあげるわ!
私は窓越しのフォルッツに向けてぐっ、と親指を立てる。
第一、私はただ罵倒されるために赴いているのではない。
自滅させ、社交界から追放しようとか、そんな大それたことを考えているわけでもない。
長い年月をかけて私はコーネリアとの駆け引きを楽しむ境地にまで引き上げることに成功したのだ。
彼女の言葉にはいつも穴がある。
その穴に気付いて叩き返せば及第点。ぐぅの音もでないほど叩きのめせば満点。気付けなければ失格。
帰路では今日の出来を思い返し、新たな切り返しを練る──社交界と言う戦場に向けての舌戦のトレーニングと思えば決して無駄ではない。
それを、『出席しなければいい』?
長く私の傍にいて何を見ているのやら、としか言いようがない。
「退屈なんでしょう?」
「確かに今日は退屈だったわ。でも私、コーネリア様を手放す気はないのよ」
タダどころかお茶とお菓子まで用意して私のトレーニングに付き合って下さるのですもの。たまの不調は目を瞑って差し上げなくては。
言うなれば今日は王室御用達の菓子折りにたまたま混じっていた不良品、みたいなものよ。
「キャンキャン吠える様が小動物のようで可愛らしいと思わない?」
小さきものは美しい、とは誰の言だったか。
『殿方にお生まれになった方がよろしかった』私だが、最近になって令嬢が人形を愛でる理由が多少はわかって来た気がする。
これもひとえにコーネリアの(お茶会で多少は鍛えられた女子力の)おかげだろう。
そんな私をどう思ったのか。
フォルッツは息をひとつ吐くと眉を寄せた。
「コーネリア様もお気の毒に」
「何か言ったかしら」
「いいえー。毎回お嬢様に言い負かされるのにご招待を続けて下さるコーネリア様っていい人だなー、と」
家同士の付き合いなのは向こうも一緒。むしろ向こうは被害者、と思うことにしたようだ。
……貴方はどの家に仕えているのかしらと膝を突き詰めて問い質したい。
「私が毎回彼女を虐めているような言い方はよしてちょうだい」
「だってそうじゃないですか。何の利もないどころか害悪の塊みたいなお嬢様とこうして懇意に、」
「利はあるわよ」
私はふっ、と鼻で笑って見せる。
幼馴染みの私だけは知っている。
彼女はMなのだ。そしてM気質を喜ばせようとする行為は、傍目から見れば苛めているようにしか見えない。
他のご令嬢にはとても頼めない役回り。
しかし私は将来、父の跡を継ぎ、社交界からはきれいさっぱり足を洗って領地に引き籠る予定だから、ご令嬢がたからの評価など痛くもかゆくもない。
だからこそコーネリアは私にSの役割を押し付けて来るのだろう。
衆人環視のもとで苛められることにどれほどのカタルシスがあるのか私には皆目見当がつかないのだが、困った幼馴染みだ。
しかし唯一無二の存在としてあてにされていると思えば悪くはない。
「それにね、今日はクリストファー殿下がいらしゃるって言うのですもの。行かないわけにはいかないでしょう? 私は賑やかしの頭数よ、頭数」
「あー、クリストファー殿下ねー」
クリストファー殿下、とは此処ジークラム王国の第三王子のことだ。
マナー教育の賜物か、相手が幼女であろうと老婆であろうと姫を相手にするような所作のおかげで〝歩く令嬢キラー〟なんて異名まで付けられている。
外見も、初夏あたりの存在感の薄い太陽の煌めきを思わせる明るい金髪と、同じく初夏あたりの薄くもなく濃くもない青空を映した瞳。
筋肉が付いているようには見えないが、脱いだら凄いかも知れないプロポーション。
その上に乗る顔はもちろん可もなく不可もなく……と、どうにも私を通すと褒めているように聞こえないのだが、とにかくご令嬢がたの人気投票では不動の一位。それが彼だ。
余談だが、彼のマナー教師でもあるマクシミリアン様は「うちの馬鹿息子もクリストファー殿下のようになってほしい」と言う親御さんの間で引っ張りだこになっているのだとか。
彼がお茶会に顔を出したのは、ちょうどバルトガー侯爵領に視察にいらっしゃっていたから、であるらしい。
コーネリアが無理をおしてお茶会を開いたのも、誰も知らない王都の店を話題に出したのも、クリストファーをもてなすためだろう。
全く、令嬢の鑑じゃないか。幼馴染の頑張りに、私が欠席で水を差すわけにはいかない。
「あの人、根っからのスケコマ、いや、女性の扱いがお上手ですよねー」
「そうね。あのあしらい方は勉強になるわね」
そんなクリストファーも、コーネリアが話題にした店は知らないと言っていたのだが。
しかし受け答えは私とは天と地ほども違った。
『それは楽しそうだね』から始まり、コーネリアがその店で気に入ったのは何かを聞き、その見立てを褒め、『オーダーができるのは素晴らしいね。でもここにいる本物の花々の愛らしさには叶わないだろうけれど』といたずらっぽく笑う様まで計算したかのように完璧だった。
さすがは〝歩く令嬢キラー〟。
その場に居合わせたご令嬢がたが揃ってハートを撃ち抜かれたのは言うまでもない。
「あれは凄かったですねぇ。まるで魅了の魔法でもかけられたかってくらいに一瞬にして空気がピンクに染まりましたもんね」
「コーネリア様は卒倒してしまうし」
魅了に当てられたのか、無理がたたっただけなのか。
コーネリアが倒れたことでお茶会は早めにお開きとなった。
と言うわけで、まだ陽のあるうちにこうして帰路についている、と言うわけだ。
「でも参考になったわ。コーネリア様を毒舌以外でも喜ばせる方法ってあるのね」
「参考にするんですか? あれを? お嬢様が?」
「何か問題でも?」
「あー……いや、ええと」
小さく続いた『お嬢様が百合の世界に行きそうで怖いですよ』なんて意味不明なフォルッツの呟きに口を開きかけた矢先。
突然、馬がいなないた。
暴れる馬に、馬車が左右に揺れる。
「何ごと!」
「お嬢様! 何処かに捕まって! 馬車から放り出されます!」
御者が転がり落ちるのが見えた。
とっさに御者台に飛び移ったフォルッツが、手綱を引いて馬を鎮めようとしている。
御者はどうしたのだろう。振り落とされないように窓枠を押さえながら私は外に目を向ける。
その視界に、音もなく白いクマらしきぬいぐるみが下りて来た。
空から。
……空から?
あっけに取られる私の眼前で──窓の外で──クマは静止する。
腕を左右に伸ばし、足を真っ直ぐに延ばした十字架の形のクマが空中に浮いているのって冗談抜きで怖い。
しかも未だに馬車は右へ左へと蛇行しながら走っているのに、クマは窓の外の定位置から変わらない、とはこれ如何に。
呪いか?
幽霊の類か?
「ちょっ、フォルッ、」
「パンパカパーン! あなたは悪役令嬢になることが決定しましたー!」
忠実な護衛騎士を呼びかけたその時。
私の声を掻き消す能天気な声と共に、馬車は真っ白な光に包まれた。
なのに。
「──まるで魅了の魔法でもかけられたかってくらいに一瞬にして空気がピンクに染まりましたもんね」
「え?」
気がつくと馬車は普通に走っていた。
フォルッツが退屈そうに馬を並走させている。
夢だったのだろうか?
でもその台詞、少し前に一字一句同じものを聞いた覚えがあるのだが。
私の記憶が確かならば、その台詞の後、馬車を引いていた馬が暴れ出した。
フォルッツは御者台に飛び乗って馬を制止させようとし、私は御者はどうしたのだろうと外に目を向け、そうしたらクマが降ってきた。『悪役令嬢に決定した』と。
言うに事欠いて、初対面の私に悪役とは何様だ。
ただのぬいぐるみのくせに……いや、普通に考えて十字架ポーズで宙に浮かんだまま馬車に並走するのはただのぬいぐるみとは言わない。物の怪の類に違いない。
意表を突かれて何もできなかった己が口惜しい。
今度会ったらただでは済まさなくってよ!
と。意気込んでその時を待ち構えていたものの、待てど暮らせど窓の外にクマは現れない。
あれ? と思っている間にも馬が暴れ出した例の地点を通り過ぎてしまった。
見落としたのだろうか。
私は来た道に目を向けようと窓枠に手をかけ、そこで視界の端にチラリと白いものが映ったことに気がついた。
外ではない。
馬車の中。
赤い、向かい側の椅子の上にソレはいた。
「やァ」
「出たわね物の怪ーーーーーーーー!!」
私の叫びに、馬車が脱輪しそうな勢いで止まった。




