侵略! モフモフ星人の野望
――地球侵略。
その単語を耳にして、真っ先にイメージするのは何だろうか?
宇宙人、もしくはエイリアンによって侵略される地球を描いた作品はいくつもある。あなたは、そのうちの一つを思い浮かべたのではないだろうか。血なまぐさく恐ろしい、そんなホラーテイストのものを。
しかし、宇宙は果てしなく広大だ。中には、侵略を行う宇宙人にも、例外はたくさん存在するだろう。今回は、そのケースのうちの一つを紹介したいと思う。
◇◇◇◇◇
二本の触角、その先端についた白毛に覆われたボンボンがピコピコと揺れる。
――定時連絡。
無事、地球へ降り立ったことを母船へ報告。送信を完了。
くりくりの黒目を瞬きながら、河川敷の草むらから夜空を見上げていたムー太はほっと一息ついた。地球侵略作戦はまだ始まったばかり。のんびりとはしていられない。速やかに行動を開始しようと、気合一発、ボンボンでガッツポーズを作る。
「むきゅう!」
まんまるの体にふかふかの白毛。ムー太はモフモフ星人である。
モフモフ星人は手足のない球体状の生物だ。そのトレードマークは、頭から伸びた二本の触角と、その先端に位置する二つのボンボン。そして全身を覆う柔らかな白毛。全長は20センチ強。サッカーボールよりも大きく、バスケットボールよりも小さい。抱くのに丁度良いサイズとなっている。
そしてその目的は地球侵略! 怖い怖い侵略者さんなのである。
まんまるの球体はぴょんぴょんと跳ねて移動する。着地のたびにガサガサと草むらが音を立てる。数歩進むと、少し強い風が吹いた。ムー太は飛ばされないように重心を下へ。まんまるの体は転がりやすく、一度勢いがついてしまったら自分の意志では止まれない。細心の注意が必要だ。
風が過ぎ去るのを注意深く待ってから、前進を再開。
と、小さなお口から欠伸が一つ零れ落ちた。
現在時刻は深夜二時。丑三つ時である。
普段ならばもうとっくに寝ている時間。ムー太は良い子なのでとても眠い。
不屈と思えた任務遂行の意志は急速に萎み、睡眠という甘美な誘惑を前にあっけなく陥落することとなった。また明日、頑張ればいい。そう考えて、ムー太はボンボンで目元をぽふっと隠し、アイマスク代わりにすると寝息を立て始めた。
侵略作戦初日。本日の任務はたった数歩で終了。
この侵略者、超がつくほどマイペースなのである。
◇◇◇◇◇
日は中天から西へと傾きつつある。
春の優しい陽光が燦々と降り注ぐ街路樹の植え込みに、二本の白いタンポポが生えている。その綿毛は、今にも遠方へ種を飛ばそうとしているかに見えるが、それは違う。少し注意を払って見れば、不自然な大きさのタンポポに誰しもが気づいたことだろう。
頭隠して尻隠さず。
河川敷の斜面を登るのに四苦八苦した(まんまるなので斜面に弱い)ムー太であったが、何とか登頂に成功し、市中への潜入に成功していた。
先行した諜報部隊の情報によれば、地球の覇者は『人間』という人型の種族であるらしい。
覇権を握っているのが人型種であることは、全宇宙生態系において特段珍しいことではない。知能が高く、器用に何でもこなせる人型種は、多くの場合において、ピラミッドの頂点に君臨しているものなのだ。
そしてそれは、ムー太たちモフモフ星人にとっても都合が良い。
ピンク色のつぼみの付いた植え込みの隙間から、ムー太は往来の人々を観察している。ここからならば、人間の行動を監視するのにうってつけだった。
閑静な住宅街を横断する街路には人はまばらで、ポツポツとしか通らない。それでもムー太は、つぶらな黒目をいっぱいに見開いて、その一つ一つをじっくりと観察していく。
これまでにわかったことは、行き来する人々の大半は女性だということだ。若い女性は珍しく、中年と年配の女性が多い。中には手提げ袋を携帯している者もいて、袋の中からは新鮮な果物の匂いや、嗅いだことのない良い匂いが漂ってくる。食欲を刺激され、ついフラフラと後をついていきたくなる衝動にムー太は駆られた。
「むきゅう?」
あの袋の中には何が入っているのだろうか?
中身がとっても気になる。できることならば、見せてもらった上で少し分けてもらいたい。
けれども、今は侵略作戦中である。
お腹を満たす時は今ではない。
ムー太は空腹を我慢して監視を続けることにした。
そうして何人の往来があっただろう。ある時点で、ムー太の注意が一点に向けられた。
人間に並走する四足歩行の獣がいる。まるで主人に仕えるかのように人間の脇に控え、それでいて堂々と闊歩している。その貫禄ある姿に、ムー太はごくりと生唾を飲み込む。緊張が全身を包む。
地球には、モフモフ星人が最も注意しなければならない種族が二つある。そのうちの一つがあの『犬』という種族だったはずだ。ただ一緒に歩いている。それだけで伝わってくる信頼の絆は、これからの戦いが油断のならないものになるだろうということを、嫌でもムー太にわからせた。
慎重にいかなければならない。
ターゲットは彼女たちに決定しよう。
モフモフ星人が行う侵略行為の最初の犠牲者というわけだ。
中年女性に引きつれられた犬が目の前を通り過ぎるのを待ってから、ムー太は植え込みからその身を脱出させた。
と思ったら、枝と枝の間に挟まってしまった!
まんまるの体は挟まりやすいのだ。
「むきゅううう」
こうなってしまうと脱出は骨だ。自力で脱出できないケースもある。けれどもムー太はがむしゃらに暴れ、枝を大きく揺らして空きスペースを作った。すると、スポンッと体がすっぽ抜けて、アスファルトの上をローリング。対面にあった花壇に勢いよくつっこみ、停止した。
ぐるぐるぐる。ムー太はとっても目が回る。
けれども、転がることは日常茶飯事だ。ムー太はこんなことでめげたりしない。
泥だらけになりながらも殊勝に立ち上がり、大きく息を吸い込んで体を膨らませると、葉っぱの付いた白毛を揺らして「むきゅう!」と勇ましく鳴いた。そして力強い跳躍を見せると、距離の開いたターゲットの後をぴょんぴょんと追ったのだった。
◇◇◇◇◇
――みどり公園。
ターゲットの消えていった開けた土地の入り口には、そう書かれた看板が立てかけられていた。
すでにターゲットの女性と犬の姿は、周囲には見当たらない。見失ってしまったようだ。ムー太は少し落胆して、ボンボンがしおしおと力を失う。
それでもポジティブ思考のムー太は、すぐに気持ちを切り替えて周囲を窺った。
均された土の道。緑の壁としてそそり立つ生垣。規則的に並べられた樹木。
「むきゅう?」
森、だろうか?
秩序だったその配列は、どこか森とは違うような気がする。
中央にある小高い丘の上には、三角屋根と憩いのベンチらしきものがある。どうやら庭園のようなものであるらしい。
耳を澄ませると、どこか遠くから小さな子供の歓声が聞こえてきた。その甲高い音の中に「ワンワン」という犬の鳴き声が混じっている。
「むきゅう!」
向こうの方からだ!
音のする方へ向かうと、芝の上で犬と遊ぶ子連れの集団に出くわした。見つからないようにムー太は慌てて草陰へその身を隠す。
子供たちが小さなボールを投げると、取って来いと命じられてもいないのに、お供の犬が素早く動き、ボールを捕獲して戻ってくる。それを何回も繰り返している。
どうやら追いかけてきたターゲットとは別人らしい。それにしても、パートナーの意向を読み取り、これ程素早く行動に移れるなんて……やはり油断のならない種族である。
強敵であることを認め、それでもムー太は困難な戦いに挑む覚悟を決める。
できれば、人間と離れたところを仕掛けたい。
ジリジリと焦燥を募らせて機を伺っていると、そのチャンスは思いの他早く訪れた。子供たちの投げたボールが、ムー太の隠れる草むらに着弾したのだ。
ハッハッハッ、と息を切らせて犬が駆けてくる。ムー太はタイミングを見計らい、その眼前へ躍り出た。進路を阻まれ、犬の足がピタリと止まる。
「むきゅう」
警戒させてはならない。
モフモフ星人の持つ権謀術数を使いこなし、狡猾かつ巧みに物事を進行させる必要がある。
まずは友好的に接し、対話を促すのだ。
ムー太はボンボンをフリフリして友好の姿勢をアピールした。これはモフモフ星人の由緒ある挨拶でもある。
犬は怪訝そうにムー太を見つめている。
少しは緊張をほぐせただろうか?
愛くるしい姿を見せつけて翻弄するのも手ではあるけれど、相手は人型種ではないので効果は薄いかもしれない。同様に、モフモフの白毛で誘惑する方法も、相手にモフモフの毛並みが揃っている以上、効果のほどに疑問が残る。ここはシンプルに本題から入るのが良さそうだ。
とはいえ、モフモフ星人は言葉を話すことができない。その代替手段として発達したのは、意思の伝達手法であり、それは一種のテレパシーのようなもので、モフモフ星人同士ならば、お互いのボンボンを合わせるだけで意思疎通を卒なくこなせるというものだ。そしてそれは他の生物に対しても有効で、相性こそあるものの、モフモフ星人が伝えたいイメージを直接脳内に再生することが可能だ。
ムー太は、怪訝そうに立ち尽くす犬の鼻先へボンボンをぽふっと当てると、早速イメージを転送した。途端、犬の相貌が険しく歪み、犬歯をむき出しにして唸りだす。
「ウウウゥ……ワン! ワンワン!」
強い拒絶。そして明らかな敵対行為。
豹変した激しい剣幕にムー太はびっくりして飛び上がった。そのまま後ろへコロンと一回転。今にも飛び掛かってきそうな犬と距離を取る。
しかし逃がさんとばかりに、牙をギラリと光らせた犬が一歩前へ詰める。
モフモフ星人は筋金入りの平和主義者である。
喧嘩など以ての外。そもそも戦うための牙も爪も持ち合わせていない。
争う力も、争うつもりも最初からありはしないのだ。
「むきゅううう」
緊張に耐えられなくなったムー太は、堪らずに逃げ出した。敵に背を向け、完全降伏の撤退である。しかし犬は、その敗走を許してはくれなかった。「ワンワン」と吠えながら追いかけてくる。
涙目になりながらムー太は逃げる。
やはり、パートナーと強い絆で結ばれている種族ほど、モフモフ星人の提案は呑めないし、怒るものなのだ。知識として持ち合わせてはいたけれど、今こうして実感するまでは本当の意味で理解はしていなかった。
それでも困難だとわかっていても、挑まなければならないことがある。それこそがモフモフ星人の掲げる侵略行為であり、ムー太の使命であるからだ。
犬に対して送ったイメージ。それを言語に変換すると以下のようになる。
「我々はモフモフ星人である。宇宙を放浪し、定住の地を探し求めて旅をしてきた。そうしてたどり着いたのがこの地球だ。我々は、その星の覇者たる生物と友好を結び、その庇護下に入ることで生き延びてきた。この地でも同じようにして生きていきたいと考えている。そこで提案なのだが、あなたのパートナーを譲っては貰えないだろうか。もちろん、タダとは言わない。我々の母船を自由に使ってもらうというのはどうだろう。なかなか快適な空間で――」
このイメージがどこまで伝わったのかは不明だ。全てが伝わったのかもしれないし、ほとんど伝わっていないのかもしれない。しかしこうして激怒している以上、パートナーを渡さないという強い意志だけは感じ取れる。交渉は失敗。また次を探さなければならない。
いやその前に、般若と化した番犬から逃げ切る必要があるだろう。
「むきゅううう」
――モフモフ星人。
その目的は地球侵略。
より厳密に言うならば、人間の庇護を受けるペットに成り代わり、その立場を侵略するというもの。そしてその方法は、交渉による平和的解決。
モフモフ星人は愛くるしい見た目で愛玩を誘い、人型種からの恩寵を一身に受けてきた。その習性から、パートナーとなりうる人型種との交流は必須であり、長いこと一人でいる期間が続くと、寂しくなって衰弱してしまう。
ゆえにモフモフ星人にとってパートナーの存在は絶対で、その立場を追われる行為はまさに侵略以外のなにものでもない。だからこそ『侵略』と銘打っての作戦。モフモフ星人の掲げる小さな野望なのだ。
モフモフ星人の侵略作戦はまだ始まったばかり。
もしかしたら、あなたのすぐ側にモフモフ星人はやってきていて、その機会を虎視眈々と窺っているのかもしれない。もし見かけることがあれば、その時はどうか、友好的に接してあげてほしい。食べ物を分けてあげると、なお喜ぶだろう。
近い将来、道端のあちこちでモフモフ星人の姿を見かける――そんな日が来るのかもしれない。
――後日。
追いかけっこは飼い主が心配して探しにくるまで延々と続き、軽くトラウマを植え付けられたムー太は、しばらくの間、犬を見ると一目散に逃げ出すようになったという。