馴染みの店
昨日会社を定年退職したA氏は駅前の小さな立ち食い蕎麦屋で一杯500円の掛けそばを食べていた。
20代、まだ右も左も分からない新米の頃から通い続けていたいわば兄弟のような店だ。
入り口の自販機で食券を買い店内にいる奥さんに渡す。
約40年間ずっと変わらない、厨房を真正面にすえたカウンターの右から三番目の席に立つ。
そして厨房から店主の太い腕が伸びてきたと思えば次の瞬間鼻腔をくすぐる優しい香りが漂う。
透き通った汁、そこから少しだけ顔をのぞかせる蕎麦の上には鮮やかなネギの緑。
一口すすればとてもまろやかで家庭的な、しかし決して真似出来ないいつもの味が口いっぱいに広がった。
(ここに来るのも今日で終わりか………)
麺に箸を伸ばす前にふと店内を眺める。
初めて来たときから変わっていない木製のカウンターにセルフサービスの調味料香辛料。
一世代前の有名漫画がびっしりと詰まった本棚の上に乗っているテレビから垂れ流されるお昼のワイドショー。
今はその大きな背中をAに向け黙々と麺を茹で揚げ物を作る店主の彼も、先輩に連れられてこの店に入った時は自分と同じ少しひ弱な青年だった。
市松模様の手ぬぐいを頭に巻き、いかにも職人気質な厳格そうな父に激を飛ばされながらも必死に皿洗いや提供、会計をやっていたその姿を今でも覚えている。
(なんか勝手にライバル視とかしてたっけ)
昔の記憶が一気に思い出される。
会社で大きな失敗をしてしまったこと。
もう辞めてしまおうかと思った事も何度もあったがこの店で頑張っている彼の姿に元気づけられ奮起することが出来た。
自分にも部下が出来たこと。
部下を連れて店にきたAに親父さんはたいそう喜んで二人分のかき揚げをサービスしてくれた。
そして、彼が厨房に立って料理を作っていたあの日のこと。
もくもくと湧き上がる記憶の中でAは一度も店主と話していないことに気づいた。
確かに普段Aが訪れるのは一番忙しくなる昼時なのでタイミングが無かったと思えば納得だが、流石に数十年通い続けた店の店主と一度も話さないというのも寂しかろう。
幸い今店にはAしかいなかったのでこのチャンスを逃すまいとAは一口蕎麦を食べ口を開いた。
「……私、昨日で定年だったんですよ」
「今日の夜にはここを出て、息子夫婦の世話になるつもりなんです」
そう言って店主の方を向くが彼はAに背を向けて何かを揚げており、Aの言葉に反応する様子は無い。
(……そうか)
寂しい気持ちはあるが彼に話す気が無いならば仕方がなかろう。
そのまま残りの蕎麦を食べようと視線を落とすがしかし視界の端から箸が伸び何かが蕎麦の上に乗った。
それは揚げたての香りが漂う大きい海老の天ぷら。
急いで顔を上げるがその時にはすでに店主は背を向け作業に戻ってしまっている。
Aはもう一度自分の椀を見た。
長年食べ続けた普段の一杯の上に鎮座する海老天は、汁を吸っても尚強く堂々たる威厳を放っている。
その頼もしさはまるで目の前で黙々と作業する店主のようだ。
なるほど。
確かにこういう別れもあっていいのかもしれない。
海老のうまみを差し引いても今日の一杯は格別なおいしさだった。
(………………ああ)
気づけば椀の中の蕎麦は汁も含めて跡形もなく無くなっていた。
「お会計お願いします」
レジまで行けばそこにあったのは店主の姿。
「天ぷら、ありがとうございました。もうこっちに来ることはほとんどないと思いますがこれからも頑張ってください」
Aがそう言うと店主は照れたように笑顔を見せ、そして今日初めてその口を開いた。
「ではお会計、700円です」
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